さて、その50人の捕虜通りが、一番エルドル川に近づいてストラスブール通り(rue de Strasbourg)と交わるところに、ナントで一番曲がった建物は建っています。12-13年前までは1階が薬局になっていて、2階、3階にも住人がいたようでしたが、次第に窓に明かりが点(とも)らなくなり、薬局も通りの向かい側に引っ越してしまいました。その時すでに、その甚だしい傾き方は誰の目にも明らかでしたから、みんな、「これ以上、ここに住んでいては危ないから、そのうち取り壊しになるのだろう。」と思っていました。が、そのまま数年、放置され、やがて、2,3階には、スクワッター(squatteur)と言われる不法占拠者も住むようになります。その頃から、この建物の周囲に足場が組まれ、聞くところによると、地下に地盤を強固にする特殊な物質を注入している、という話でした。「へーえ、これ壊さないんだ!? 保存する方がお金かかるのにね!」と、不思議な気がしましたが、そう言えば、同じ頃、ナントでパレ・デ・コングレ(Palais des Congres)の建設が進んでいて、やはり地盤の強度が十分ではなかったらしく、工事関係者は、あろうことか、建築中の巨大な建物が傾き始めるという、信じ難いハプニングに襲われています。その結果、パレ・デ・コングレの地中にも地盤強化剤を注入するなど、予算をはるかに上回る大規模な強化工事を行って、現在、そのパレ は近代的大規模建築として、ちゃんと建っていますから、やはり、同じような物質を使っているのでしょう。しかし、50人の捕虜通りの建物は、それ以上傾かないようにするのが精一杯だったらしく、水平ラインが回復されることはありませんでした。
ところが、2003年頃から、この建物の周りに、見たこともないような建築材が積まれ始め、本格的な工事が始まりました。丸い水車のような大きな木製の物体もいくつか置かれ、「あれは、地下の強化に使うのだろうか?」などと思いながら、50人の捕虜通りを走るトラムウェイ(Tramway)の中から、その進捗状況を眺めたりしたものです。やがて、そのいろいろな材料は、残らず建物の中に吸収され、ravalement de facadeという、長年の埃と、歴史の垢ですっかり灰色になってしまった壁面の石を削って、白く、お化粧直しでもしたように綺麗にする工事も進行していきました。建物は、あくまでも〈とっても斜め〉ですが、白く削られた古い石材は、誰も知らない歴史を秘めた彫刻のように、長い忘却の後に取り戻した、自らの美しさに満足し、酔い痴れているようにさえ見えてきました。一つ一つが大きい四角の白い石材が削られると、白い粉末が舞い、連綿と流れる歴史の1コマ1コマが、白く幽(かそ)けき粉と化して、通りの石畳を覆(おお)っていくような、そんな錯覚に陥りたくもなってきます。
Paris-Monparnasse(モンパルナス)駅から
TGV Le Croisic(ル・クロワジック)方面行きに乗ってNantes(ナント)下車(Parisからは、約2時間)Nantes駅北口で、Tramway(トラムウェイ)の1番に乗って、3つめのPlace du Commerce(コマース広場)でトラムウェイ2番線に乗り換え、2つめのCours de 50 Otages(50人の捕虜通り)で下車停留所の向かい側に、この建物は、すぐ見えます。