出自は由緒ある家系であり、ジョルジュ・サンドと出会い・・・など、どこかで聞いたようなその経歴を知り、いささかミーハー的に、当時の社交界や文壇、画壇のことを想像してしまったが、もちろん、ドラクロアは肖像画家として、ミュッセと‘悲劇的な別れ’をした直後のサンドと知りあったのである。二人の友情は終生変わらなかったということも知り、ルーブル美術館にあるショパンの肖像画が思い出された。はて、あれは何年ごろの制作だったか・・・
アトリエの庭のベンチに座り込み、買ったばかりの美術館案内の本を読み始めたら、止まらなくなって困った。
こうやって、いつも道草をしてしまう・・・
フランスの社会を牽引してきた文化人の系譜は、サンジェルマン大通りを抜きに語ることはできない。この通りの周辺にはあまたの有名人が住み着き、それぞれに活動を展開してきた。
近代化する中で、「サロン」といった優雅な邸宅での集まりはだんだん廃れていったが、「気分」が廃れたわけではないようである。ありとあらゆることで侃侃諤諤議論する風潮は残り、20世紀になってからは、カフェがその場所を提供するようになる。フロール、ドゥ・マゴー、リップなどには、芸術家だけでなく、ジャーナリストや実業家、政治家などいろいろなジャンルの人々が集まり、飲んで、食べて、仕事して、議論して、時には喧嘩した。そして、ボリス・ヴィアンのように、サンジェルマン・デ・プレのプリンスと呼ばれるような伝説的奇才も登場した。
1968年の五月革命以降、社会を動かすような大きなうねりを、文化人が作り出すことはなくなってしまったかもしれないし、実際に21世紀のサンジェルマンが、時代や社会にどんな影響を与えているのかは、全く分からない。賑わっていはいるけれど、単なる観光地の一つになってしまっただけかもしれない。
でも、一歩中に入れば、質の良い食材を扱うマルシェや伝統的な食料品店があるから、そのためだけでも、この辺りまでやってくる意味がある。それに、画廊や骨董屋の連なる小道や小粋なカフェ、古くからのビストロなどの雰囲気も悪くない。私にとっては、ここはまぎれもなくパリの顔の一つである。
映画館や劇場、本屋、高級ブティックから、ジャンクのお店、そして学校・・・ソルボンヌやクリュニーを越え、アラブ世界文化センターを東端に据えるこの長い長いサンジェルマン大通りは、確かに、今も文化のるつぼであり、何かを生み出しているに違いない。
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