朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
人間とアニマル 2017.11エッセイ・リストback|next

マルチン・ルター ※画像をクリックで拡大
 何かと節目が気になる年。西洋史をふりかえっても、10月から11月にかけて、「宗教改革」Réformeと「十月革命」Révolution d’Octobreにからむ周年日が連続する。
 前者のきっかけはMartin Lutherが免罪符(贖宥状)Indulgencesに抗議して、Wittenbergの教会の門扉に95か条の論題thèsesを貼りだした事件。今から500年前、1517年の万聖節la Toussaintの前日、すなわち10月31日のことだった。
 後者で特筆されるのは、Lénine とTrotskyがKerenski臨時政権を打倒した日。それが100年前、1917年10月25日(当時ロシア正教会が採用していたユリウス暦calendrier julienによる日付。現行のグレゴリウス暦c. grégorienでは11月7日)である。
 過去から現在に目を転じるとたん、AIがいくら進んでも人間の愚かしさには変りがないという思いに襲われる。折しもNew Yorkでテロ事件がおきた。愚行の反復だが、さらに愚かしいのは、犯人とされるウズベキスタン人un Ouzbekを米国大統領がanimalと呼んだことだ。どんな事情があるにせよ、人間を動物扱いすることが許されてよいものか。
 ここで、5月につづいてまたしても、La Fontaineに助言を求めたいと思う。とりあげるのはLes Compagnons d’Ulysse「ユリシーズの部下たち」(Fables 、Livre XIIの1)。12巻というのは『寓話』の最終巻、巻頭にMonseigneur le duc de Bourgogneへの献辞があり、それにつづく本篇にはこのLouis XIVの長孫(当時8歳)に捧げるという副題がついている。そこから察せられるように、いかにも帝王学を意識した内容になっている。
 題材を提供したのは、HomerホメロスのOdyssée『オデュッセイア』(Ulysseはラテン名。日本での慣行にならい、英語読みにして表記した)で、第10巻135-399行に出てくる挿話である。例の魔女Cirquéキルケーの魔法で部下たちは全員ブタに変えられてしまう。ユリシーズだけは難を免れるが、キルケーの熱愛によって足止めをくう。
 さて、ラ・フォンテーヌはそこから自分流の物語をひねりだす。一つは、原作ではブタなのに、ライオンやクマなどに変えられる。原作でもオオカミやライオンが出てくるから(いずれも別の漂着グループの仲間か?)、ラ・フォンテーヌの拡大解釈の余地はある。面白いのはもう一つの工夫で、ユリシーズはキルケーの恋を逆手にとり、恋人になる代償として、部下の魔法を解く約束をとりつける。魔女は「彼らは本当に元の姿に戻りたがるかしら?」と危ぶむ。ユリシーズには一点の疑いもなく、部下たちのところへ飛んでいく。朗報をうけて喜ぶ彼らの顔を見たい一心だった。
 さて、トップはライオンに変えられた部下で、次のように答えた。因みに、原文は韻文で、各行ともおおむね12音節か8音節の詩句になっている。

      Je n’ai pas la tête si folle.
  Moi renoncer aux dons que je viens d’acquérir?
  J’ai griffe et dent, et mets en pièces qui m’attaque.
  Je suis Roi, deviendrai-je un Citadin d’Ithaque?
  Tu me rendras peut-être encor* simple Soldat.(*encorは2音節にするため)
      Je ne veux point changer d’état. (v.59-64)

   「俺はそんな馬鹿じゃないぞ、
  この俺が、せっかく手に入れた贈り物を放棄するだと?
  俺には爪も牙もあって、打ちかかってくる相手を八つ裂きにする。
  俺は王者だ。今さら、イタカ*の住民になりさがれるものか?(*ユリシーズの母国)
  貴様はおそらく俺をまた一兵卒にするだろう。
      今の身分を変えるなんて真っ平ごめんだ」

 ユリシーズは同じ提案をもってクマに変えられた部下のところへ出向く。顔を合わせるなり、せっかくの美男子が何たる姿になったのだ、となげく。クマは平然と答えた。

  Comme me voilà fait! Comme doit être un Ours.
  Qui t’a dit qu’une forme est plus belle qu’une autre?
      Est-ce à la tienne à juger de la nôtre?
  Je me rapporte aux yeux d’une Ourse mes amis.(v.69-72)

  「何て姿になったのだ、と!クマの本来の姿になったのさ。
  誰が言ったのだ、ある姿が別の姿より美しい、などと?
      お前の姿を基準にして、われわれクマの姿を判定できるのかい?
  おいらは愛しい牝グマの目の方を信用するよ」
 結局はライオンと同じく、人間にはもどりたくないという結論にいたる。
 ユリシーズは三番目のオオカミにも冷たくされる。ヒツジ殺しを咎めると、あんたたち人間だって肉食だろうと反論され、互いの殺戮をくりかえす人間の悪弊を指摘される。

  Pour un mot quelquefois vous vous étranglez tous;
  Ne vous êtes-vous pas l’un à l’autre des Loups?
  Tout bien considéré, je te soutiens en somme
      Que scélérat pour scélérat,
      Il vaut mieux être un Loup qu’un Homme: (v.93-97)

  「あんたたちは、時には一言が原因で、殺し合いをする。
  あんたたちはお互いに相手にはオオカミ*ではないのか?(*ホッブス)
  すべてを考え合わせ、こう結論しよう、
      どうせ悪党でいるのなら、
      人間よりはオオカミの方がましだ」
 要するに、ユリシーズの提案は予想に反して、皆からはねつけられてしまう。



Oudry(1783)による版画 ※画像をクリックで拡大

 表向き、この寓話の結末は、自由に憧れるあまり欲望の虜になる部下たちを例に、我欲を慎むように求める伝統的道徳論に忠実だ。献呈先からして当然だろう。しかし、それは老獪な見せかけにすぎず、上に引いたアニマルたちの主張を読みかえすと、作者は実は、ユリシーズが信じて疑わぬ「人間中心主義」の根底に潜む傲慢に批判の矛先をむけているように思える。だとしたら、一部の人間をアニマル扱いして恥じぬ大統領の登場を、なんと300年以上も前に、見越していたともいえるわけで、『寓話』の先見性に度肝を抜かれると同時に、人間の愚かしさに変わりがないことに、あらためて、暗然とする。
 
 
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