朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

アズナヴールとアルメニア (2) 2018.11エッセイ・リストback|next

Hollywood Walk of fame ※画像をクリックで拡大
 ハリウッドにはWalk of fame(ウォーク・オブ・フェイム「名声の歩道」)があって、有名人の名前を刻んだピンク色のétoile「星印」が歩道に点在している。映画スターたちと並んで話題のDonald Trump氏の名盤もある(テレビ業界の功労者として)のだが、2016 年の大統領選挙の際、損傷を受けたり、2018年の夏には自治体が撤去を決議したり(結局、実現していない)と、ここでもしきりに火種になっているらしい。
 とんだ脱線をしてしまったが、アズナヴールも顕彰されて、この星を与えられた。その表彰式の際、彼はこう自己紹介した。(RTBF「ベルギー仏語圏放送協会」による)
  Je suis Français et Arménien, les deux sont inséparables comme le lait et le café. 「わたしはフランス人で、かつアルメニア人です、二つはミルクとコーヒーのように分けられません。」
 ただし、この認識が生まれるにはきっかけが必要だった。「ル・モンド」の追悼記事はこんな述懐を紹介している。
 J’ai vraiment découvert l’Arménie pour la première fois au cours d’une tournée en URSS. Je connaissais l’histoire du génocide, mais je n’ai jamais été militant.* Je suis d’accord pour commémorer** , mais défiler dans une rue, ce n’est pas mon genre. C’est après le tremblement de terre [de décembre 1988] et les massacres de Haut-Karabakh [de 1992]*** que je me suis vraiment senti concerné. Aujourd’hui, l’Arménie est libre, c’est une chose à laquelle je n’avais même jamais songé.
 「わたしがはじめてアルメニアを発見したのはソ連巡業のときでした。大虐殺の話は知っていましたが、積極的に活動することは一度もありませんでした。過去の歴史を記念することには賛成だが、街頭デモに参加する、それはわたしの好みではありません。地震(1988年12月)とナゴルノ・カラバフの虐殺(1992年)の後になって、これは自分の問題だという実感を持つようになったのです。今でこそアルメニアは自由ですが、それまでのわたしはそれを一度も考えたことがありませんでした。」
 大虐殺については前回触れたが、それから100年たつ今も、問題は尾を引いている。ナチスの場合とはちがって、加害者のトルコがその事実を認めようとしないからだ。EU加盟の条件として、この事実の確認が求められただけに、ますます否定にこだわった。その結果、事件はかえって国際的な関心をたかめ、政治性を強めてしまった。militant*という語の裏には、1970年代以降トルコに敵対したテロリスト集団ASALA「アルメニア解放アルメニア秘密軍」の不気味な存在が顔をのぞかせる。むろん注目されたのは、過激派ばかりではない。事件の規模の大きさや残虐性の認識が深まるにつれて、commémoration du génocide「大虐殺の追悼記念」の動きがdiaspora arménienne「(世界各地に離散した)アルメニア人の共同体」にひろまり、4月24日が記念日となり、アルメニアの首都Erevanでは10万を越えるデモがあり、フランスを含め各地に記念碑が建てられた。だからこそ、アズナヴールはcommémorer:**に言及したのだろう。
 それにしても、Haut-Karabakh***には説明が要る。日本ではロシア語にならって「ナゴルノ・カラバフ」と呼ばれる。ここはカスピ海と黒海にはさまれ、もともとアルメニア人の居住地域だったが、ソ連邦強権支配の時代、東側のAzerbaïdjan共和国に吸収されていた。ところが1989年Gorbatchevのperestroïkaペレストロイカを機に、アゼルバイジャンから独立し、1991年にはアルツァフ共和国を名乗った。これに対し、アゼルバイジャンの共産党が反発し、武力介入したため民間人にも多数の犠牲者が出るに至った。犠牲者の数は不明だが、ナゴルノ・カラバフ(アルツァフ)の野心は揺るがず、西側のアルメニア共和国との合併を果たせぬまま、今も武装した兵員の多さで知られている。
 さて、上記引用の1988年の地震に話題を移す。これは1988年12月7日、アルメニアの北部の都市Spitakを中心に起こったマグニチュード7.2(フランスでは6,9 sur l’échelle de Richter)の地震で、死者は2万5千とも3万とも言われる災害だった。
 Alors que les autorités de Moscou minimisent le tragique événement, Charles Aznavour fonde alors le comité « Aznavour pour l’Arménie » pour collecter des fonds.Il écrit aussi un texte que met en musique le compositeur Georges Garvarentz,(...)afin de récolter des fonds pour venir en aide aux populations sinisitrées.

Pour toi Armenie ※画像をクリックで拡大

 「モスクワ当局が悲劇的な事件を内輪に見せようとしている間に、シャルル・アズナヴールは<アルメニアのためのアズナヴール>委員会を創設し、資金を集めようとした。被災者救援資金を集めるために、歌詞も書き、ジョージ ・ガルヴァレンツが作曲した。」
 こうして1989年2月に発売されたのがPour toi Arménie「アルメニアのために」。このチャリティソングの成功にあやかったと思われるのが、2011年の東日本大震災の『花は咲く』(岩井俊二作詞・菅野よう子作曲)。ともに、古びることのない名曲だが、比較を試みるのも一興と考え、アズナヴールの歌詞を一部下に掲げ、岩井に擬した拙訳を添える。
 
Tes printemps fleuriront encore       
Tes beaux jours renaîtront encore
Après l'hiver
Après l'enfer
Poussera l'arbre de vie
Pour toi Arménie
Tes saisons chanteront encore
Tes enfants bâtiront plus fort
Après l'horreur
Après la peur
Dieu soignera ton sol meurtri
Pour toi Arménie
Le monde s'est levé
Le monde est avec toi
Pour toi people oublié
君の春はこの先もめぐってくる 
君の晴天はこの先も戻ってくる 
冬のあとに 
地獄のあとに 
命の木は生えてくる 
君、アルメニアのために 
君の四季はこの先も歌いつづける 
君の子らはもっと強い家を建てる 
恐怖のあとに 
不安のあとに 
痛めつけられた大地を神が直してくださる 
君、アルメニアのために 
世界は立ち上がった 
世界は君の味方 
君、忘れられた民のために

 紙面の関係でここまでにするが、筆をおく前にコメントを少々。一つは「冬」「地獄」「忘れられた民」という語句には今回の地震だけでなく、この民族の長い過去が重ねられていること。「神」が出てくることにも感銘をうける。他方、『花は咲く』には神はいない。代わりに「なつかしい」「誰か」がいる。それにしても、『君が代』と同様、日本人が呼びかける相手は一人のヒトであって、国や集団ではない、これはどうしてなのだろう。

 
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