朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
代名動詞のこと 2014.3エッセイ・リストbacknext

Henriette d'Angleterre
 前回の最後、Le Monde紙の記事の訳で、en appeler à la «compréhension »を「<(世界の)理解>に訴える」としたが、前文にles nations voisines「隣国」とあるので、(世界の)ではなく、(隣国の)と限定するのがいいことに気づいた。ここで訂正しておく。 そのついでに、前回問題にした代名動詞について補足の説明をしたい。
 まず手近な用例を示す。わたしは「ル・モンド」紙のSélection hebdomadaire「週刊精選版」を愛読しているのだが、年間購読の期限が近づくと、新聞の包装紙にVotre abonnement se termine.という指示が出る。継続の手続きをサボっていると、やがてVotre abonnement est terminéという指示に変わって、次号からは送られてこなくなる。これから考えると、前の方は「購読期限がまもなく来ます」、後の方は「購読期限が来ました、予約が切れました」ということになる。これを一般化して、代名動詞の直説法現在は現在進行形、もしくは近未来を表し、同系の動詞の<être+過去分詞>の形は完了を表す、とみることができる。前回のLe vent se lève.についていうと、Le vent est levé.となっていたら、「風が立った、風立ちぬ」であるのに対し、現在形にこだわるなら、「風が出てきつつある、風が出てきたよ」という感じだろう。
 ついでに朝倉先生の「新フランス文法事典」(白水社)から代名動詞の用法について興味深い例を引いておく。
Le blé se vend bien.「小麦がよく売れる」
Le blé est bien vendu.「小麦がよく売れてしまった」
On vend bien le blé.(行為を強調)→「小麦はよく売れている
Le blé se vend bien. (主語=行為の対象を強調) →「小麦はよく売れている」
 上の例は、どれも他動詞から作られていて、再帰代名詞の中身が主語と重なる。ところが、この原則にはずれることから、本来の代名動詞と呼ばれるものがある。
 s’en aller, s’envolerのような運動をあらわす自動詞の例もその一種だが、単一の形と意味が異なることを心得ておかなくてはならない。
 特に注意を要するのはmourir「死ぬ」とse mourir「死に瀕する」の場合だ。17世紀フランスの説教師として名高いBossuet(1627-1704)はこの違いを王弟妃殿下の弔辞のなかで劇的に生かせてみせた。
 彼女はHenriette-Anne Stuartといい、英国王Charles Ierとフランスから嫁いだHenriette de France(仏王Henri IVの娘)の間に1644年に生まれ、1661年にLouis XIVの弟Philippe d’Orléansと結婚した。美貌と高い知性で知られ、ルイ14世の宮廷で華々しく活躍したが、1670年6月30日深夜、26歳の若さで謎の急死を遂げた。ボシュエは妃殿下のdirecteur de conscience「指導司祭」でSaint-Cloudの宮殿に居合わせ、その最期に立ち会ったのであった。葬儀はSaint-Denisの教会で行われ、ボシュエのOraison funèbre「追悼演説」に満場の王侯貴族淑女は涙を流した。その模様をVoltaireはLe Siècle de Louis XIV『ルイ十四世の世紀』の中で次のように描いた。引用符の中がボシュエの弔辞だが、特に下線部(朝比奈)に注意してほしい。
 L’éloge funèbre de Madame, enlevée à la fleur de son âge, et morte entre ses bras, eut le plus grand et le plus rare des succès, celui de faire verser des larmes à la cour. Il fut obligé de s’arrêter après ces paroles : « O nuit désastreuse ! nuit effroyable !où retentit tout à coup, comme un éclat de tonnerre, cette étonnante nouvelle : Madame se meurt ! Madame est morte ! etc » L’auditoire éclata en sanglots, et la voix de l’orateur fut interrompue par ses soupirs et par ses pleurs.(chap.XXXII)
 「王弟妃殿下(王弟はMonsieur, 同夫人はMadameと呼ぶ慣わしだった)は、花なら盛りの頃、この聖職者(つまりボシュエ)に抱かれるようにして、世を去ったので、その弔辞は、宮廷中の人に涙を流させるという、この上なく大きく、よにも稀な成功を収めた。<おお、忌まわしい夜、恐ろしい夜.....この驚くべき知らせが、突如、雷鳴のように轟いた。妃殿下のご臨終が近い。妃殿下は亡くなられた.....>こういったなり、絶句してしまう。居並ぶものは、激しく啜り泣き、ボシュエの声は、涙と溜息で中断された。」
(丸山熊雄訳、岩波文庫,四巻のうちの三)

Jean-Jacques Rousseau
 Elle se meurt.は「死にかけている」けれど、まだ息がある状態である。それに対して、  Elle est morte,は「死んでしまった」であり、もう生きてはいないのである。したがって、普通の臨終場面では、二つの表現の間には、長ければ何日間も、短くても何分間かの時間が介在する。ところが、この妃殿下の場合に限っては、その間隔がいかにも短かった。ボシュエは短さを二つの動詞の使い分けで表現してみせたことになる。その手際のよさが臨場感をかもし出し、涙を誘ったという次第。
 これほど名高くもなく、悲劇的でもないが、Jean-Jacques RousseauのLes confessions『告白』の中にこんな一節がある。これもmourirの訳し方に注意がいるという意味では、同類だと思うので、この後に引く。下線部(朝比奈)に注意してほしい。
 ルソーがまだ16歳、放浪していた時分、イタリアの未亡人comtesse de Vercellisの家に半年ほど従僕として滞在したことがあった。彼女は58歳、暖かみはないが、知性的で気丈な女性だった。彼女は1728年に、病気にかかった。
 Elle ne garda le lit que les derniers jours, et ne cessa de s’entretenir paisiblement avec tout le monde. Enfin, ne parlant plus, et déjà dans les combats de l’agonie, elle fit un gros pet, « Bon ! dit-elle en se retournant, femme qui pète n’est pas morte. » Ce furent les derniers mots qu’elle prononça.
 「彼女が床についたままになったのは、臨終前の数日にすぎなかった。しかも、ずっと静かな口調でみんなと会話をかわした。とうとう、口をきかなくなった時は、もう断末魔の苦しみが始まっていて、大きなおならをした。すると、彼女はこちらにふりむきざま、言った。「よかった!おならをする女は死んでないわ」。これが彼女の最期の言葉になった。」
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