朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
国語力の低下? 2015.01エッセイ・リストbacknext

赤木曠児郎・「ピックピュスのメトロ駅」
 テレビを見ていて、画面に表示された単語の誤字に気づくことがよくある。スピード第一の放送局がついチェックをおろそかにするせいだろうが、その背景には一般的な国語力の低下がひそんでいるのではなかろうか。コトバの扱いがぞんざいになる風潮がある。
 これはなにも日本だけに限った現象ではなく、フランスにも存在する。一例がたびたび参照するLe Monde紙に、つまらない誤植coquilleが目につくようになったこと。記事の質の高さで定評のあるこの新聞は、伝統的に優秀な校正陣に支えられていたにちがいない。従来、誤植に出会うことなど皆無だった。ところが、近頃はその信用がぐらついてきた。たとえば、昨年12月16日付け、別刷りEconomie & Entreprise「経済・企業」の1ページ、Perspective「展望」欄、Shinzo Abe et l’art du tir à l’arc「安倍晋三と弓道」と題する記事にこんな文章が出てきた。
 Va-t-il réussi à décocher ses trois flèches et à atteindre sa cible pour terrasser l’hydre de la déflation ?下線部はVa-t-il réussir だろう。(A-t-il réussiの可能性もなくはない) 「彼(安倍首相)はデフレという厄介者を打ちのめすために、3本の矢を放ち、的を射抜くことに成功するのだろうか」(後者なら、「...成功したのだろうか」)
 誇り高いフランス人自身がこうした乱れに気づかぬはずがない。新刊の100 pièges à éviter pour écrire & parler un excellent français 『立派なフランス語を書いたり話したりするために避けねばならぬ落とし穴100』という本が一つの証拠になる。
 実は、これを発掘したのは親友の赤木曠児郎画伯である。彼は50年来パリに住んでこの町の建物を描きつづけていて、その作品はカルナヴァレ博物館 Musée Carnavalet にも展示されていることをご存知の方も多かろう。彼は本業のほかフランス語にもなかなかうるさい人だから、先日「パリでこんな本が売れるようになった」といって送ってきてくれたのである。
 版元はLe Figaro、著者は文学博士Roland Eluerdとあるから、いかにも保守的な堅苦しい構えだが、要するに、フランス人の国語力の低下を懸命に喰いとめようとする試みにほかならない。というのも、前書きにあるように、この本を生み出したのは、barbarisme「破格語法」(平たくいえば、間違いだらけのフランス語)の横行であるからだ。
 中身を拾い読みしてみると、中にはVITICOLE OU VINICOLE ?「viticoleかvinicoleか、どっち?」という高尚なpiègeがある。「高尚」というのは、仏和辞典ではどちらにも「ブドー栽培の;ワイン醸造の」という訳語があてられているからだ。だが、本書の説明は厳密で、語源のラテン語に違いがあることから説き起こす。つまり前者はvitisイコールvigneであるのに対し、後者はvinumイコールvinである。したがって、前者は元来うまいワインの醸造に適したブドーの栽培を意味したし、後者はもともとワインの仕込み・醸造に関係していた。しかし、現状ではともに同義で使われている、ということのようだ。  それはともかく、わたしの興味をひいたのは、全体のうちこの種のpiègeが稀であること、逆に、わたしのような仏語教育の関係者からすれば基本に属するpiège、すなわち、形容詞や過去分詞の一致に関するもの、類音語のスペルに関するものが圧倒的に多いことだ。前者についていえば、COMBIEN DE PHOTOS AS-TU PRIS OU AS-TU PRISES ?「何枚、写真を撮ったの?as-tu pris ?かそれともas-tu prises ?」というpiègeだ。むろん直接目的語が過去分詞の前にあるのだから、as-tu prisesが正しい。日本で行われている仏語検定試験なら、せいぜい3級程度の設問といってよかろう。後者の例では、DIFFERANT, DIFFERENT, DIFFEREND...COMMENT S’Y RETROUVER ?「différant(1), différent(2), différend(3)、この三つ、どういうふうに見分けるの?」というpiègeがある。答は簡単で(1)は動詞différer「違う、異なる」の現在分詞、(2)はそれから派生した形容詞「異なる、別の」、(3)は同系の名詞「紛争、悶着」となる。同書は駄洒落のようなつぎの例文で、違いを際立たせている。
 Cette année, nous avons connu différents différends différant de nos différents différends de l’an dernier !「今年は、わたしたち、昨年のさまざまな対立とは違ったさまざまな対立を経験しましたねえ!」

カナール・アンシェネ
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 ところで、上にとりあげたcoquilleだが、これは今にはじまったことではない。国語力の低下云々とは無関係に、いわば出版物には避けられぬ宿命であって、昔から存在した。そのうち顕著なものをperle(元来は、生徒の宿題や答案に含まれる滑稽な誤りを指す)と呼び、フランス人はむしろそれを逆手にとって笑いの種にする習性をそなえている。そればかりを集めた本もあるくらいだが、ここには11月12日付けの風刺新聞Canard enchaîné(訳せば「鎖につながれたアヒル」。因みにcanardには「三流新聞」の意味もある)から2例をあげよう。
 ◆10月31日付Toulouse Infos「トゥルーズ・ニュース」紙からの引用。カナール・アンシェネがつけた見出しTaupe niveau「モグラ階層(因みにtaupeは英語のtopと同じ発音) « Les braqueurs se sont enfouis avec un butin de 3 000 euros. »
「強盗団は3000ユーロを強奪して地中に潜った」enfuisとすべきところが、あいにくenfouisになってしまった。それを知ったカナール紙のコメントが振るっている。
Ils se sont enfuis, l’affaire pourrait être enterrée.
「彼らは逃走したのだが、(地下に潜っていたら)事件は迷宮入りしてもおかしくない」
◆11月3日付Le Provençal「プロヴァンサル」紙(マルセイユ)からの引用。見出しはDifficile à gober「なかなか喉に入らない」
« Comme il n’y a pas assez de plantons, les sardines ne grossissent plus en Méditerranée »
「伝令兵が足りないので、地中海ではイワシが今や大きく育たない」planctonsがplantonsになったのに付け込んで、こんなコメントが飛び出した。
Surveillons le plancton et la mer sera guérite !
「プランクトンを見張ろう。そうすれば海は避難所になるだろう!」
 こういうperleの笑いは、coquilleが増えると、どうなってしまうのだろう。
 
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