朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
サムライの仮面 2016.07エッセイ・リストbacknext

面頬(メンポウ)※画像をクリックで拡大
 在仏の友人からAude FIESCHI:LE MASQUE DU SAMOURAÏという本を薦められた。書名のmasque du samouraiは面頬(メンポウ)、すなわち兜をかぶった武士が顔につける防具を指す仏語。著者はその役割には両面があることを指摘する。
 Le masque oppose une barrière au « regard »de l’autre, il est enfermement, isolation, mais grâce à la protection qu’il octroie, il permet de mieux observer l’adversaire.
「面頬は他者の<視線>に対する障壁だから、閉じこもりであり、弧立である。しかし、面頬に保護されるお陰で、敵をよりよく観察することができる。」
 これを見て、京都の旧市街にのこる古い商家の正面を思い出した。玄関のわきに格子がある。それは家を街路から遮蔽し、その意味では家人を世間から弧立させる。ところが、わたしは内側に住んだことのある人間としていうのだが、そうして守られているからこそ気安く格子ごしに通行人を観察することが可能になる。こう考えると、著者は面頬の機能の中に、引き籠りがちな日本人の特性を見ているという気がしてくる。
 さて、表題の説明につい深入りしてしまったが、著者のねらいはあくまでもサムライにある。本来の武士が姿を消して150年にもなるのに、現代日本で武士へのノスタルジーが根強いことに着目して、その謎を解くために、起源にさかのぼってサムライの歴史をたどることにある。面頬の場合同様、著者の分析は鋭くて示唆に富んでいるが、ここでは『武家諸法度』Règles pour les maisons de guerriersや『葉隠』Hagakureの時代をすっとばして、武家政治の体制を覆して生まれた明治政府の時代に目をむけることにする。 
 著者はPatrick SmithのJapan, a Reinterpretation(邦訳名『日本人だけが知らない日本のからくり』)を引用し、近代的なEtat-Nation「国民国家」を建設するにあたって新政府がかかえた問題点を明らかにする。
 Le Japon serait une nation de nobles guerriers, tous servant l’empereur avec la vieille et spécifique notion de loyauté et l’antique rigidité. Cette caractéristique de l’ère moderne est souvent oubliée, mais essentielle. Alors que le Japon était occupé à s’occidentaliser, il était en train de se « samouraïser » activement.
 「日本は時代遅れの特殊な忠誠心と昔風の厳格さをもって全員が天皇に仕えることにより、戦う貴族の国になるのだ。維新の頃のこの特色は忘れられることが多いが その後も基本的には変わっていない。日本は西欧化に専心する一方で、積極的に<サムライ化>しつつあったのだ。」
 帯刀も髷も廃止され、サムライはいなくなったはずなのに、もともとサムライ出身の明治政府指導者たちは権力を握ったあと列強諸国の圧力に耐えつつ、国を一つに束ねることに懸命にならざるをえなかった。そこで、諸藩の主君にかわって天皇を担ぎ出し、武家諸法度や葉隠れの精神を復活させ、それを全国民におしつけようとした。西欧化とは見せかけで、実は全員をサムライにする道を選んだということになる。
 その証拠に、1880年代、伊藤博文はつぎのように発言している。
 Notre tâche principale aujourd’hui est d’inculquer à la population entière l’esprit de loyauté, de dévotion et d’héroïsme qui était auparavant associé à la classe des samouraïs, et de faire siennes ces valeurs. Aussi devons-nous apprendre aux gens à travailler et à étudier dur pour le bien de leur voisinage et de leur village, et à ne jamais s’aventurer dans des affaires qui mèneraient à la destruction de leur famille.
 「わが政府の主要な責務は、今日、全国民に忠義・献身・勇猛の精神を叩き込むことである。これらは以前は武士階級に結びついていたが、これらの美徳を全国民のものにすることである。したがって、国民に周辺のため、村のために力いっぱい働き、学ぶように教えねばならない。家族の崩壊につながるような危険な仕事にけっして手を出さぬように教えねばならない。」
 この理念が「明治憲法」に結実したことはいうまでもない。著者はこれを踏まえて、政府は全国民にappliquer le « masque de samouraï »「全国民に面頬をつけさせることになった」という。
 その上で、著者はつぎのような批判的結論を導きだす。
A l’époque de Meiji, lorsqu’il décida d’attribuer les qualités des samouraïs à une nation entière, le gouvernement japonais, en banalisant ces qualités dans un tout autre contexte, tomba dans le piège de la schématisation. Car une nation entière ne peut être vertueuse, seul l’individu peut l’être. La vertu imposée sans discernement par le pouvoir politique d’une nation n’est-elle pas un prélude au fanatisme ?
 「明治時代に、サムライの特性を全国民に割りふることに決めた時、日本政府はこれらの特性をまったく別の文脈にひろめてしまったため、図式化のワナにはまってしまった。というのも、国民全体が有徳になりうるはずはなく、そうなれるのは個人だけだからだ。一国の政治権力が分けへだてなく国民に押しつけた美徳、これはファナティズムの始まりではないだろうか?」

東条英機 ※画像をクリックで拡大
 著者はこれに先立って1941年1月に東条英機陸軍大臣の名で全将兵に宛てて出された「戦陣訓」Morale du combatをとりあげている。悪名高い「生きて慮囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」に相当すると思われる箇所の仏訳も添えられている。
 Ne restez pas en vie si vous risquez d’être déshonoré.
 これはまさにファナティズム以外の何物でもない。しかし、考えてみれば、東条を支えたのは「明治憲法」であり、国民全体にサムライ魂をおしつける理念だった。
 いま日本では自民党の「憲法改正草案」が表舞台に出ようとしている。現憲法第9条の「戦争放棄」の改正だけが騒がれているが、問題はそれにとどまらない。「天皇は日本の元首であり」ではじまる第1条、「家族は、互いに助け合わなければならない」とする第24条など、草案のそこかしこには「明治憲法」復活の意図が露骨に見てとれる。その先にはファナテイックな「戦陣訓」が待ちかまえている、それを声を大にして叫びたい。



— 8月号は夏休みで休刊です。次号は9月号となります —


 
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