朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
アレッポの無差別爆撃 2016.10エッセイ・リストbacknext

アレッポの惨状 ※画像をクリックで拡大
 アメリカの大統領選、第3の政党の候補者が、テレビの生放送で話題にあがったAleppo(仏語ではAlep)を知らず、acronyme「頭字語」と勘違いした、と苦しい弁解に追いこまれたという。頭字語とは、「国連」をO.N.U. [ɔny] (Organisation des Nations Uniesの略。英語ではUN)と呼ぶようなもの。この知識を軽視するわけではないが、ことの重大性を思えば、シリア関連情報は今や世界の常識だろう。大国の指導者を志すほどの人物がこの地名に反応できない、これは政治家(アメリカにかぎらない)の劣化が来るところまできた、という証拠だろう。背筋が寒くなるではないか。

 アレッポはフランスのメディアには連日のように登場する。とりわけ注目は、9月27日夜に休戦協定を破る形でロシアがおこなった市内の病院空爆であり、それがアメリカを激昂させたことだ。29日付ル・モンド紙は対IS作戦における米ロ協調路線の危機を報じた。
 Lors d’une conversation téléphonique, le secrétaire d’Etat américain John Kerry a informé son homologue russe Serguei Lavrov que « les Etats-Unis se prépareraient à suspendre leur engagement bilatéral avec la Russie sur la Syrie » si Moscou, allié du régime syrien, ne mettait pas fin aux bombardements.
 「電話会談の際に、アメリカ国務長官ジョン・ケリーはロシア外相セルゲイ・ラブロフに通告した、シリア政権と同盟をむすぶロシア政府が空爆を終わらせないのなら、<合衆国はシリア国内におけるロシアとの双務協定の一時停止を準備するつもりだ>、と」
 A Moscou, le ministère russe de la défense a répondu en évoquant l’envoi d’experts militaires à Genève pour une « reprise des consultations » avec les Etats-Unis. « Nous ne laisserons pas Alep devenir le Guernika du XXIe siècle », a averti de son côté le ministre français des affaires étrangères Jean-Marie Ayrault.
 「モスクワでは、ロシア防衛省がこれに答えて、アメリカとの<協議再開>をめざし軍事専門家をジュネーヴに派遣するとした。フランス外相ジャン=マリー・エノーは彼は彼で<アレッポを21世紀のゲルニカにしてはならない>と警告した。」
 この後、記事は安保理事会における事務総長の発言を紹介する。
 « C’est une guerre menée contre les travailleurs de santé en Syrie » a-t-il dit, rappelant que le droit international oblige à protéger le personnel et les installations médicaux.« Les attaques délibérées contre les hôpitaux sont des crimes de guerre. »Les deux grands hôpitaux de la partie rebelle d’Alep ont été touchés par des bombardements qui sont, selon des ONG et des habitants, des attaques délibérées du régime syrien et de son allié russe pour y annihiler les infrastructures.
 「事務総長は<これはシリアにいる医療従事者に対する戦争です>と発言し、国際法は医療スタッフや施設を保護しなければならないと指摘した。<病院に対する意図的な攻撃は戦争犯罪であります>。アレッポの反政府勢力支配地域にある2大病院が爆撃で被災したが、NGOや住民によれば、アサド政権と同盟国ロシアとが反乱地域のインフラ施設壊滅をめざして企図した攻撃なのである。」

ギュスターヴ・モロー「アプロディーテー」 ※画像をクリックで拡大
 Assad政権vs反政府勢力の争いとは表向きの話にすぎず、じつは米ロ両大国の代理戦争guerre par procuration([英]proxy war)であることがいよいよ前面にでてきた感じだ。
 そこで思い起こすのは、ホメロスHomèreの『イーリアス』Iliadeに描かれたトロイア戦争la guerre de Troie のことだ。あのトロイア軍とアカイア軍Achaïeの戦いは、あくまでも神話上の戦いであり、前者の背後にはアポローンApollon、アルテミスArtémis、アプロディーテーAphroditeが、後者の背後にはヘーレーHéra、アテーナーAthéna、ポセイドンPoséidonがひかえている。その意味では、神々同士の代理戦争なのだ。ホメロスはそれを最大限に活用してあの壮大な叙事詩をくみ立てたのだった。
 顕著な例として、名高いパリスPârisとメネラーオスMénélasの一騎打ちの場面をあげよう。まずパリスが槍javelineを投げるのだが、相手の盾bouclierに阻まれてしまう。メネラーオスの槍は盾を貫きとおしたが、パリスは身をひねって逃れる。メネラーオスが剣épéeを抜いて打ちかかると、剣が砕けてしまう。彼はゼウス父神Zeus Pèreを恨みながら、パリスに踊りかかり、兜casqueの紐courroieを掴んでひきずろうとした。以下に引くのは、Robert Flacelièreの仏訳(プレイヤッド叢書所収 :CHANT III, p.144)である。
 Et Ménélas réussissait à l’emmener, acquérant de la sorte une gloire infinie, si la fille de Zeus, Aphrodite, soudain, ne les eût aperçus. Elle rompt la courroie, faite du cuir d’un bœuf ; l’épaisse main ne traîne plus qu’un casque vide.
 「それで、たぶんは、(この時パリスを)引きずり込んで、たいした名誉をあげることもできたであろう、もしまた例の、ゼウスのおん娘アプロディーテーが、眼ざとく見て取り、力をこめて殺した牛の締め紐を、引っ切ってやらなかったら。それで、がっしりした彼の掌についていったのは、からっぽの兜ばかりだった。(呉茂一訳、世界文学大系「ホメーロス」40頁)<...>
 Mais Aphrodite alors lui dérobe Alexandre ; elle peut aisément le faire, étant déesse ; Elle cache le preux sous un épais brouillard et va le déposer dans sa chambre odorante aux suaves parfums.
「アプロディーテーは、とてもやすやすと、いかにも女神であるのにふさわしく、アレクサンドロス(=パリス)をさらって、たくさんな靄にかくし込み、芳香に満ちた奥の間へつれていって、坐らせておいた。」(同上)
 こうしてパリスは愛するヘレネーHélèneの傍らに戻るのだが、思えば、これほどインチキな一騎打ちはない。敗者の命を救ったばかりか決闘の場から宮殿内の愛のねぐらに連れもどしてしまうのだから。まさにギリシア劇の大団円におけるDeus ex machina「思わぬ救いの神」であり、ゲーム狂なら「デウス・エクス・マキナ降臨」でおなじみだろう。
 アレッポの惨状を知って国連事務総長があげた悲痛な叫び--- 空爆の現場に残るのは « des gens avec des membres arrachés »「手足をもがれた人たち」、 « des enfants qui souffrent terriblement sans répit »「戦慄すべき苦悩に絶えず苦しむ子どもたち」ばかりであり、 « C’est pire que dans un abattoir »「屠殺場よりひどい」---を聞いていると、この声を何とかしてオリンポスの神々に届けたいものと考えてしまう。


 
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