朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

「国籍」とは何だろう?(2) 2020.1エッセイ・リストbacknext

J.Citadelle de La Farrière ※画像をクリックで拡大
 最近は「カリブ海(Mer des Caraïbes, Mer Caraïbe)クルーズ」というのがトレンドらしく、東京発 の便の案内が資力も体力もない私のパソコンにまで届く始末。わがダニー・ラファリエールはその カリブ海にあるハイチの出身である。ところが、『吾輩は日本作家である』の二番目の章La vie debout「立ち歩く人生」(立花訳では「背筋を伸ばした人生」)にはつぎのような一節が出てくる。
 Né dans la Caraïbe, je deviens automatiquement un écrivain caribéen. La librairie, la bibliothèque et l’université se sont dépêchées de m’épingler ainsi. Etre un écrivain et un Caribéen ne fait pas de moi forcément un écrivain caribéen. Pourquoi veut-on toujours mélanger les choses ? En fait, je ne me sens pas plus caribéen qu’un Proust qui a passé sa vie couchée. (p.27)
 「カリブ海に生まれたからというので、私は自動的にカリブ海作家にされる。本屋も図書館も大学も 我先にと私にそんなレッテルを張り付ける。作家で、かつカリブ海の人間だからといって、私はカリ ブ海作家だということにはならない。なんでも一緒くたにしたがるのはどうしてだろう。実際問題とし て、私にはカリブ人だという感覚がない、寝たきりの人生を送ったプルーストのような作家がカリブ 人だと感じないのと同様に。」(26頁)
 余談だが、下線部はne ... pas plus que ...という構文であることを強調するために訳文を変えて みた。立花訳では「実を言えば、私にはカリブ海の人間という意識はみじんもない。生涯ベッドで 過ごしたようなプルーストと比べたって私の方がカリブ人だとは思わないのだ」となっている。
 いずれにせよ、作者はこれほどまで、「私」がカリブ海作家だという言い方に反発している。それ はどうしてなのだろうか。この引用の直後にこう書いていることからして、カリブ海という故郷を嫌っているわけではない。
 J’ai passé mon enfance à courir. Ce temps fluide m’habite.(id.)。
 「少年時代、私はいつも走り回っていた。あの流れる時間がいまでも私に住みついている。」(同上)
 だとすると、彼は何に反発しているのだろうか。
 話を先に進める前に、手元にあるハイチ情報を整理しておこう。
 Républiqued’Haïtiハイチ共和国はコロンブスが発見したîle d’Hispanolaヒスパニオラ島の 西側3分の1(27,750㎢、四国より広いが、九州より狭い)を占めるにすぎない小国だ。しかし、島の残り3分の2を領土とするRépublique dominicaineドミニカ共和国がスペイン語圏にとどまっているのに対し、フランス海外県Guadeloupe やMartiniqueと同様に、フランス語を公用語としている。フランスがスペインから奪い取り、砂糖栽培で収益を上げた時代の証拠なのだろう。
 因みに、国連は公用語として英語・スペイン語・中国語・ロシア語・アラビア語と並んでフランス語 を採用しているが、中国語、英語、スペイン語、アラビア語、ロシア語は当然としても、日本語よりも 使用人口のすくないフランス語が入っているのはなぜか。むろん、安保理事会の常任理事国の一 角をなすからだが、その一方、公用語を検討したla conférence de Bretton Woodsブレトン・ウ ッズ会議の際、フランス語はハイチの一票で辛うじて多数を獲得したことを忘れてはならないだろう。 ともかく、ラファリエールはフランス語の中で育ち、フランス語の達人であることは、前回述べたとお り、アカデミー・フランセーズが彼を会員にくわえた事実が証明している。

Henri le premier d'Haiti ※画像をクリックで拡大
 そもそも彼の苗字Laferrièreが曲者だ。実は、島の北方cap d’Haïtienハイチ人岬の南方15キ ロ、高さ900メートルの山頂にある城塞citadelle La Ferrièreの名と重なっていて、作者とハイ チという国土との結びつきを示す何よりの証拠だろう。この城塞は1804年の共和国独立後、独立 軍の前に敗退したNapoléon軍の来るべき反攻に備えて14年の歳月と2万の人力を投入して築 かれ、2000人の収容力を有し、カリブ海地域最大の規模を誇る。1842年の地震で一部崩壊した が、近年再建され、Parc National Historique---Citadelle, Sans Souci, Ramiers「城塞・サン スーシ・森鳩---国立歴史公園」の中にあってユネスコの世界文化遺産にも登録されている。サンス ーシがプロイセンのFrédéric II le Grandフリードリッヒ2世大王が18世紀にPostdamに建て た大宮殿の名にあやかっていることはいうまでもない。植民地を支配するヨーロッパとの対抗意識 からこの宮殿の造営を命じたのはHenri Christophe(1767-1820)。les Petites Antilles小アン ティル諸島の奴隷の子だった男、それがハイチ独立戦争に参加して武勇を発揮し、総司令官とな った後、1811年にはハイチ王国を興し、アンリ1世を名乗った。以下にその時に名乗った称号を 示す。
 Sa Majesté Henri, par la grâce de Dieu et la Loi constitutionnelle de l’Etat, Roi d’Henri, Souverain des îles de la Tortue①, Gonâve et autres îles adjascentes, Destructeur de la tyrannie②, Régénérateur et bienfaiteur de la nation haïtienne③, Créateur de ses institutions morales, politiques et guerrières, Premier monarque courronné du Nouveau Monde, Défenseur de la foi④, Fondateur de l’ordre royal et militaire de Saint-Henri⑤
 「神威と国家憲法に基づくアンリ陛下、アンリ王、トルチュ①・ゴナーヴなど隣接諸島の君主、圧政の転覆者②、ハイチ国民の再生者にして恩人③、国家の精神的・政治的・軍事的制度の創設者、新世界最初の王政の君主、信仰の擁護者④、聖アンリ騎士団の創始者⑤」
 念のために注記する。①スペイン語ではトルチュガ島。最近では海賊の基地として連作映画の舞台として知られる。②Jean-Jacques Dessalines らとともに宗主国フランスの暴政と戦い、打ち破った。③民族独立はラテンアメリカでは初、アメリカ大陸では米国に次いで2番目。黒人の共和国は初。独立の立役者はデサリーヌだが、彼は英雄から皇帝に変身し1806年に暗殺され、その後の混乱を収束したのがこの人物だった。④英国王Henri VIIIが名乗った称号。因みにハイチはキリスト教、特にカトリック信徒が多い。⑤フランス王Louis XIが創始した騎士団制度。国王が騎士を任命し、勲章を授ける。その後、いくつものordreが設けられたが、今に残るLégion d’honneurもその流れを汲む。
 このアンリ1世王は、9年の後、上記の宮殿で自殺して果てる。その波乱万丈の生涯はNHKの大河ドラマの題材にふさわしいが、世界史上に先例を残したことを考えると、まるでスケールが違う。
 上の称号をよく見返せば、そこには、ハイチのみならず、中南米やアフリカ各地の政治史がそっくり含まれていることに気づく。当初は民衆のリーダーとして宗主国の圧制と戦い、それを打破し、独立を勝ち取るのだが、その英雄が権力の座につき、国家の諸制度を整備したとなると、一転して独裁者と化し、旧大陸の君主たちの模倣をはじめ、最後は民衆を圧迫し、民衆から捨てられる。
 ラファリエールがジャーナリストBernard Magnierと交わした対談を収録したJ’écris comme je vis (2000)『書くこと、生きること』(小倉和子訳、2019)には作者の前半生が生き生きと語られているが、中でも目をひくのは、彼の父も彼自身も、アンリ1世王の流れを汲む独裁者によって国外への脱出を余儀なくされた事実だ。いかに国を愛したにせよ、そこから追い出されてしまう。
 さて、ここまでの整理のあと、あらためて問い直そう。ラファリエールが自分にはカリブ人作家の意識がないといい、さらに『吾輩は日本作家である』という小説を書た理由はどこにあったのか。

 
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