朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
二つの中国 2021.4エッセイ・リストbacknext

毛沢東※画像をクリックで拡大
 二つといっても、中国本土と台湾、ではなく、4月はじめ、わたしが思いがけず同日にネット上で出会った「二つの中国」のこと。
 一つ目はFrançoise Saganの小説Bonjour tristesse『悲しみよこんにちは』(1954年)にかかわる。いうまでもなく、第二次世界大戦後のフランスを代表するヒット小説だが、舞台は南仏Côte d’Azurの夏の別荘地、いってみれば『太陽の季節』のフランス版であり、共産主義国として建国して間もない中国とはおよそ縁がない。それなのに、どうして、関わりが出てきたのか。
 小説は17歳の少女Cécileの一人称で語られる。「私」は父の最近までの愛人Elsaに向って、「父が亡き母の友人Anneの術中にはまり、結婚しようとしている。それを阻止したい」と持ち掛ける。そして、Aidez-moi<助けて>という。その後に、間をおいて付けくわえた文句が« …et pour les petits Chinois. »「…それが可哀そうな中国の子どもたちのためになるのだから」だったのだ。懇願の意味をつよめるつもりなのだろうが、唐突すぎる。それを察した邦訳者、朝吹登水子女史は「昔中国に飢饉があったとき、パリの往来で人びとが寄付を集めたときの言葉でしばしば悪用された」という註をつけた。尤もに思えるが、もうひとつ腑に落ちない。
 さっそく、ネットを検索した。すると、énigmes saganiennes「サガンの謎」として質問を呈した人がいて、それに対する回答がいくつも出ている。どうやら、世紀のあらたまった今では、フランス人の間でも通じなくなった表現らしい。
 回答は大別して2種類。一つは、人にものを頼む時、相手の情に訴えて pour l’amour de moi「後生だから」という場合、そこに今の一句を使う時代があったらしい。
 Je suis la dernière génération à avoir entendu : « finis ta soupe, pense aux petits Chinois », à quoi l’une de mes cousines répondit : « Mais si je finis ma soupe, cela ne donnera pas à manger aux petits Chinois »
 「わたしは<スープを全部飲んじゃいなさい、後生だから>というのを聞いた最後の世代です。従妹のひとりは、親のこのコトバに答えました。<このスープを飲んだからって、かわいそうな中国の子どもたちに食べ物を送れるわけじゃないわ>」
 セシルの言葉はこの回答で説明がつく。このオマセな子らしい皮肉をこめたものだろう。
 ついでだから、もう一つの回答にも触れておく。それは文字通り、カトリック教会によるune collecte « pour les petits Chinois »「中国孤児向けの募金」に結び付けるもの。Œuvre Pontificale de l’Enfance missionnaire「児童援助慈善事業」は現在も活動している。
 Dans les années 50, dans les familles catholiques on conservait les capsules d’alminium des récipients en verre du lait et du yaourt pour sauver les petits Chinois. C’était, je crois, pour financer les orphelinats dans les pays du tiers-monde(Chinois au sens large).
 「1950年代、カトリック教徒の家庭では、中国の子どもを救うために、牛乳やヨーグルトのガラス容器のアルミの王冠を集めたものだった。思うに、第三世界(広義の中国人)の孤児院の資金援助のためだっただろう」
この回答者が中国を第三世界の一つに数えていることに注目しよう。その当時の中国は現在の中国の姿からは想像もつかぬ惨状にあったのだ。

バイデン大統領と菅首相 ※画像をクリックで拡大
 その意味では、その惨状にある中国人民を救おうとして戦った毛沢東の存在に目を向けざるをえない。
 「サガンの謎」からは離れてしまうが、同じ成句にDictionnaire des mots surannés「時代遅れ語句辞典」が加えた説明が興味を引く。
 Ils étaient forcément malheureux, là-bas, à l’autre bout de la route de la soie, dans ce lointain empire où les petits livres étaient rouges et les petites filles abandonnées à la naissance.
 「彼ら(中国の子どもたち)はシルクロードの向こうの端の遠い帝国で極貧状態にあった。そこでは、小冊子は赤く、幼い娘たちは生まれながらに捨てられていた」
 挿絵として、紅旗を掲げて行進する群衆を背景に微笑する毛沢東の姿、と『語録』の1節(中国語と仏訳)Le chocolat est l’opium du peuple »「チョコレートは人民の阿片である」が引用されている。文中の「赤い小冊子」は『毛主席語録』のことに違いない。中華人民共和国建国(1949年)から文化革命にいたる時期に聖書のように読まれ、日本にも紹介された時代が想起される。
 他方、女児の箇所の記述には「Tintin reporterの報告による」という註があるから、例のタンタンものに根拠があるのだろうが、どこまで信用していいものか。とにかく、同辞典の記述はこのように続いている。
 Mais on ne les laisserait pas tomber, et quitte à risquer la crise de foie, on parviendrait à les sauver (du commusisme). On était prêt à tout pour les petits Chinois. Animées par cet élan de solidarité, des centaines de milliers de familles de France et de Navarre conservèrent ainsi, des années durant, le papier aluminium des tablettes de chocolat :pour les petits Chinois. Et quand il s’agit d’aider en mangeant, on peut compter sur notre beau pays. Et même s’ils sont un peu plus d’un milliard, nous y arriverons !
 「しかし、子供たちを死なせるわけにはいかないだろう、肝臓を悪くするのを覚悟して、彼女たちを(共産主義から)救出」するのだ。<かわいそうな中国の子供たちのためには>何でもやる覚悟だったのだ。この連帯意識の高まりから、数十万のフランスとナヴァラ州の家庭は、何年にもわたって、 チョコレートの包装紙を貯めたのだった<かわいそうな中国の子供たちのために>。それに食べることで援助ができるとなれば、わが美し国は頼りになる。相手が10億以上いたって、やり遂げるだろうさ!」
 サガンの一句からすっかり脱線してしまったが、ここで強調したいのは、インターネットの怖さということ。つまり、時を同じくしてわたしは中国が上記のような憐れみの対象とは違って、というかまったく逆に、脅威の対象になったことを知らせる情報に接したことである。その代表が日米首脳会談の成果をつたえるニュースだった。Le Monde紙の表題にはこうあった。
 Joe Biden et Yoshihide Suga affichent leur unité face au défis chinois.
 「ジョー・バイデン大統領と菅義偉首相は中国の挑戦に一致して対決することを誇示」
 今や中国は、首位と3位が手を組まねば対抗できぬほどの強国になったということであり、アメリカをそこまで追いつめたということだろう。この点について、次回、例証をあげて補足しよう。


 
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