朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
「モルグ街の殺人」(4) 2022.5エッセイ・リストbacknext

大鴉
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 ボードレールもいうように、ポーは小説家である以前に、詩人であった。前回も参照した『マルジナリア』にしても詩への言及が多い。中でも注目はrhyme「押韻」を論じた文章だ。彼は詩句の末尾に拘る伝統に飽きたらず、strangeness「奇異さ」の必要を感じ、「完璧な押韻はequality<均等>とunexpectedness<予想外>との結合によってのみ得られる」とする。定型が嫌いな彼は、新鮮さ、奇抜さを求めてこそ、独創性が生じ、霊的な美に達する、と考える。
 それにしても、「均等」はともかく、「予想外」とはどういうことか? ポーは自作The Raven([仏]Le Corbeau)「大鴉」3節冒頭の1,2行を用いて説明する。以下、ボードレールの仏訳、加島祥造の和訳を添える。

  And the silken sad uncertain rustling of each purple curtain
 Et le soyeux, triste et vague bruissement des rideaux pourprés
 「紫の絹のカーテンが頼りなげに悲しげに風にゆれて」
 目で見れば1行だが、人の耳は音につられて2行に分けて聞く。(assonance「半諧音」)

 And the silken sad uncertain
 Rustling of each purple curtain

 これですでに半ば「予想外」だが、次の2行目では、リズムが変わり、聞く者は「予想外」の音に虚をつかれて、そこに美が生まれる、とポーはいう。

 Thrilled me--- filled me with fantastic terrors never felt before;,
 me pénétrait, me remplissait de terreurs fantastiques, inconnues pour moi jusqu’à ce jour;
 「そのたびに私は戦慄した---
 これまで覚えたことのない恐れに
 心は異常な恐怖に満たされた---」

   因みに、仏・和両訳は文意を汲むことに懸命だが、反面、原詩の押韻による音楽的効果は諦めた格好になる。読者はYouTubeを利用して朗読に耳をすまし、ポーの意図を確認してほしい。
 本題に戻る。「モルグ街の殺人」から離れてしまったように見えるが、この押韻論に明らかな、聴覚への関心、「異様さ」「意外さ」への執着が、そのまま、この短編ミステリーのキーになっていることを見逃してはなるまい。仏訳にあたったボードレールがHistoires extraordinaires『異常な物語集』と命名したことも頷けるところだ。
 モルグ街で殺人事件のあった部屋から聞こえた声に関する証言に注目しよう。最初がgendarme「(警察業務を担当する)憲兵」のIsidore Muset(ポーはMusètとしているが、フランス人の姓としては誤記だ)。「最初の踊り場に着いたとき、大声の、怒ったような声を二つ聞いた」以下、原文、仏訳(ボードレール)、和訳(丸谷才一)の順に記す。
 the one a gruff voice, the other much shriller---a very strange voice. Could distinguish some words of the former, which was that of a Frenchman…The shrill voice was that of a foreigner…Could not make out what was said, but believed the language to be Spanish.
 l’une, une voix rude, l’autre beaucoup plus aiguë, une voix très singulière. Il a distingué quelques mots de la première, c’était celle d’un Français…La voix aiguë était celle d’un étranger…Il n’a pu deviner ce qu’elle disait, mais il présume qu’elle parlait espagnol.
 「第一の声は荒々しく、第二の声はそれよりもっと鋭い異様な声であった。声の主はフランス人だった。…鋭い声のほうは外国人の声であった。…何を言っていたのか判らないが、言葉はスペイン語のような気がする」
 二番目は銀細工師のHenri Duval。彼は鋭い声の主はイタリア人であろうと考える。イタリア語の知識はないが、intonation「抑揚」から推して、イタリア語だと断定する。
 三番目は料理店主のOdenheimer。アムステルダム生まれでフランス語ができないため、通訳を介した証言になるのだが、問題の声の主はフランス人だと言った。
 四番目は洋服屋のWilliam Bird。英国人で、パリに来て二年。問題の声は英国人の声でないことは確か、ドイツ語のようだった、と証言。ただ、ドイツ語は話せるわけではない。  こうして、隣家の物音に関する証言は四人四様だが、いずれも隣室の人間が外国のコトバを発しているという点で、一致している。しかし、まさにそこに落し穴があった。

アポリネール
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 周知の通り、この「声」の主は人間ではなく、Ourang-Outangであり、それが「犯人」だったという形で決着する。ポーは聞き手の耳を目当てに詩作にはげんでいる。それだけに、人間の耳がいざ となると、当てにはならない、それを熟知していたからこそ生まれたトリックと言えるだろう。
 さて、壁越しに聞こえる外国語、そこに目をつけた名コントといえばApollinaireのLes Souvenirs bavards「饒舌な回想」だ。彼は20世紀初頭のフランスを代表する詩人で、日本ではPont Mirabeau「ミラボー橋」の作詞者として名高い。本作の舞台はロンドン。「私」は旅行者として、とあるboarding-house「下宿屋」を探し当て、眠りに落ちた。
 ところが、明け方、le bruit d’une conversation qui avait lieu dans la chambre voisine.「隣室で起こった会話の音」で目を覚ます。アメリカ西部訛りのある英語だが、中身は理解できた。それは男女間の痴話げんかだった。

« Olly, pourquoi être partie sans me prévenir : pourquoi ? pourquoi ?
--- Pourquoi, Chislam ? Parce que mon amour pour vous eût entravé ma liberté et qu’elle m’est plus chère que l’amour.
---Ainsi, blonde Olly, vous m’aimiez et cet amour est cause que je vous ai perdue ?
---Oui, Chislam, j’eusse fini par céder à vos instances et je vous eusse épousé. Mais en le faisant, c’est à mon art que j’aurais renoncé.
---Sauvage Olly, je vous attendrai toujours.(Les Souvenirs bavards, Le Poète assassiné
 「オリー、なぜ出て行っちゃったんだ、断りもなしに、なぜ、なぜなんだ?」 「なぜですって、チャイスラム。あなたを恋していると、自由の妨げになってしまう。でも、わたしには恋より自由の方が大切なんですもの」 「じゃあ、金髪のオリー、ぼくを愛していたのに、その愛のせいで君を失ったことになるのかい?」 「そうなの、チャイスラム。あなたの懇願に負けていたら、結婚することになってたでしょう。でも、そうしたら、私の芸を捨てることになる」 「つれないなあ、オリーは。いつまでも待っているよ」(「饒舌な回想」『虐殺された詩人』所収)  ところが、騒ぎは一晩ではすまなかった。西部訛りはかわらぬが、次の明け方はCriquetteとフランス語で、さらに翌々日はLocatelliとイタリア語で、最後はもう一人別のチャイスラムと米語での会話、と続いた。さすがに業を煮やした「私」は、壁を叩いて怒鳴った。
 « Gentlemen, il se fait tôt ! il est temps de dormir. »
「お隣さん、まだ早朝だぞ!眠る時間だ」
 結局、隣室の主はChislam Borrowという往年の名コメディアン。西部生まれのヤンキーだが、今はロンドンの下宿屋に隠棲して3年、得意のventiloquie「腹話術」による元恋人との会話で孤独を紛らしている、という落ちがつく。「壁越しの聞き取り」という点では同工だが、この結末から見て、あの世のポーがこの作品を知ったとしても、「剽窃」という疑いをかける心配はなさそうだ。

 
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