朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
ウクライナ戦争 2022.7エッセイ・リストback|next

プーチン大統領
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 西側からの支援でUkraineが抵抗しているが、RussieはDonbas全域占領に前進している。経済制裁とその評価をめぐって世界が分裂、エネルギーなど物価が上昇、戦争も長期化の気配だ。どうやら私たちはとてつもない大事にまきこまれてしまったようだ。事の本質をどう見るか。
 「フィガロ紙」(7月6日付)はフランスの高名なpsychiatre et psychanalyste「精神分析医、精神分析学者」Marc Hayatとの対話記事を載せた。これは上の疑問に直接答えたものではないが、アヤトの診断結果から、興味深いと思った点を三つ、以下に紹介したい。
 一つ目は、プーチンの独裁体制のこと。
 Il lui[au peuple russe] parle de l’identité russe, de la grande Histoire de la grande Russie, de sa victoire sur l’Allemagne nazie au prix de tant de morts, de souffrances, d’atrocités. Il a anéanti les institutions, la Douma n’est plus qu’un Parlement fantoche.
 「彼はロシア国民に説きます、ロシア人としてのアイデンティティを、大ロシアの偉大な歴史を、かくも多くの死者・苦難・残虐行為という代償を払って勝ちとったナチス・ドイツへの勝利を。彼は既成の制度を全廃しました。議会は存続していますが、傀儡議会にすぎない。彼は国民との関係において第三者を一切合切すべて排除してしまったのです」
 ここまでは既知のことばかりといってよいが、精神分析医らしい見方はここからはじまる。
 Ainsi se constitue une citadelle assiégée avec le sentiment de persécution. Le secret est de règle. Qui plus est, c’est la vérité qui est taboue.
 「こうして迫害を受けているという感情とともに籠城の体制ができあがります。秘密保持が慣例となります。加えて、真実こそがタブーになるのです」
 NATOとりわけアメリカから攻め込まれる危険を国民に訴え続けるプーチン大統領の偏執狂的なしつこさを想起しよう。他方、大統領がウクライナへの侵攻を「特別軍事作戦」と呼び、親ロシア派解放の名のもとに侵略を正当化すると知っても、彼への支持をつづけるロシア国民の頑迷さを想起しよう。アヤトはこれを一組のカップルとみて、次のように言う。
 Vladimir Poutine est dans ce lieu de séduction narcissique réciproque avec le peuple russe.
 「ウラジーミル・プーチンは、こうしてロシア国民と相互に自己愛的に誘惑しあう場にいるのです」
むろん秘密や嘘という悪条件は軽視できない。しかし、こうして指導者と国民とが相思相愛的な関係にあるという指摘は重大だ。ロシアの国内で、内乱やクーデタが起らぬのが不思議という議論をよく耳にするが、この指摘に従うなら、見当外れの徒な期待にすぎないことになる。
 アヤト診断の怖さはそれにとどまらない。
 二つ目は、ロシアであれ、どこであれ、21世紀に生きているのはhomme limite「リミット人間」だという指摘である。
 Cet homme limite n’est pas névrosé comme l’étaient ses pères. Il n’éprouve pas de sentiment de culpabilité, il n’a pas le sens de l’avenir. Il vit dans le présent et l’action. Par analogie avec ce type de fonctionnement individuel, on observe que dans la société limite post-moderne, on passe du tout est permis au tout est possible.
 「このリミット人間は父の代の人間のようにノイローゼにかかってはいません。彼は罪悪感を覚えることはなく、未来を意識することもない。現在と行動のなかで生きているのです。この個人の行動パターンから類推するなら、ポスト・モダンのリミット社会のなかで暮らす人間は、<すべては許される>から<どんなこともあり得る>へと移行したといえます」
 この記述の根底には、<父の代>すなわち近代の思想を批判したGilles Deleuse, Félixe Guattari:- L’Anti-Œdipe 『アンチ・オディプス』(1972)に代表されるポスト・モダン思想が控えていると察せられるが、詳しいことは棚に上げる。とりあえず、<すべては許される>は人間の理性に絶対的な信頼を寄せた近代合理主義の要約であり、<どんなこともあり得る>は理性ではカヴァーできぬ現実に気づいたポスト・モダン思想が内に抱える不確実性を指す、としておく。その上で、アヤットの診断が冷たく、暗いことに驚く。彼は、リミット人間はプーチン的独裁者の支配にやすやすと服するし、それを知るプーチンは密な関係を持つ国民から成るロシアをモデルにして、未来のヨーロッパを思い描いている、とまで言うのだ。
 さらには、リミット人間はフランス(むろん日本にも)にもいる。la faible participation aux élections「国政選挙での投票率の低さ」が証拠だと、アヤトは言う。そして、民主主義はプーチンに抵抗できるのか、という問いに答えて力説する。それが三番目のポイントだ。
 Cette relation forte entre le dirigeant et son peuple manque cruellement aux démocraties européennes. Les dirigeants européens doivent absolument parler d’histoire aux Européens, comme Vladimir Poutine parle d’histoire aux Russes!
 「この[ロシアにおけるような]指導者と国民の間の強い連携は、現代の民主主義国にはひどく欠けています。ヨーロッパの指導者たちはヨーロッパ人に向って、何としても、歴史を話題にすべきです、ウラジーミル・プーチンがロシア人に歴史を語っているように」
 面白いのは、アヤトがマクロン大統領に反対していることだ。それというのも、大統領選挙を通じて、EUからの脱退を主張する極右のMarie Le Penを意識するあまり、マクロン大統領がことさらEU優先の立場を強調しようとしたからだ。
 Il n’est pas acceptable qu’Emmanuel Macron, président de la France, puisse dire: il n’existe pas d’identité française. C’est dire au Français qui l’écoute:tu n’existes pas. De quoi le rendre fou, furieux. <…>Il raconte aux Français une histoire européenne, mais c’est une histoire plate, technocratique, une histoire d’euro.

100ユーロ紙幣
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 「エマニュエル・マクロンが、フランス大統領のくせに、<フランス人としてのアイデンティティなるものは存在しない>などと発言できるなんて、容認できません。それは彼の意見に耳を傾けているフランス国民に対して<お前は存在しない>と言うことになります。これでは相手はかっとなり、いきり立ってしまいます。<中略>大統領はフランス国民に対してヨーロッパの歴史を説きます。しかし、それは平板でテクノクラート的な歴史です、ユーロの歴史です」
 因みに、ユーロ紙幣には各時代の特色を示す建築物の画像が印刷されている(10ユーロ札がロマネスク、100ユーロ札がバロック=ロココのように)が、画像は架空のものに限られていて、実在の建物はもちろんのこと、ある特定の国に由来することを思わせる画像さえも禁忌とされている。
 アヤトはあくまでフランス史に執着する。精神分析医というより、フィガロ紙好みの愛国者の見解だ、というべきかもしれない。

— 8月号は夏季休暇につきお休みです。次回は9月号になります。 —
 
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