朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
日本は救い主? 2023.04エッセイ・リストbacknext

パリのラーメン店
Kodawari Yokocho. 29,rue Mazarine (6e)
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 年金制度改革ではげしい対立がつづいているフランス。Macron政府は法案成立に漕ぎつけたものの、デモや交通機関のストライキなどの波がおさまる気配は見えない。
 le Figaro紙の論説委員でLa France qui tombe---un constat clinique du déclin français 『落ちゆくフランス――フランス衰退の臨床報告』という著書もあるNicolas Baverezは2月19 日付の時報欄に書いた。
 (Le projet de réforme des retraites) symbolize la paralysie d’institutions incapables de gérer les crises alors qu’elles furent conçues pour cela. La nouvelles ère ouverte par la guerre d’Ukraine relance les Etats-Unis mais donne le coup de grâce à la France qui, plus que l’Italie,, est l’homme malade de l’Europe.
 「(年金制度改革法案)は、そもそも危機を収めるために構想されたものなのに、それが出来ない制度そのものの麻痺状態を象徴している。ウクライナ戦争によって始まった新時代は米国を再興させているのに、フランスには止めの一撃になり、この国は今やイタリア以上に、ヨーロッパの病人になりさがった」
 因みに、「ヨーロッパの病人」は第一次世界大戦前のオスマン帝国、最近では財政危機で破綻に瀕したギリシアやイタリアに着せられた汚名である。
 どうやら、フランス社会はどん底の状態にあるようだ。そのあげく、人々は起死回生の策を求めて躍起になっているのではないか。そんな推測に弾みをつけるかのように、このところ同紙の紙面に「日本」を推奨する記事が目立つように思う。ここでは二つ紹介しよう。
 一つは4月13日付で、日本料理に関するもの。
Sushis, gyozas, ramens, mochis:les 15 plats signatures de la cuisine japonaise à goûter à Paris
 「寿司、餃子、ラーメン、餅:パリで賞味すべき日本料理の看板料理15」
 余談だが、日本の料理名に複数のsが添えられていることに注意したい。一昔前は、cent yen「100円」のように外国語として扱われ、euros, dollarsとは違ってsをつけない決まりだった。
 それはさておき、筆者はSi elle compte parmi les favorites, la cuisine nipponne est trop maltraitée.「愛好家の間では重要視されているが、一般的には日本料理の評価はあまりに低すぎる」として、Les gyouzas du Gyouza Bar(2区)、Les donburis de Peco Peco (9区)など15店をくわしく紹介している。
 もう一つは 大の日本贔屓として知られるベルギー女流作家Amélie Nothombのインタビュー記事。ベルギーの外交官の娘として神戸で生まれ、5歳まで日本で育ったあと、祖国に戻ったが、20歳すぎに再来日、三井物産に就職。その体験をもとに書いた自叙伝的小説Stupeur et tremblements (1999)『畏れ慄いて』(邦訳名)で、日本特有の前近代的な人間関係を活写し、旋風をまき起こした。日本では誇張が過ぎるとして物議をかもしたが、欧米では評価が高く、フランスのアカデミー・フランセーズ文学大賞を受賞した。
 東日本大震災の後で書いたLa Nostalgie heureuse(未見なので、とりあえず『幸せな望郷心』と訳しておく)では次のように述懐しているという。
Le Japon m’a plusieurs fois sauvée et j’ai à nouveau besoin d’être sauvée par le Japon, qui a ce pouvoir guérisseur.
 「日本はわたしを何度も救ってくれた。そして今またしても救われたいと思っている。日本はそういう治癒力を備えている」
 フィガロ紙は彼女に日本の良さを語らせようとした。
 以下の答えで彼女は日本生まれの特性を最大限生かそうとしている。われわれからすると目新しいことはないが、フィガロ紙の読者一般はルノドー賞作家の高説として受け止めるだろう。そのつもりで、読んでいただきたい。
 「Dans une situation de conflit, je suis perdue, alors que les Français adorent ça. Ils s'opposent sur leurs opinions, surtout à table : tout de suite, il y a une controverse, le ton monte et chacun y va de son petit morceau d'éloquence. Dans ces cas-là, je suis une vraie Japonaise : je deviens toute petite parce que là-bas, ce que l'on recherche, c'est l'harmonie. Si vous vous apercevez que votre voisin de table ne pense pas comme vous, vous prenez bien garde à ne pas l'offenser.
 On a observé que le fait de déménager, au Japon, entraînait souvent chez les gens l'adoption d'une nouvelle religion : il ne s'agit pas du tout d'abjurer la précédente, mais s'ils découvrent par exemple, que leur nouveau voisin est catholique, ils vont se convertir pour ne pas le mettre mal à l'aise.
 「意見が対立してくると、わたしは途方に暮れてしまいます。フランスの人たちはそれが大好きなのに。彼らはめいめいの意見を武器に対決します。とりわけ食卓ではそうです。たちまち、論争になります。語気が高まって、めいめいがなけなしの雄弁力を賭けて争います。そんな場合、わたしは本物の日本人になります。つまり、小さくなってしまうのです。なぜなら、あの国では、皆が求めるものは、和だからです。隣の人が自分とは違う考えを持っていることに気づいたら、あなたはその人を傷つけないように十分に用心するものなのです。
 気づいたことがあります。日本では、引越しをすれば、周りの人たちに合わせて宗旨替えすることになるのがしばしばです。でも、まったく元の宗教を捨てるわけではありません。たとえば、引越し先の隣家がカトリック教徒であると知れば、彼らはカトリックに改宗して、相手に気まずい思いをさせまいとするのです」
 ここで、堪りかねたインタビュアーが「一生の間にいろいろな宗教に変えていくという話だが」と水を向けると、彼女は平然と答える。
 Il ne s'agit même pas d'en changer : il s'agit de les cumuler. Par exemple, aujourd'hui, les Japonais naissent dans le shintoïsme, se marient dans le catholicisme parce qu'ils trouvent ça plus rigolo, la grande robe blanche, etc., et meurent dans le bouddhisme zen. Il ne s'agit pas du tout d'opposer les croyances de sa naissance, de son mariage ou de sa mort. Mais de les aménager afin qu'elles fassent bon ménage. Je trouve que c'est un exemple de tolérance sur lequel nous devrions méditer.

Amelie Nothomb
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 「別に変えるのではありません。いろいろな信仰を併せ持つのです。たとえば、現在、日本人は神道を信じて生まれますが、その方が面白いというので白いドレスでカトリック式に結婚式をあげ、そして死ぬときは禅宗の教えに従います。でも、生誕、結婚、あるいは死、各時期の信仰を対立させているわけではありません。そうではなくて、うまく調整して、折り合いをつけているのです。わたしが思うに、これは寛容さの一例で、わたしたちはよくよく考えてみるべきでしょう」
 さしあたり見解の当否は問わない。肝心なのは、この日本的「寛容」にすがるように求められていることだ。フランス人はここまで追いつめられたと見るべきなのだろうか。



 
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