朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
郷に入っては郷に従え 2024.1エッセイ・リストbacknext

「ダイアナとアクテイオン」(チェザーリ作)
※画像をクリックで拡大
 新年早々、古い諺を持ち出したが、そのわけは今に分かる。発端は他愛もない出来事だったのに、とんでもない大事に発展した。その「出来事」とは何か?フィガロ紙はこんな見出しをつけた。
 Une professeure harcelée pour avoir montré un tableau de femmes nues
 「女性教員、裸婦の絵を見せたというので、吊し上げをくらう」
 harcelerという単語は「セクハラ」harcèlement sexuelで今やおなじみだが、そもそも「執拗に」というところが語義の軸になる。例えばharceler qn de coups de téléphone「しつこく電話をかけて人を悩ませる」という用例が示すように。ただ「学校の先生を虐める」という話題自体は珍しくない。不思議なのは、虐めをもたらした動機だ。思わず記事に誘いこまれてしまう。
 Ce lundi 11 de décembre, plusieurs professeurs du collège Jacques-Cartier à Issou, dans les Yvelines, ont exercé leur droit de retrait.
 「12月11日、イヴリーヌ県、イスーのジャック=カルチエ中学校の教員数名が撤退権を行使した」  とりあえず撤退権と訳したところについては説明がいる。拠り所はCode du travail「労働法典」のIII Droits d’alerte et de retrait「(第1部第1巻)第3編、警告・撤退権」のL4131-1条で、そこにはこう記されている。
 Le travailleur alerte immédiatement l’employeur de toute situation de travail dont il a un motif raisonnable de penser qu’elle présente un danger grave et imminent pour sa vie ou sa santé ainsi que de toute défectuosité qu’il constate dans les systèmes de protection.
 「労働者は事業者に対し、自らの生命、身体の安全に関する重大かつ差し迫った危険を示していると考える合理的な理由を有する労働環境、ならびに、保護体制の中に認められる一切の不備をすみやかに警告するものとする」
 「これに続いて、労働者はそうした職場から撤退してもいいこと、事業者は職場復帰を求められないことが規定されている。
上記の記事に関係づければ、「労働者」は中学校教員、「労働環境」は中学校、「事業者」はle Ministère de l’Education nationale「文部省」と地方自治体となる。
 因みに、イヴリーヌはパリの西郊に位置し、Versailles宮殿を擁する県で、その北方にあるイスーはパリ近郊の保養地として知られ、Monetの名とともに名高いGivernyの庭園からも近い。
 こうして閑静な土地の中学校であるはずなのに、当該の教員のみならず他の数名までもが合法的に「欠勤」する事態にいたった。この「出来事」を記事は次のように綴っている。
 Ils assurent se sentir « en danger » après qu’une enseignante de français a montré à sa classe une œuvre d’art présentant cinq femmes nues. Alors que les cours ont été suspendus ce lundi, le minsitre de l’Education nationale, Gabriel Attal*, s’est rendu sur place dans l’après-midi, accompagné du sous-préfet, pour s’entretenir avec les personnes de l’établissement.

イスー、撤退権をめぐる騒動
※画像をクリックで拡大
 「教員たちは、国語教員が授業中に5人の裸婦を描いた芸術作品を提示した後、<身の危険>を感じたことを確言している。当の月曜日、学校が休校になる中で、ガブリエル・アタル文部大臣*は午後、副知事と共に現地に赴き、学校関係者と意見を交わした」
 事は文部大臣をまきこむにいたった。それにしても、一体全体、何があったのか。
 Les faits remontent à jeudi dernier. Pour mieux appréhender un texte étudié en cours, la professeure de français à ses élèves de 6e le Diane et Actéon du peintre maniériste italien Giuseppe Cesari. Cette œuvre du XVII siècle illustre un passage des Métamorphoses d’Ovide. On y voit Actéon, puni d’avoir surpris Diane et ses Nymphes nues : la déesse chaste, qui châtie tous les hommes tentant de la séduire, transforme Actéon en serf.
 「事は前の木曜日にさかのぼる。国語の女性教員は、授業中の教材の理解を深めるため、1年生の教室でイタリアのマニエリスム画家ジュゼッペ・チェザーリの『ディアナとアクタイオン』を見せた。この17世紀作品はオヴィディウスの『変身物語』の一節を描いたもので、裸形のディアナとニンフたちの姿を見た廉で罰を受けたアクタイオンがいる。森と狩の女神ダィアナ(ローマではアルテミス)は純潔を誇って、誘惑を試みる男たちを片端から罰してきたのだが、(この時は道に迷った挙句、泉で水浴中のダィアナたちを覗き見る形になった)アクタイオンを鹿に変えてしまったのだ」
 古代ローマの詩人オヴィディウス作のこの物語は多くの画家を惹きつけてきたが、中でもチェザーリのタブローは有名で、ルーヴル美術館に展示されている。裸婦の白肌と若者の浅黒い姿とを不自然なまでに対比させていて、いかにもマニエリスムの作品らしい。とはいえ、肝心のディアナは後ろ向きに描かれているし、女神をかばおうと立ち騒ぐニンフたちにしても猥らな感じを与えることはない。ところが、何人かの生徒たちは別の反応を示した。
 Plusieurs élèves se sont alors révoltés, assurant être « choqués » par la vision de ces cinq femmes en tenue d’Eve. Ils auraient également accusé leur professeure de racisme, estimant qu’il s’agissait d’une provocation de la part de l’enseignante qui aurait voulu viser ses élève de confession musulmane en leur montrant des femmes nues.
 「すると、数人の生徒たちが憤激して、こんなイヴの姿をした5人の女性を見せられて<ショック>だと言った。彼らは同様に、裸婦を見せることでムスリム生徒を狙った挑発行為だと判断して、先生は人種差別主義者だと非難したかったようだ」
 たしかにCoran『コーラン』24章30節は男の信者たちに「女をじろじろ眺めるな」と戒め、同31節にしたがい、女性がヒジャブの着用を求められることはわたしたちでさえ承知している。ましてや、イスラム教徒の数が増え続けるフランスの公立学校の教員としては、人種差別に陥らぬ配慮を怠るはずがない。しかし、教室で「泰西名画」の一点を見せただけで難癖をつけられるとは晴天の霹靂で、「先生」の身になってみれば、「郷に入っては郷に従え」A Rome, fais comme les Romains.と怒鳴りつけたいところではなかったか。
 それにしても「撤退権」行使は過剰反応ではないか、そんな疑問を抱く向きがあるかもしれないので付言するが、フランスでは中高教員の刺殺事件が頻発していることを指摘せねばならない。2021年の高校歴史教師刺殺事件はあまりにも有名だが、それに遡るまでもなく、ハマス対イスラエルの戦争直後、イスラム過激派が中学を襲撃して教員を殺害したばかりで、教員全員が多かれ少なかれ不穏な空気に包まれていることを酌量すべきだろう。
 事件のその後の成り行きは知らない。ただ、「移民の要求」をどこまで尊重したらよいのか?この出来事はその問いに早急な解答を出さねばならぬことを示しているのだろう。
 *年頭の内閣改造の結果、首相に抜擢された。


追記  200回を超える既往のコラムの一部を選んで、紙媒体の冊子を作りました。題して「ア・プロポ――ふらんす語教師のクロニクル」。Amazon, 楽天ブックス三省堂書店(WEB)などオンラインショップで販売中です。
 


 
筆者プロフィールback|next

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c)NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info