朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
パリの魂 2025.9エッセイ・リストback|next

サン=ミシェル大通りの寂れ方 ※画像をクリックで拡大
 BaudelaireがParis change!「パリは変わる!」と嘆いた動機は、Hausssmann知事主導の大々的な都市改造だった。私たちの知るパリの町並みはこうして出来上がったのだが、1世紀半後の今もむろん「変化」はつづいている。フィガロ紙(7月5日付)は報じた。
 « Le boulevard Saint-Michel a perdu son âme », lâche Jean-Robert Pitte, désabusé. L’ancien président de la Sorbonne, qui a étudié, travaillé et habité toute sa vie dans le Quartier latin, ne cache pas sa lassitude alors que les bistrots et les librairies ont quasiment disparu de cet axe historique de la rive gauche… Aujourd’hui n’y subsistent que quelques adresses emblématiques comme les librairies Boulinier et Gibert Josephe, seuls vestiges de ce que fut ce quartier culturel, à quelques encablures de la célèbre université et de ses bibliothèques voisines.
...「『サン=ミシェル大通りは魂を失ってしまった』と、ジャン=ロベール・ピットは幻滅のあまり、溜息をついた。生まれてからずっとカルチエ・ラタンで学び、勤務し、暮らして来た元ソルボンンヌ総長は、この左岸の歴史的中核からビストロや本屋が半ば消滅してしまった今、がっくりきたことを隠さない。<中略>今も生き延びているのは、ブリニエやジベール・ジョゼフのような象徴的な数店にすぎない。これだけが有名な大学や近在の図書館をもつ文化地区だった場所の遺物なのだ」
 « J’ai passé le bac en 1966. A l’époque, c’était extraordinairement vivant, les étudiants allaient au bistrot, achetaient des livres et des vêtements dans les magasins du quartier »,se remémore l’illustre professeur. .. « Les étudiants n’y haibient plus, viennent même de très loin, et ne prennent plus le temps d’y flâner. »
 「『私は1966年にバカロエアに合格した。その頃はおそろしく生き生きていたものだ。学生らはビストロに通い、界隈の店で本や衣服を買ったものだ』と名教授は回想する。<中略>『学生らはここにはもう住まなくなったばかりか、遠方から通ってくるから、この辺をぶらつくヒマもないのだ』」
 教授が言う通り、学生の変化が町の変貌を促進させたことは頷ける。しかし、この記事が興味をそそるのは、épidémie de commerces vacants「空き店舗の蔓延」に目を向けている点だ。
 …une récnte étude de l’Atelier parisien d’urbanisme (Apur), commandée par la ville de Paris, pointe un taux de vacance commerciale inquiétant « de 15 % à 20 % sur le boulevard de Saint-Michel », « contre 10 % en moyenne dans le reste de Paris ».
Il suffit de se rendre sur place pour comprendre l’ampleur de la situation.
 「...パリ都市計画アトリエ(Apur)がパリ市の指示でおこなった最近の調査は、<サン=ミシェル大通りでは15~20パーセントという、パリの残りの地区の平均10パーセントに比べると不安な空き店舗率を示した>。現地に行ってみるだけで、状況の広がりを理解るには十分だ。
セーヌ河の河岸とソルボンヌまでで、10軒ほどの営業権が放棄されていて、僅かに開いているのは有名なチェーン・レストランだけ。時代後れの古着屋や観光客むけのブチックだけがある程度の活気を得ている様子だ。結果として、界隈全体が客集めや再活性化に四苦八苦の恰好だ」
サン=ジェルマン大通りの角にあったCafé de Clunyまでが閉店したと聞けば、大昔、何度となく足を運んだ客の一人としても、愕然とするしかないではないか。変化とともに、懐かしいサン=ミッシュの「魂」が失われてしまうのか。
 例年にない暑さのせいもあって、暗然としているところに一冊の本が届いた。それが私を覚醒させた。『塩瀬宏のアダモフ、夢のかけら hiroshi shiose et arthur adamov éclats de rêve』(ユキゼマン編著、夢の漂流物出版)である。ボードレールがいう通り、たとえ町並みが失なわれたとしても、「なつかしい思い出の数々」が消えることはない、本書はそれを教えてくれた。
その著者、塩瀬宏さんは、同じ大学のフランス語教師として30有余年を一緒にくらした仲間。同年だが、後れをとった私とは違って、1955年、大学卒業の年にフランスに渡って役者を志した。
帰国後、映画に出演したこともあったが、教師になってからはその過去を恥じてビデオを買い占めて抹殺をはかるほどだったから、その誘いにしたがって私は彼の過去にたちいることはなかった。そのまま定年を迎え、コロナ禍の最中に訃報に接した。今回、残された愛児両名(ユキゼマンさんはその一人)の手で掘り起こされた遺稿(未完成というが、800頁になんなんとする大著だ!)と向き合うにつけ、自分の迂闊さを悔やむばかりだ。今後、彼の文章をたどりながら、死の床で書き残そうとしたことの、ほんの一部でも拾いあげて、せめてもの供養にしたいと思っている。

「塩瀬宏のアダモフーー夢のかけら」 ※画像をクリックで拡大
 開巻冒頭で、塩瀬さんはアダモフとの出会いを語っている。
 「モンパルナス大通りとラスパーユ大通りの交叉するところ、ちょうどカフェ・デユ・ドームの前あたりに、沈みゆく夕陽をいっぱいにあびて、朱色の日輪を凝視しながらとめどなく涙を流し続ける男がいた。『あれがアダモフだよ。とてもよい芝居を書いている男なんだが、時々、あんなふうになるんだ。君を彼に紹介するのはこの次にして、今はそっとしておいてやろう』とブランがわたしに言った。が、この人に、何故か強く惹かれて、しばらくその場にたちつくしていた。」
 ロシア出身のアダモフは1908年の生まれだから、塩瀬さんとは25歳も離れているが、その後、1970年の他界まで親交を結ぶことになる。Beckett、Ionescoと並んで前衛劇の三羽烏と称されたアダモフは二人の盛名に比べて「不遇」に終わった。その遺志をつぐ決意で、塩瀬さんは本書を企図した。因みに、仲介役のRoger Blin(1907-1984)はベケットのEn attendant Godot『ゴドーを待ちながら』を最初に演出した人物で、私からすれば文学史上の名士として雲の上の存在だが、塩瀬さんはその彼と身近に付き合っていたわけだ。  だから、アダモフが出した回想録L’Homme et l’Enfant 『おとなと幼児』(1968)を元に彼の伝記を書くには格好の位置にあったことは間違いない。同書の中でアダモフが1929年秋のカフェ「ル・ドーム」を取り上げた時も、塩瀬さんは苦もなく大戦前のモンパルナスに戻ることができたのだろう。原文と塩瀬訳を併記して、今回の結びとしよう。パリの「魂」が塩瀬さんの中にしっかり根付いていることを示す名訳である。
 Le Dôme, cet invraisemblable campement où, au milieu de la fumée, des tables où les mégots débordent des soucoupes, s’étalent des journaux écrits dans toutes les langues imaginables, des flaques de café-crème. fainéants, vrais parasites, vrais artistes, faux artistes passent tout leur temps à discourir (le discours, à Montparnasse, considéré comme fin dernière). Poésie, peinture, politique.tout y passe. (L’Homme et l’Enfant, p.33)
 「<ル・ドーム>。この世にも奇妙な溜り場。濛々たる煙草の煙、テーブルの上の灰皿にあふれる吸い殻。思いつけるかぎりのことばで書かれた新聞がひろげられ、カフェ・クレームが零れてたまっている。ここでは、ロクデナシども、偽もののそしてほんもののタカリ屋ども、真の芸術家たち偽ものの芸術家たちといった連中がお喋りに時の経つのを忘れている(ここモンパルナスでは談論こそが究極のものと見做されていたのだ)。ポエジ―,絵画、政治、なんでもござれだ。」(86頁)


追記  200回を超える既往のコラムの一部を選んで、紙媒体の冊子を作りました。題して「ア・プロポ――ふらんす語教師のクロニクル」。Amazon, 楽天ブックス三省堂書店(WEB)などオンラインショップで販売中です。
 
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