パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「パリのエネルギー源は人間関係」 自分と相手、個対個
2004.09
 ■ 芳野まい(よしの まい) Interview つづき
「 好きな研究ができて、見たいものが思う存分見られて、本当に楽しそうですが、
パリに来て自分が変ったと思われることはありますか?」


 はじめて外国に住んで、初めはすごく不自由でした。けっきょくいちばん大きいのは、ことばの問題だったと思います。フランス語があまりできないという技術的(?)なことだけではなくて、自分にとって、歴史のほとんどない薄ぺらなことばで感情や考えを伝えていかなければならないというのが、ものすごく苦痛でした。
 日に三度の食べる行為を指すことばはフランス語では「repas」ですけれど、日本語では「ごはん」と言います。この「ごはん」ということばは同時に炊いたお米も意味するので、日本で日本語で育った人間が「ごはん」というときには、意識してなくてもお米のイメージがきっと頭のどこかに浮かぶんだと思います。その「ごはん」のつもりでrepasということばを使って会話をして成り立つコミュニケーションというのは、いったい何が伝わっているんだろう、というようなことです。
考えてみればごく当たり前のことで、同じ国で同じ言語で育った人間でも、日常使うことばの背負う歴史やニュアンスは人によってずいぶん違うわけで、きっとそのことが、ことばを使うコミュニケーションの難しさやまあおもしろさであるに違いなく、文学の永遠のテーマであったりもするわけですけれども。
 別の例でいえば、ホームに入ってくる電車をみて、Le train arriveというのと「電車が来た」というときの自分は、世界をやっぱりちがう風にとらえています。

  ことばというのを私はこんな風に考えています。
世界が地球のような三次元だとすると、ことばはそれをどうにか平面であらわそうとする地図のようなもので、メルカトル図法でもモルワイデ図法でも、どうしてもどこかに無理があったり正確さを欠くようなものしかできないわけです。でもずっと一つの地図ばかりみていると、世界というのはそういう平面的なものでしかないというように思い始めます。ところが母国語とは違うことばを学ぶことは、別の図法の地図の見方をならうことになるわけです。そこから得られる一番のことは、もひとつ新しい図法の見方を学んだということではおそらくなくて、二つの図法の違いを通して、世界とは実は地図ではとても表しきれないような次元のものなんだということに、何度でも気がつくことだと思います。
そういうことを長い時間をかけてだんだんと、頭ではなく身体で、もうやむを得ない感じでわかっていくことができたのが、留学生活のいちばんの成果だと思います。

パリ13区 
MK2シネマのオープンカフェでインタビュー


 

「プルーストが、常に『私』を主人公に作品を書いていたように、芳野さんも、常に『自分』を見つめて一歩一歩進んでこられたようにお見受けします。現在の論文を仕上げた後のステップはどのようにお考えですか?」

論文を書き上げたら、日本に戻って大学の先生になりたいと思っています。
それからそれとは別に、この留学生活を通して自分のなかで動いたものを、すこしずつ消化して自分なりのかたちで出していきたいと思っています。どんなかたちかはまだわかりませんけれども。


明るくてチャーミングでパワフル!研究者という固定観念を払拭する個性豊かな芳野さん。
この日もインタビューを終えた後、パソコンと資料がぎっしり詰まったリュックを背負って図書館の研究者専用地下室へと、向かわれました。きっと彼女にとっては、秘密の花園のようなところなのでしょうね。


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