ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

第十四話
Rue de la Ville en Bois (ヴィル・アン・ボワ
= 樹の街通り)を塗り替える、季節の絵の具
**中編:真夏 編 = 前編から続く** 

2006.12
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*** 2003年猛暑、そして、夕焼け、夕暮れ ***
夏。太陽に支配される季節。自分の出番を一年中待っていた太陽が、地上のすべてを熔かすかのように、炎上する夏。その、射るような陽射しの中で、生き残っていくものには、強い個性が弾けている。たとえば、夏に開く花。自己主張が迸(ほとばし)り、熱い色の花を咲かせる。太陽が、その熱で色止めをしたから、この、触れたら火傷してしまいそうな色が、染め上がってくるのだろうか?しかし夏の花は、照りつける太陽さえも吸収し、その計り知れないエネルギーを養分に、さらに色濃く、さらに艶やかに、咲き誇っては、舞い乱れる。 Nantes(ナント)の街が位置する、北緯47度は、北海道より北(サハリンの南端くらい)に相当するが、温暖な北大西洋海流と偏西風の影響のために、緯度が高い割には暖かい。(第 5 & 6話 《クレヴ・カールという砂浜》 参照)そして、このくらい緯度が高くなってくると、夏場の昼間の時間は、驚くほど長くて、フランスでも夏至の頃(北緯66.6度以北の地域は、白夜になってしまう時期)には、夜11時を過ぎて、やっと暗くなり始める。だから、猛暑の年は、本当に大変である。近年の世界的異常気象で、フランスも、よく猛暑に見舞われるようになった。夜10時半頃、やっと夕焼けになると、強い西日が、乾燥した西の大地を、さらに乾かしていく。歴史的猛暑だった2003年の夏、西日に炒られるような台所で、私は真っ黒なサングラスをかけ、氷を浮かせたガスパチョ(トマトをベースにした、スペインの冷製スープ)を、やっとの思いで流し込んでいた。そういうものしか、食べられなかったのである。それに、ちょっとでも加熱調理をしたら、さらに台所が暑くなってしまうし、窓を開けたら「もっと熱風!」なので、換気も出来ないのである。しかも、こんなに暑くなるのは、フランスでは普通の状態ではないから、冷房もないし、ざる蕎麦、冷やし中華、カキ氷に水まんじゅう、…と、(おそらく)神代の時代から、暑い夏に適応している日本のように、猛暑の最中でも食べやすいものなど存在しない。そういうものは、考えられたことも、必要とされたこともないのだろう。実際、こんな猛暑で、溶けたバターのようになりながらも、フランス人の夫はちゃんと、Steak & frites = フライド・ポテト付きステーキを作り、ますます熱くなったキッチンで、勇敢にもそれを食べていたのだから…。

そんなこんなで、3週間もの間、鎧戸は一切開けず(開けたら最期、室内が熱くなってしまう)、鎧戸のない窓にはビーチ・パラソルの原理を利用して、内側から大きめの傘をさし、なるべく熱くならないようにした。扇風機に濡れたタオルを結わえ付け、気化熱で少しは涼しくならないだろうか?とか、いろいろ知恵を絞っても、結局、暑い。と言うより、「熱い」。加熱したオーブンを開けた時のような熱気が、世の中に充満しているから、どうしようもない。フランス中が、熱波で灼(や)かれていた。夜になっても、気温は、いっこうに下がらず、(乾燥しているフランスでは、例年ならば、夜には、ちゃんと涼しくなったので、クーラーなしでも大丈夫だったのである)、夜中も30度を越えていた。ベッドに横になってみても、マットレスと接触するだけで、また熱い。が、茣蓙(ござ)という、便利なものはないので、板の間にバスタオルを敷いて、漸く眠った。通気性のある、「畳」というのは、高温多湿の日本の夏のために、実によく考案されたhabitat(居住形態)だと、感心した。

そして、待ちに待った雷鳴が轟(とどろ)いても、雨は降らなかった。雨雲だけは、次々と湧き始め、『南総里見八犬伝』で〈玉梓が怨霊〉が、どろどろと登場する時のように、一天俄(にわか)に掻き曇っても、雨は、ついに一滴も落ちてこなかった。こうなると、本気で〈雨乞い〉というものをしたくなってくる。日本の夏によくあるような、「ザーッと降ったら、マイナス・イオン!」のような夕立が、ひどく贅沢な自然の空調システムであることに、遅蒔きながら気がついたりする。日本だったら、「一雨降ったら、涼しくなりますね!」くらいの会話を何回か交わしながら、冷やした西瓜を食べ、枝豆の塩味を楽しみ、水羊羹を竹の楊枝で割り、花火を見ながら、種無し葡萄という、意義深い品種改良に感動しているうちに、台風がいくつも襲来する時候になり、やがて秋の長雨に続いていく。しかも、基本的に湿度の高い日本の夏の場合は、体中が乾ききって、腕や足の皮膚が、クロコダイルの背中のような、ひび割れ模様になってしまうことなど決してない。しかしフランスでは、猛暑でも湿度が低いので、私の日焼けした肌には、干上がった沼地のような白っぽい模様が出来てしまった。市営のプールは、どこも満員!普通の年なら、プールなど、その人生に存在していないような人達まで、唯一、涼を求め得る方法として、プールに殺到してしまったのだろう。受付のカウンター前は、ラッシュ時の山手線のホームのように人で溢れていた。だから、ますます熱い。

そういうものを目の当たりにしてみると、だんだん、空恐ろしくなってくる。このまま、まだ何週間も続くようなら、冷房のある東京に避難すべきだろうか?と、私達は、本気で考え始めた。そんな、ある夜中の1時ごろ、急に、空気に涼しさが戻ってきた。簡単には信じられないのだが、もしホントなら、大いなる何ものかに祈りたい心境である。夜中じゅう、そして翌朝も、その涼しさは逃げなかった。久方ぶりに、ベーコン・エッグなんぞを作っても大丈夫そうな気温に戻った台所で、やっと御機嫌を治してくれた大いなる何ものかに、私達は大まじめに感謝した。こうして、長い猛暑は、漸く下火になっていった。

アフガニスタンなどの中央アジア諸国やアフリカでは、何年もの間、大旱魃が続いているそうである。自分の祖国が、乾いた大地と化してしまった人々の日常が、どんなに大変なものか?という現実は、水資源豊富な国 = 日本にいると、ほとんど理解不能である。そういう問題を、ほんの少しだけでも想像できた、と言うより、想像しなければならない状況に、我が身が陥った、2003年の夏だった。

夏の花。華やかに、立体的な花を咲かせる。

紫陽花。ナント周辺には、ピンクの紫陽花が多いので、
これは、珍しく、日本のような青い花。

紫陽花は、花の中のアルミニウムの量によって、
花の色が変わり、アルミニウムが多ければ青く、
少なければ赤く咲くそうである。土中に含まれる
アルミニウムは、酸性土壌の場合、水の中に溶け出し、
紫陽花に吸収されやすくなるため、青い花を咲かせる。
したがって、ピンクの花咲く、ナントの土壌は、ほとんどがアルカリ性だということになる。たとえば、いつも、同じ鍋を使ってお湯を沸かしていると、鍋の底に、石灰が付着していく。そういう水道水を生み出している土壌は、かなりアルカリ性ということになるのだろうか?

夏の午後。ポプラの葉の緑は、次第に深くなり、
乾いた地面に落ちる影も、黒さを増していく 。


梅のような花が咲くが、さくらんぼのような実がなる木。葉っぱも桜っぽい形だから、「何とか桜」というのかも知れない。
赤紫蘇のような葉を通して、夏の太陽は、木漏れ日さえも、朱色に熱い。


春の東雲より、強い個性を
シックにまとめた、夏の夕刻。


夕刻の雲の隅間から、赤い色が抜け落ち、ブルー・ブラックの薄いインクが、空全体に沁みこんで、夕闇を造っていく 。

しかし、日照時間は長くても湿度は低いフランスの夏には、何にもしないのに汗が流れてくる、という現象は起こらない。だから、樹木も、「鬱蒼(うっそう)」とは伸びないのである(東京の庭の場合、春から秋まで何もしなかったら、間違いなく、鬱蒼となる)。樹の街通りのポプラも、それなりに夏っぽい暑そうな景色の中でも、案外さらりと伸びている。そもそも、ポプラが植わっているのだから北海道並みの気候なのだろうが、実際、さらりと暑いので、蚊も発生しないし、薮蚊に悩まされることもない。真っ黒くて平らで、油っぽくて、しかも飛来する、ゴキブリさえもいないようである。こういう虫達が生息できない(たぶん、冬を越せない)緯度なのだろう。日本では、毎年、夏になってくると、《日本の夏 = 金鳥の夏》という宣伝が始まり、背景には花火が華開き、これこそ日本の夏の原風景という感じがしてくるが、フランスの、猛暑でない、あたりまえの夏の場合、花火が上がる時刻には、ジャケットやセーターを持って、紅葉狩りのような装備をしていないと、ブルブル震えるほど寒いこともしばしばである。つまり、《金鳥》の必要ない夏なのである。

そういう、夏至に近い日の夕刻(といっても、夜11時前)に、曙の東雲を、ちょっと濃くした感じの暮色が、空に広がっていた。大洋のようなブルー・ブラックと、水をたっぷり含んだ筆で、淡い茜色を何回も塗り重ねたような、やさしいオレンジ・ピンクが、華やかなジョーゼットで、窓を飾っている。春の東雲より、ちょっと濃いだけなのに、このコンポジションは、ぐっと西洋である。教会の尖った屋根も、漆黒の影絵になり、そのままぴったり嵌(はま)っていた。

夜11時を過ぎるとそのオレンジ・ピンクが、少しずつ、ブルー・ブラックに吸い込まれ、真夜中近くに、深い碧色の帳(とばり)が、あくまでも、ゆっくりと下ろされる。夜の大洋を彷徨(さまよ)うような、濃いブルーの墨絵の中で、教会のシルエットはさらに黒く、静まり返る。ブルーの墨絵が、音もなく、したたかに、限りなく黒に近づいて、もっと黒い影絵を飲み込んでしまった時、天空は丸天井と化し、無限のプラネタリウムに、星が浮かび上がってくる。明日の早い夜明けまで、北緯47度の夜は、充分に暗く、たっぷりと黒い。そして、その黒の中で、草木も動物も、真夏の夜の短い夢を貪(むさぼ)るのである。
( novembre 2006  次回に続く)

短夜(みじかよ)の プラネタリウムを 手鏡(てかがみ)に
黒いポプラも 綺羅星(きらぼし)纏(まと)う
カモメ 詠

Melinette(メリネット)街へのアク セス
- Paris - Monparnasse(パリ - モンパルナス)駅から、TGV Atlantique = Le Croisic(ル・クロワジック)方面に乗り、Nantes(ナント)下車(約2時間)。
- ナント駅北口から、Tramway(トラムウェイ)の1番線に乗って、3つめのPlace du Commerce(コマース広場)下車。ここは、バスターミナルになっている。
- バスは、以下のいずれかに乗れば、10〜15分で、Place Melinette(メリネット広場)に到着する。
No. 11 Mendes FRANCE - Bellevue(メンデス・フランス - ベルビュー)方面
No. 21 Gare de CHANTENAY(シャントネイ駅)方面
No. 23 Mendes FRANCE - Bellevue(メンデス・フランス - ベルビュー)方面
No. 24 Preux(プルー)方面
- メリネット広場から、放射状に広がる道の一つ = Rue Richer(リシェー通り)に入り、最初の四つ角で交差しているのが、Rue de la Ville en Bois(ヴィル・アン・ボワ通り)。

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