ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

第二十話
カリブの青い風を見た街、Paimboeuf
(=パンブフ)
**前編** 

2007.11
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(序編から続く)
この辺りの川幅は、甚だしく広くて、川というより入り江に近い感じもするが、ロワール川的な、勢いのあるスピードで流れているので、やっぱり川らしい、という印象である。しかし、灯台があるから港の機能もあるのだろう。そんな自問自答に背中を押されるようにして、Office de Tourisme(トゥーリスト・オフィス)に近づいてみると、そこは昔、大きな倉庫だった建物で、《LE HANGAR(ル・アンギャ− = 倉庫)》という表示板も立っていた。傍らに、かつて、ここが港だった時代の絵が掲示板になっている。その絵には、古い映画に出てくるような大きな帆船が、ところ狭しと並んでいる。出船入船の喧騒・怒号が、潮香(しおか)の混ざった空気を、四方八方から切り裂いて、人間と人間の熱がぶつかり合い、溶け合っているような、時代の美(= この雰囲気が、この時代の、この情景の中にあるからこそ、美しい、完璧な『場の論理』の上に構築された美)が、モノクロの図いっぱいに膨らんでいる。「ああ、奴隷貿易!」。そう思い至った途端、歴史という記憶の向こうに横たわる、重いはずの絶対的事実が、その掲示板から軽々と溢れ出し、シャボン玉のように奔放に膨らみ、ちょっと海っぽい感触のパンブフの川風に舞い上がった。古文書庫から開放されたかのような歴史の断片は、いとも簡単に当時の色彩を思い出し、モノクロの図に、水をたっぷり含んだ絵筆を走らせていった。やがて、モノトーンなデッサンは、爽やかな水彩画となり、午(ひる)下がりの柔らかい陽光の中で、古い紙の匂いのしない、18世紀の空気をいっぱいに吸い込んだ。そして、光の粒をラメの衣装のように纏(まと)い、きらきらと川面(かわも)に遊ぶ、海の粒と混ざり合った。


日曜日の午後、ネコ一匹さえ歩いていない、このパンブフの街が、あの時代、あの18世紀には、これほど大きな港町だったのかと思うと、あらためて、かの奴隷貿易の規模に驚かされる。そして、その富の大きさと罪の深さに、漠然と戦慄した。積み上げた富は、砂漠に吸われる水のように、やがてどこかに費えてしまったのだろう。しかし、深く刻んだ罪の傷跡は、何世代も継承されていく。歴史は、その傷を癒さない。むしろ、歴史の暗い深淵として、冷たく無機的に、抱き続けているような気がする。人間が、自分達の生産した負の遺産と、明確に向き合い、認識する時まで。

さて、その掲示板の足元に、古い引込み線の線路があった。それは、川岸でもあり海岸でもある、パンブフの岸に沿って、真直ぐに続いていた。磨り減って、錆びて、随分、分量が減った感じの金属が、今も尚、石畳にしっかりと食い込んでいる。一見、歴史の重量の下で磨滅したような、この線路が、かえって、パンブフという街の質感を浮き上がらせていた。そこには、陽に灼けて黄色みを帯びた紙の匂いがしながらも、かなり3Dな、この街の映像が、旧い映写機の音の中で廻っていた。古文書庫の片隅で、埃を被ってしまったようなパンブフが、実は、歴史の深みにまで届く、細くて長い根を下ろし、決して、かつての華麗なる自分を忘れていない、という、自己主張をしているような映像だった。大型帆船の3本マストが犇(ひし)めき合う港、人と物資が往き交(か)い、夢と力と熱が、慾と罪の埃を巻き上げ、セピア色の喧騒が、砂嵐のように舞い続ける。私達は、その時すでに、磨り減って尚、何かに向かって真直ぐに伸びていく引込み線によって、全盛期のパンブフに引き込まれてしまったらしい。

時は18世紀、奴隷貿易の隆盛にともなって、このパンブフには、美しい建築様式の館が、先を争うように立ち並んでいった。建物の正面(表通りに面した側)は、鍛冶屋が、一つ一つ手作りの意匠を凝らしたバルコニーで飾られ、18世紀的な、華麗な建築の様式美を、今も存分に伝えている。同じ時代に、やはり、同じ貿易で栄えたナントの、Rue Kervegan = ケルヴェガン通り(第3話 《フェイドー島と奴隷貿易》参照)の建物群と同じ様式で、これらの館は、<Maison d'armateur = 船主の館>と呼ばれている。ということは、ロワールを往来し、カリブ海まで出かけるような大型船の持ち主達が建てた館なのだろうか?

その美しき、<歴史の証人>達の並ぶ通りを、ゆっくりと歩いてみよう。船主の館は、だいたい2階建て。3階がある場合も、3階の窓が少し小さめの長方形だったり、三角屋根のついた開口部だったりすることによって、当時は、住み込みのメイドさんの部屋だったことがわかる。階段しかない昔は、一番高い階は、みんな、女中部屋だった。そして、escalier de service(エスカリエ・ドゥ・セルヴィス = 使用人用階段)が存在し、porte de service(ポルト・ドゥ・セルヴィス = 勝手口)もある。そのあたりに、社会階層が、本当に明確に分かれていたことを実感する。が、今はエレベーターを設置できるから、見晴らしのいい高い階ほど、不動産としての価値も高いし、賃貸料も高くなる。最近建設されるマンションでは、最上階には、テラス式の広いバルコニーがあり、高級感漂う物件になっている。私はフランスで女中部屋の窓を見る度に、世の中の基準は、その時代の設備如何でこんな風に変わるものなのか!と、何度でも感心している。昨今では勿論、住み込みのメイドさんなんぞ、先ずあり得ない。だから、階段しかない場合の最上階は、さらに、その女中部屋を半分ずつ分けたりして、小さい小さいワンルームに改装され、studette(ステュデット = ワンルームという意味の、ステュディオをさらに縮小した名称)という、とんでもない不動産屋的語彙で、学生用に賃貸されているし、学生用賃貸物件は、投資・運用の対象にもなっている。

それから、鉄製のバルコニーと垣根。鍛冶屋が鍛錬しあげた意匠が、黒やダーク・グリーンのペンキで化粧され、窓辺と庭先を飾っている。こういうところに、赤いゼラニウムが置かれ、肉厚の蔦が絡まってくると、それだけで、日本人の感性の中には、理屈を超えた<西欧>という概念が滲みだしてくる。そして、周囲の空気に、ヘンデルの組曲ニ短調のような、重厚なパイプ・オルガンの、複雑な立体音が充満してくる。この、建築にも音にも共通するような厚みと重さ、石の3次元、そういう構築物に対しては、体の厚みもない私達 = 日本人は、かなりの決意を固めて立ち向かわないと、どうにもならないような世界。依然として、そうあり続けているのが、日本人にとっての<西欧>である。現代のように、ありとあらゆる異国の文化を、日本に居ながらにして享受できる時代に生きていながらも、尚、日本人の奥底に存在し続けている、説明しがたい<欧米観>を体現している何かが、こういうバルコニーであったり蔦の葉であったりする。つまり、黒船を、出島を、おそるおそる眺めながらも憧れ、昭和中期、import(インポート)ものを『舶来』と言って珍重していた、ああいう感覚と同じような気がする。一言で言ってしまえば、異文化への限りなき憧憬ということになる。ただ、そんなありふれた、十派一絡(から)げ風の表現では、私達の概念レベルの奥深くに畳まれた襞(ひだ)に棲む、微妙な感性を説明することは出来ないが・・・。

この、西欧的建築美が、華麗に躍動した船主達の館も、今では、外壁や鎧(よろい)戸のペンキが剥げたり、鉄の門扉が錆びたりして、ちょっと風化している。そこに、パンブフという街が、歴史の表舞台を踏まなくなってからの歳月が、茫洋と横たわっているようだった。が、これら美しき館群に、蔦のように纏(まと)わり付く、少し色褪せた空気は、あの賑わいの日々の熱い夕陽を、いとおしみながら反芻しているようだった。大型帆船が往来したパンブフの、目にも艶(あで)やかな歴史は、おそらく、取るに足らない1ページとして、すでに忘れ去られてしまっているのだろう。しかし、この通りに漂う鄙(ひな)びた風香(かすかな風の中の、そこはかとない香、という私製の造語)は、歴史の主役達を、いとおしむように包んでいた。その柔らかさは、どこか懐かしく、行灯(あんどん)の明かりのようにぼんやりとしていた。その時代に、生き生きと生きた沢山の人々の日常、確かに存在していた筈の、力強い人間的日常が、無類のやさしさで漉(す)きあげられた和紙のような手触りの中で、暈(ぼか)され、癒されている。過ぎ去った歴史を、右から左へ、既決の書類箱に積み上げていく、止まることのない、<時間>という無機質な残酷さは、ここには、存在していなかった。

9月の風の中に、時折、音を立てる鎧戸は、何世紀も昔の日々を覚えているのだろうか?毎朝、獲れたてのライムのように爽やかな、カリブの風の青さの中で帆を張るように、両開きの鎧戸を押し開けると、朝の陽が、部屋の奥まで雪崩(なだ)れ込んでくる。そして、満ち潮に乗って、夜のうちに入港した帆船が、目の前に停泊している。長旅を終えた荷を降ろし、ナントまで遡れる小型船に積み替える作業で、朝の港は、もう、極彩色のエネルギーに沸きかえっている。そういう潮風の染み込んだ鎧戸も、やっぱり、色褪せている。白いペンキは、少し灰色がかっていて、ピンクの戸は、気の抜けたような想い出色になっていた。でも、その風合いが、前から、よく知っていた何かのように、音もなく肌に馴染んだ。それは、着古したセーターに袖を通す時のように、そして、ちょっと年取った犬を抱きしめる時のように、やさしくて嬉しい感覚だった。

栄耀栄華は、一時のものである。この地球を暖め続ける、太陽の寿命を考えたら、人間が積み上げることのできる富と宝などは、それこそ、銀河系宇宙の塵にも満たないのだから。もしかすると地球は、こういう、「その後の日々」みたいなもののほうが、好きなのかもしれない。だから、莫大な富が、砂漠の幻影のように掻き消された後に、不思議な安堵感が漂っているのだろうか?私は、日本の草生(む)した城跡を歩いた時や、ローマの遺跡に無造作に転がっている、巨大な柱頭を見た時、何かがホッと落ち着いている空気感に抱かれる気がしている。もう、すべてが終わっているから、そして、誰もいなくなっているから、これ以上、心を掻き乱すものは存在しない。だから、安心していい。という感じ。そして、その土に苔が生(む)し、夏草が生い茂っていく。季節は巡り、歳月が降り積もる。そういう、一種無常の中にある安堵を、無意識という意識の中に確立された形として感じるのは、私が、『無常の無』みたいなものを、その文化の根源とする、日本人だからなのだろうか?ともあれ、偶然見つけた、鄙びたパンブフの色彩は、<栄枯盛衰>という紗を通して、少し老成したパステル調に仕上がっていた。その深淵には、春の夜の夢の如き諦感と、永遠の安心感が、静かに静かに層をなしていた。それは、光の届かない深海に、白いプランクトンの死骸が、音もなく、雪のように降り積もっていく、地球という生命の、無限の層に似ていた。

(中編に続く)

(novembre 2007)


錆び錆びた 歴史の鎧戸 押し開けて 
カリブの風が 青く吹き込む
カモメ詠

遠くの水平線に林立している、中東産油国のような景色が、川向こうの街 = Donges(ドンジュ)の町並み。 その遠景の小ささから、川幅の広さが想像できるかも?


〈LE HANGAR〉(倉庫)。この巨大な形状のまま、ここは、トゥーリスト・オフィスになっている。。

15kmもの入り江が続くデルタ地帯を、航海するために、いくつもの運河も建設された、という内容が書いてある看板。ここに見られる、3本マストの大型船が、カリブ海を出発して、長い航海を終え、次々とPaimboeuf(パンブフ)に入港してきた映像を想像してみると、凄い!


引込み線の磨り減った線路。この線路の上を、異国の物資が、夜昼なく、通過していったのだろう。ロワール川は、大きな、潮の満ち干のある川だから干満の時刻が、労働時間を左右していたに違いない。石畳に埋もれている鉄の滑らかさに触れているうちに、当時のパンブフの華やぎが、聞こえてくる。


Maison d'Armateur(船主の家)が、建ち並ぶ一角。


蔦絡み、紅葉し、白壁の館が、秋を装う。

1階の窓の雨戸のペンキが、陽に焼けて気の抜けたような薄い空色になっている。その空色を隠すように、椰子の木や棕櫚が繁っている。カリブの海を渡った船主達は、やはり南国の木を植えたかったのだろう。


最上階に女中部屋を設えた館。1階の窓枠は典型的なイタリア式開口部になっている。上部は半月型で、建物中央部にある入口も同じ形。深緑のペンキをたっぷりと塗った入口には、石段を2−3段上がって入るようになっている。


この館は、最近、塗り替えられたばかりなのだろう。華やかな、オレンジ・ピンクのペンキで化粧しながらも最上階には、女中部屋が残っている。


薄いピンクで塗られた窓枠、ちょっと濃いピンクの雨戸。出船入船に、着飾って集った、当時の女性達の衣装の衣(きぬ)擦れ、風に揺れる、シフォン・ジョーゼットの華やかなさんざめきが蘇ってくるような、微妙でやさしい色合い。想像の中で、古い館は、生き生きと美化されてくる。そして、ふと現実に戻ると、その鄙びたちょっとくたびれた佇まいが、過ぎていった沢山の日々の積み重ねに気づかせる。

Paimboeuf (パンブフ) へのアクセス
I) Paris - Monparnasse(パリ・モンパルナス)駅から、TGV Atlantiqueの、 Le Croisic(ル・クロワジック) 方面に乗る。Nantes(ナント)駅下車。(約2時間) - Acces Sud(南口)に出ると、Hertz(エルツ), Europe Car(ユーロップ・カー),Avis(アヴィス)などのレンタカーの支店が並んでいるので、車を借りる。レンタカーを借りたい場合は、基本的に、出発地で予約しておいた方がいい。 - 駅は、ロワール川の右岸にあるので、川中島のL'Ile Beaulieu(ボーリュー島) を通って、さらに左岸まで移動する。左岸に入ったら、Pornic(ポルニック)、 St.Brevin(サン・ブレヴァン)方面を目指す - サン・ブレヴァンの手前で、Paimboeuf(パンブフ)方面が表示されるので、 それに従って進む。ナントから、車で約40分。
II) Paris - Monparnasse(パリ・モンパルナス)駅から、TGV Atlantiqueの、
Le Croisic(ル・クロワジック) 方面に乗る。
St.Nazaire(サン・ナゼール)駅下車。(約2時間45分)
- 駅で、レンタカーを借りる。
- サン・ナゼ―ルは、ロワール川の右岸にあるので、Le Pont de St.Nazaire
(サン・ナゼール大橋)を渡って、左岸に来る。
- 左岸に入ったら、東に向かう。程なくPaimboeuf(パンブフ)の表示が出てくるので
それに従う。サン・ナゼールから、車で約20分。

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