(序編から続く)
ボーリュー島のバナナの倉庫は、コンクリートの塊で出来た、細長い直方体で、つまり、平屋の長屋式建物になっている。それが、アンティーユ河岸に長々と寝そべっているわけだが、細長いから、いくつもの入り口と裏口があり、今回の再開発では、沢山の出入り口を利用して、細かい区分を設置したらしい。そして、それぞれの区分にカフェやレストランが入り、思い思いにオリジナルな趣向を凝らしたインテリアが、やっぱり延々と続いていく。1区画ごとに変化する、カフェの椅子やテーブルを見て歩くだけでも結構面白いし、風が冷たい10月の午後でも、長い時間、カフェのテラスに座ったまま、お喋りのネタが尽きなさそうな人達を見て歩くのも、ちょっと感心しながら、面白い。こうして、ベルタンさんの倉庫は、川中島のメイン会場となり、ついこの間まで、まことに殺風景だったボーリュー島を、すっかりポップなスポットとして、再び、ナント史の表舞台に引っ張り出した、のである。
そういえば、再開発が始まった当初、「ここで、何が始まるんだろう?」と思って写真を撮っておいた。今、見てみると、いかにもフランスの工事現場っぽい、グレーな雰囲気。フランスの工事は、日本の施工会社のように、塀とか幕とかを設置したりしないから、工事そのものが、外から丸見えになっている。したがって、埃っぽいし騒音もすごい。何ヶ月もの間、周辺一帯が汚れていく。最近の東京の工事のように、知らないうちに、大きなビルが取り壊され、それも、ある日突然、何故か東京駅の赤レンガが見えるから、「どうしてここから見えるのだろう?」などと思って考えてみると、ビルがなくなっていた、なんてことは、絶対にあり得ない。その、工事の雰囲気、色濃く漂う中に、化粧直し前の《バナナの倉庫》が、かなりグレーに立っている。そして、打ちっぱなしのコンクリートそのものの温度のない温度感が、写真を通しても伝わってくる。今、いろいろわかりながら、この写真を見てみると、確かに、Hangar a Maurice BERTIN(モーリス・ベルタンの倉庫)と書いてある。その下に、Chambre de Commerce(シャンブル・ド・コメルス = 商工会議所)とも掲げてあるので、そういう機能を備えていた時期もあったのだろう。ただ、それと、Hangar a Bananes(アンギャー・ア・バナーヌ)とを、結び付けてもみなかったのだ。ものというのは、知ってみると、そもそも理屈の合っている繋がりが存在していたことが、当然のように見えてくるのだが、知らないうちは、目にも入らなかったりする。そして、一旦、知ってみると、そればかりが見えてくるから、不思議なものだ。
さて、工事中の写真を見ると、河岸に沿った線路が、ちょっと鄙びて、デコボコしている。今は、全体が綺麗にまとまっていて、線路も、この大きな景観の中に、すっきりと収まっている。が、そのシャキッとした、滑走路のような迷いのない感じに、かつて大活躍した引込み線の線路としての誇りを載せて、相変わらず、このアンティーユ河岸を走り続ける、終わりのない意志のようなものが感じられる。この河岸と、後ろ側にあるRue de Saint Domingue(サン・ドミンゴ通り)に挟まれて、Gare de l’Etat(ギャール・ドゥ・レタ = 貨物の駅)があるから、海運業華やかかりし昔は、河岸と駅を繋いで、大量の貨物が、ひっきりなしに行き来する線路だったのだろう。この貨物の駅も、重厚な18世紀的仕様で建てられているから、何も知らなければ、ここがナントの旅客用駅舎なのだろう、と充分に勘違いしてしまう。正面は、今でも、ちゃんと動いている時計(いつのものかは不明)と、少し、埃で黒ずんだ彫刻で飾られていて、山高帽を被った人、重い、皮のスーツケースを引きずるようにして、駅に向かう人、馬車から降りる、着飾った女性達,etc.、そんなものを想像させて余りある、立派なプレゼンテーションである。がすでに、駅としては機能していない。現在では、労働組合が本部を置いていて、ほとんどの部屋が会議室になっているそうだ。隣に、物流のSERNAM(セルナム)があるから、鉄道輸送のほとんどは、トラックにとって代わられたのだろうか?(東京でも、昔のJR貨物の線路を使って、埼京線が走るようになり、汐留駅は、シオサイトとして生まれ変わっている。)
しかし、背後には、まだ何本もの線路が残っていて、貨車もとまっていた。一部の路線(こちらは引込み線ではなく、枕木のある、れっきとした線路)を維持して、木材などの輸送に利用し続けているらしい。ロワール川には、船で運ばれてきた木材を陸揚げするための河岸があるから、そういうものを運んでいく貨車なのだろう。その線路群の遠く向こうに、精糖工場ベガン・セのBoite Bleue(ボワット・ブルー = 青い箱と呼ばれる建物。第9話 《西のベニス、奴隷貿易、そしてトラムウェイ》前編 参照)が、高々と聳(そび)えている。昔は、アンティーユ河岸で陸揚げされた新大陸のサトウキビも、島を走る引込み線で、ベガン・セまで運ばれていったのだろう。バナナ、サトウキビ、コーヒー豆、カカオ、・・・。引込み線は、香り高い、植民地の物産を運び続ける、エキゾチックな線路だった。コーヒー豆の麻袋、そこにポルトガル語(ブラジル産だから)で刻印された原産地の名前、異国の空気が、そのまま積まれて、島じゅうを走りぬけた。そして今、石畳に、半分くらい埋もれてしまった線路は、それでもやっぱり、河岸を走っている。磨り減って、マイルドな感触の金属になってはいるが、錆びてはいない。おそらく、その辺を頻繁に往来した車のタイヤで、磨かれ続けてきたのだろう。そして、自分が、沢山働いた線路だったということを、誇りに思っているように、今日も明日も、何かに向かって走り続けている。
どうして、こんなに、〈引込み線の線路〉というものに惹かれるのだろう?小学生の時、私は、推理小説が好きで、学校の図書館にある推理小説らしきものを、全部読んでしまった。それを母に言ったら、飯田橋の本屋で、『怪奇小説集I』という感じの、文庫の本を1冊買ってくれた。それは、活字も小さくて、大人の読みそうな本だったが、ゾクッとするタイトルに反して、意外にさらりとした内容で、しかし読んでいる最中に、推理を働かせたくなる種類の話だった。短編がいくつか入っている本で、驚くような結論にはならないのだが、読みながら発展する、自分の想像に、結構サスペンスがともなっていく話だった。大人になって考えてみると、そういう書き方は、かえって難しい、とわかってきたので、いい本だったのだろう。その第1話に、〈引込み線〉が登場していたのである。結果的には、その線路をたどっていっても何もないのだが、ゴーストタウンのような町外れを走る線路の、隙間風吹き抜ける感じの描写に、強いセンセーションを感じるように出来ていた。読み進むに連れて、線路の向こうに待っている何かを知りたくて、どんどん読んでしまうのだが、意識のレベルでは、「短編集だから、そんなに早く読んだらすぐに終わってしまう。」と、心配もしていた。で結局、線路の終点には、何もなかったのだが、そういう、さりげなくて強い、大人っぽい、ものの書き方に、いっぺんに魅了された私は、〈引込み線〉という言葉の背後に、特殊な雰囲気で展開する未知の世界に、文字通り〈引き込まれて〉しまったのである。勿論、初めて買ってもらった、〈文庫〉という本のサイズとか、活字や紙質に、何だか、自分が大人に近づいたような嬉しさも、だいぶ手伝っていたのだろうが・・・。
一方、この島の端まで来ると、忘れ去られたように置きっ放しの金属は、たいてい、みんな錆びている。それも、怖いほど真っ赤に錆びている。大西洋の満ち干が、毎日毎日繰り返されるロワール川には、きっと随分、潮っぽい水がのぼってくるのだろう。だから、何でも、どんどん錆びてしまうらしい。それにしても、こんなに錆びたものは、あの湿度の高い、潮風吹き抜ける、東京湾周辺でも見たことがない。もしかして、この旧い地区特有の雰囲気を充分に醸し出すために、わざわざ、錆びるようにしてあるのかと、勘繰りたくなるほど、錆びている。
その、見たこともないような真っ赤な錆と比べると、ソフトに丸みを帯びた引込み線は、マイルドな趣きゆえに、かえって抗し難い強い力で、私達を、18世紀の映像の奥に引き込んでいく。昔、読んだ本の引込み線のように、結局、その終点に何もなくてもいいのである。とにかく、足元に続いている線路を、辿っていきたい。線路が交差し、離れていく。溢れるまでに、荷を積み上げた貨車を想像する。ポイントを通過する時の、規則的で重い、金属音の繰り返し。そして汽笛が鳴り響き、反対側から、別の貨車が迫ってくる。貨車が軋み、停車する。ポイントを切り替える。再び、重そうに発車する。どういう貨車だったのだろう?無蓋車も、有蓋車もあったのだろうか?そういえば、小学生の頃、何故か、貨車に興味を持っていたのを思い出した。学校の帰りに、電車のホームで貨車を見かけると、形、色、積載物、記号などを、大急ぎでメモ帳に書く、ということを、一種のゲームのようにやりながら、友達と長い時間をかけて(世の中が物騒ではなかったから、いろいろな遊びを開発しながら、学校からうちまで、楽しく帰れたのである)、うちまで帰った。あの頃はまだ、鉄道輸送が主体だったから、東京のプラットフォームにも、沢山の貨物列車が留まり、通過していたのである。もしかしたら、小説の〈引込み線〉が、こういう遊びの発端になったのかも知れない。飯田橋の本屋で出会った不思議な〈引込み線〉は、30年余りも、私の中で熟成していた。そして、海運都市ナントの旧い河岸で、もう1度、私の前に現れた。そして、不思議な強い力で、港湾事業華やかかりし、かつてのボーリュー島の面影に、私を誘い込んだ。私は、その賑わいに染まり、その華やぎに飲まれ、その香に溺れた。蟲惑(こわく)的な表情で、私を引っ張りながら続いていく、無尽の線路を追い駆けた。どこまでもどこまでも延びていく、銀色の、正確な平行線は、西陽(にしび)を浴びてジュラルミンのように輝き、さらに、西へ西へと続いていった。そして、島の最西端で、水嵩たっぷりのロワールに飲み込まれた。ここから先は、新大陸まで、水ばかりである。
(mars 2008)
(中編に続く)
河岸飾る 珈琲豆の 麻袋
世紀を越えて 今香りたつ
カモメ詠
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バナナの倉庫の表側。1区画ごとに、それぞれの意匠を凝らしたカフェが並んでいる。
バナナの倉庫の裏側。それぞれのお店の裏口になっている。まだ、工事は終了していないので、
工事現場っぽい仕様が、あちこちに見られる。手前の、真っ赤に錆びた低い円柱の物体は、小型ロータリーの中心部分。
ナント島と、プレジデント・ウィルソン河岸という字が見える。
バナナの倉庫の正面玄関。《モーリス・ベルタンの倉庫・商工会議所》と書いてある。現在は、一番、端のカフェの入り口になっている。
性溢れるカフェを彩る、いろいろな雰囲気
1972年のアンティーユ河岸の写真。手前の白い建物が、バナナの倉庫。すぐ近くの船着場には、かなりの大型船が接岸している。その後ろに、タイタンのクレーンが聳え、沢山の線路が広がっている。雑然とした島にエネルギーが錯綜する雰囲気。当時の喧騒が聞こえてくる。
ボーリュー島最西端。再開発の工事が始まったばかりの頃(2007年1月)の写真。この年の冬は、雨が多く暖冬だったので、ナントの街中、苔むした感じになっていた。真冬なのに、雨上がりの水溜りの脇に、草が生えている。湿った空気の中に浮かぶボーリュー島は、近い将来のメタモルフォーズを夢見て、まだ眠っている。
今も、バナナの倉庫に沿って、アンティーユ河岸を走りぬける引込み線。<貨物輸送>という作業に内在する、力と意志みたいなものが、この線路に乗って、今日も走り続けている。
華麗なる、貨物の駅。大西洋を横断し、ここに陸揚げされた新大陸の物産をフランス全土に運んでいく多彩な貨車の出発点。甘く、濃密な香りを次々と捌いていく、このボーリュー島の駅には、華やかな意匠がよく似合う。
駅の裏手に連なる、今も機能している線路。ここには、しばしば、木材輸送の貨車が集結している。
駅の裏手からよく見える、ベガン・セの製糖工場。
コーヒー豆の麻袋。ざっくりした麻の布地に、<CAFE DO BRASIL> と印刷してある。この、手に触れる前から、十分に伝わってくる、新大陸っぽいザックリ感に、コーヒーが香る。芳醇なカフェインの誘惑が、物流に賑わう河岸の魅力を、いっそうひきたてる。
貨物の線路の終着点であり、ボーリュー島の最西端でもある。ここから右手が、アンティーユ河岸、左手が、ウィルソン・プレジデント河岸。
こんなに真っ赤に錆びている。触ったら、手まで真っ赤になりそうな、この物体には、錆びる前に描かれて消された、tag(落書き)の痕が見える。
何もかもが、甚だしく錆びていくボーリュー島で、何故か、この使われなくなった引込み線の線路は錆びていない。そして今も、ジュラルミンのようなシャープな感触を纏いながら、西へ西へと走り続けている。
かつて、沢山の船が接岸した、ボーリュー島の最西端。強い西陽の中で、影絵のように黒くて、強いシルエットがのこり、モノクロの映像と化しながら、新大陸の方向に沈んでいく太陽を見つめ続けている。
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