(後編から続く)
Savon de Marseille (マルセイユ石鹸) は、正式には、石鹸の製造工程を限定する名称であり、2003年3月に、DGCCRF (Direction Generale de la Concurence, de la Consomation, de la Repression des Frauds = フランス経済財務省の、競争・消費・不正防止総局) によって定められた。すなわち、4つの工程をきちんと踏んでいることが求められている。empatage (石鹸化)、caisson (加熱), relargage de la glycerine (グリセリンの塩析) & lavage (洗浄), liquidation (流し込み) の4工程であり、これによって、最低限度63%の脂肪酸を含むなめらかなキメが得られる。この工程に従うことで、無添加、無着色、無香料の<マルセイユ石鹸>であるという、認定を受けらるのである。
現在では、石鹸に必要な油脂に、オリーヴ・オイルのみではなく、ココナッツ油、パーム核油などを用いているが、その含有率72%は、変わっていない。どうもこの72%という数字が、非常に重要らしい。オリーヴ・オイルは、かつては、プロヴァンス産だったが、今は、スペインから良質なものを輸入している。さらに、コプラやパーム油 (1890 頃には、アフリカから入ってきていた)も、現在では、おもにインドネシアから輸入され、石鹸の原料になっている。
では、上記の4つの工程にしたがう窯炊き鹸化法とは、どれほどの手間をかけるものなのだろうか?それぞれのメーカーによって、特別な細かい工程もあるのかもしれないが、だいたい4-5週間はかかる製造法を、ざっとまとめてみると :
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1)まず、L'empatage (石鹸化) という作業。Chaudron (ショードロン) と呼ばれる大鍋 (高さ5mにもなる大鍋で、焚口は一階、かきまわすのは2階) で、オリーヴ・オイル = 油脂と、苛性ソーダ = アルカリを混ぜて反応させる、鹸化という作業を行う。摂氏120度で10日間、煮続ける。夜は火を止め、朝、再び火を入れて繰り返す、この加熱工程をcuisson,あるいは、cookingと呼んでいる。その間、苛性ソーダが古くなっていくので、油脂との完璧な化学反応のために、新しいソーダを加えながら続ける。油脂の一部が反応しなかった場合、鹸化は成功しないので、非常にデリケートな作業である。
2)
次は、Lavage (洗浄)。大鍋に、地中海の海水をかけて、余分なソーダ分を取り除く。これが、塩析である。石鹸は、塩水にほとんど溶けないという性質に対して、ソーダは、よく溶けるので、それを利用するのである。さらに、水のほうがとペーストより重いので、不純物(成分と比重の異なるもの)を沈澱させて、軽い上澄みだけを残す。こうして、鹸化作業中の副産物とも言える、グリセリンも除くことができる。火を止めるタイミング、塩水をかける頃合い、石鹸職人が、視覚、臭覚、味覚の全てを駆使して見極める、文字通り、職人芸なので、石鹸の素材と炊き手のバランスが、石鹸の品質に、直接、反映される。
3)
塩水をかけたら、長い櫂 (かい)のような道具で、大鍋の表面を漕ぐようにかきわけると、新しい石鹸の素が現れる。この、摂氏50-60度のペーストを2日間ほど、寝かしておく。その後、石鹸の素を舐め、洗浄が完璧に出来たかどうか、確認する。
4)
さらに水で洗い、最終的に得られた上澄みのみが、石鹸になる。
5)
その間、liquidation (ペーストを流し込む) のための、ミーズと呼ばれる、プールを準備する。前に流し込まれた石鹸の滓を除くため、セメントでできた底を磨き、新しい石鹸ペーストがくっつかないように、少し塩分を含んだ水で洗っておく。
6)
樋(とい)のようなもので、大鍋の底とミーズが繋がれたら、鍋の栓が開けられ、ペーストが流し込まれる。この時の、溶岩流のようなペーストの流れ方で、出来具合をを最終的に確認する。
7)
液状のペーストに薄い膜が出来てきたら、表面をならす。この状態で、48時間寝かされ、ゆっくりと乾燥され、石鹸が固まっていく。
8)
固まったら、ミーズから取り出され、表面に、ブロックに切り分ける線を引く。2人の職人が、切り分けていく。切り取られたブロックは、さらに細かく、販売用サイズに切り分けられる。
9)
それぞれの石鹸の間に十分な間隔をとって、空気の流通がいいような状態で、さらに2-3週間自然乾燥する。乾燥室は、地中海地方の冬の季節風 = mistral (ミストラル) を取り込める位置に窓を設 (しつら) えるなどして、最後まで、この地方独特の自然条件を利用して、ゆっくり乾燥させる。この乾燥段階で、生地がなめらかで、木目の細かい、美しい石鹸に完成されていく。
10)
最後に、出来上がった石鹸の表面に、刻印機で商標を押して、出荷される。植物油脂72%の含有量を誇る、<72%>の文字が、メーカーの商標とともに刻印されていく。これこそが、本物のマルセイユ石鹸の矜持と証明である。 |
煮ては洗い、洗っては捨てる。この工程を、何回も繰り返すことで、不要なものを極限まで取り除いて、まろやかな、クリーミーな、マルセイユ石鹸の、本来あるべきtexture (テクスチュア = 材質) に近づけていく。その間、石鹸職人達が、たびたび行う、gouter de savon (グーテー・ドゥ・サヴォン = 石鹸の味見をする) という作業は、石鹸の完成度を舌で確認していく、重要なポイントだそうである。色と香りと味で品評される、高級食材にも似た、この石鹸。その在り方は、ワインに似ている感じがした。
ローマ軍はオリーヴの木を、その後、十字軍はアレッポ石鹸の技術を、それぞれ、ヨーロッパに齎 (もたら) した。民族と宗教が、その飽くなき野心の成せるままに、紀元前から繰り広げ続けた、数々の遠征、殺戮、略奪の歴史の中で、香り高い石鹸の製法も、シルク・ロードの欧州側出発点から、はるばる地中海沿岸地域まで南下してきた。世界中の女性が、いつの世も求めて止まない、《美》の、忠実なる僕 (しもべ)とも言える石鹸は、長い間、ヨーロッパ大陸を塗り潰した戦乱によって、むしろ、伝播しやすい環境を得ることができたのだろう。
そんなことを思っているうちに、つい、オリーヴの木を植えてみたくなった。日本では、四国で、たくさん生産されている。瀬戸内海沿岸地域の気候は、雨が少なく、日照時間が長く、柑橘類などの栽培に適している、と習った覚えがある。つまり、地中海式気候と似ているのだろう。国内最多のオリーヴ生産量を誇るのは、香川県の小豆島である。最近は、温暖化が進行していて、うちの庭(北緯35,41度の東京)でも、サボテン、アボカドなどが、あきれるほど育ち、知らないうちに柚子まで成っていた。これなら、オリーヴだって大丈夫かもしれない、と思い、ネットで探して、早速注文してみた。思い立ったら、とにかく、やってみたくてしょうがない、《すぐやる課》的人間にとって、ネットで検索・ネットで注文は、どうしようもない突発的好奇心を、迅速に満たしてくれる、かなり便利な道具である。で、種苗屋さんの説明によると、オリーヴは、種類の異なる苗を植えないと受粉しないそうなので、マンザニロ (果実は中型で、果肉が緻密なので、塩蔵・オイル兼用種だが、より、塩蔵に向いている) と、ネバティロブランコ (果実は小型で豊産なので、オイル用。花粉が多いので、受粉用として、他種のオリーヴとともに植えるのに最適) という2種類を、4月の、モワーッと暖かい日 (冬眠から覚めたばかりのガマガエルが、ぼんやりと座っているような日) に植えてみた。すると、僅か3-4日で、もう、新しい芽が出ていた。よほど強い植物なのだろう。地中海や瀬戸内海に比べたら、東京では、湿気が多すぎるかもしれないが、今のところ、無事に成長し続けている。
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うちの庭に植えてみたオリーヴの木。マンザニロとネバティロブロンコの2年樹。40cmくらいの高さで配達され、植えてから3−4日で、すでに、枝が伸び始めた。2週間ほどで、こういう小さな白と黄色の花が咲いた。
知らないうちに生えていた柚子の木。実がなってみて、初めて柚子だとわかった。
数年前に、千葉県銚子で、海の家の前の砂浜に、膨大な感じで伸び栄えていた<ウチワサボテン>を、「持ってっていいよ。いくらでも伸びるから!」と言われて、痛い思いをしながら、2枚持って帰った。「ホントに根がつくのかな?」と思いながら植えてみたら、根がつくどころか、こんなに伸び、増え続け、いくらでも伸びる植物だと、実感!でも、これを好物にしているのは、ガラパゴス諸島のイグアナだから、レンタル・イグアナでもない限り、伸び続ける脅威のサボテン。
3年前に、半分冗談で植えてみたアボカドの種から芽が出て、これもどんどん伸び続け、ついに2階まで届いている。今年の春は、この半分くらいの高さだったので、かなり、ジャックと豆の木!ここまで伸びてみると、収穫もしてみたい。
東京の夏の湿気と暑さで、どんどん新しい葉っぱが出てくるバナナの木。こんなに大きな葉なのに、手品のように、あっと言う間に伸びてくる。
L'Ile de Nantes (ナント島 = 旧ボーリュー島) を毎日闊歩している、巨大な像 (第32話に登場する、横浜の蜘蛛と、同じ制作グループによる作品)の乗り場に隣接したお土産shopで見つけた、マルセイユ石鹸。いかにも、ナントの像が刻印したように、ちょっと不器用っぽい作りだが、これもやっぱり、オリーヴ・オイル<72%>を遵守した製品である。
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