子供の頃は、美術鑑賞などと称して学校から出かける展覧会など大嫌いだった。「ミロのヴィーナス」も「モナリザ」も、「ツタンカーメン」だって、友達とべちゃべちゃおしゃべりしながら、先生に叱られながら、満員電車のような会場で観た。正確には「見た」。そしてほとんど何も覚えてはいないのだ。「東京で見に行った」という事実以外は。
それが、いつの頃からだろうか、こんなに絵を観るのが好きになったのは…。もともとは、何でも「みる」より「する」ほうが大好きだ。スポーツだって、プロ野球実況には全く興味がなかったけれど、小学生の時は男女混成チームのピッチャーという大役をこなしていた(つもり)。絵のほうも、幼い頃のいたずら描きにはじまって、日本画、墨絵、グラフィックデザインと趣味はあちこち広がった。こちらに来てからも、モンパルナスのアトリエに通って、裸婦(裸夫)をデッサンし続けている。
しかし、その大好きだった「描く」ことが、この頃では「観る」に大きくリードを許している。下手な絵を描くより、素晴らしい絵を観られること、その側にいられることの幸せを少し解ってしまったのかもしれない。
パリに暮らすことの楽しみの一つに「ヨーロッパの、いや世界の美術にどっぷり浸ることができる」ということが挙げられる。とても月並みな表現で、また言い古されたことだから、説明としては当たり前で面白くないかもしれないのだが、その「どっぷり」がここまで深いとは思わなかった。
「どっぷり」という環境を提供してくれるのはもちろん、あまたの美術館だが、ルーブルを初め、オルセー、ポンピドゥー、と続く国立美術館の関係者の情熱と執念(!?)には目をみはるばかりだ。展示作品の配置や入れ替えは常に進行形。作品のみならず建物の修復にも熱心(建物自体が歴史的建造物なのだから)で、もちろんその底には国家プロジェクト的発想もあるから、いつ終わるとも知れない。最初の駐在の頃盛んに進められていたルーブルの改築工事が、地下の中世の城跡発見により、その展示場設計図を大きく変更したことはつとに有名である。今回もまた、着任当時「この春には」と言われていたオランジュリの修復終了がのびのびになっているのはやはり地下の遺跡のためとだとか…。モネのファンはちょっとご不満そうである。
ルーブルには月に1-2回通う。だからもう何回訪れたのかよく解らない。でも、まだ道に迷う。それに、まだ見終わらない。主だった作品、好きな作品の場所は頭に入っているのだが、ちょっと違うところに足を踏み入れたら最後、どうしても「お目当て」のところに行き着けず、もう一度やり直し、なんてこともしばしばある。一体何キロ歩くことになるのだろう…。
そぞろ歩きをしながら、小さい子供たちの課外授業を横目ならぬ横耳で聞いたり、模写に励む画家の絵をのぞきこんだり、「そうそう、ここまで来たなら、あの、ピカソが毎日見に通っていたっていう絵のところまで行っておこ」などと、時間が経つのも忘れてしまうほど、私はどっぷりである。
今日も、久しぶりにモナリザにご対面。「夏の頃よりは人垣が減ったかしら」などと思いながら、人々の後ろを大回りして、いつもならまた大好きなイタリア絵画の長い廊下を戻るのだが、なんとなく、スペインを抜け、そのまま階段を降りた。
ひとけのないライオン門の出入口からぽんと外に飛び出した私は、午後の空気をゆっくり吸った。そこは秋晴れのセーヌ河岸で、向こう岸の右手には、駅舎の名残の、美しいオルセーの大時計が見えた。
*2005年4月、モナリザは引っ越しました。(註:編集部)」