フランスという国も、やはり、鉄道の技術が非常に高度であり、日本と張り合って高速鉄道の開発が進んでいる、ということ知った高校生の頃、フランス語を習い始め、フランスのことが好きになり始めていた私にとって、それはまた二重の喜びとなった。そして、TGV(SNCF=フランス国有鉄道の高速鉄道)が、日本の新幹線を抜いて世界最速記録を出した時は、悔しいようなうれしいような……私の中ではとても楽しい「話題」となった。「でもね、日本の新幹線は、山手線みたいに一時間に何本も走って、すごくたくさんの乗客をあちらこちらへ運ぶのよ」などと、自分に言い聞かせながら。
ユーロトンネル(英仏海峡海底トンネル)が出来、パリ―ロンドンが鉄道でつながれた時も、なんとなくワクワクし、東京―大阪のような感覚でいとも簡単にユーロスター(フランス、イギリス、ベルギー共同開発の国際高速列車)に乗るようになったが、実は、フランスからイギリスという異国へ行くわけで、当然パスポートチェックもある。両国の税関は5メートルと離れていない。その、5メートルの間の、ある地点から突然フランス語から英語へと世界が変わり、似たような、でもどことなく異なったブースの中の、似たような制服を着たそれぞれの税官吏が、全くといってもいいほど違う態度(どちらがにこやかか、つっけんどんか、厳しいか、いい加減か……ご想像にお任せしますが)で旅客に接しているのにも、いつの間にか慣れっこになってしまった。
フランスの鉄道の歴史は1800年代初頭に遡る。当初は石炭運搬のために敷設されたようで、地域もドイツとの国境に近いあたりだったようだ。1830年代になると、「人間」を運ぶ目的のために鉄道会社が創設され、まずサン=テティエンヌ、リヨン間を人々が行き来するようになった。蒸気機関車が時速100kmを達成した1835年、パリにも最初の鉄道会社が出来、サン=ジェルマン=アン=レィとの間に線路が敷設される。線路ができればプラットホームが必要となり、37年にパリのユーロップ広場に初めて「駅」なるものが登場した。サン=ラザール駅の誕生である。
現在のサン=ラザール駅はその後数十年の間に増改築されたものだが、それでも駅舎としては一番古いらしい。プランタン(パリの老舗デパートの一つ)の裏側、地図上では斜め上(北)に位置する駅で、一日の乗降客は、もちろんメトロや近郊列車を混ぜてではあるが、数十万人を数え、フランス一の大ターミナルステーションである。もっとも、その数は2百万人以上もの旅客を呑み込んでは吐き出す東京駅や新宿駅にははるか及ばない。
(次号に続く)
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TGV
オレンジ色のユーロスター
ユーロスター 税関への入り口
サン=ラザール駅 古い絵葉書 |