パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第35回  駅(その2) 2006.11エッセイ・リストbacknext
 現在、パリには鉄道の駅が6つある。「北駅」「東駅」「サン=ラザール駅」「モンパルナス駅」「リヨン駅」「オーステルリッツ駅」。レクサゴン(地形の形からフランス国土のことをこう呼ぶ)が東西南北に大きくいくつかに分けられ、それぞれの地域へ向けて、パリからの出発駅が決まっている。北駅(1847年開設)からはユーロスターが出るし、リヨン駅(1849年開設)はリヨンを越えて、南仏や、隣国のスイス、イタリアまで延びる長距離電車の発着駅である。
 落成当時はパリ市の境界線のあたりに位置していたこれらの駅も、1860年以降、現在のパリ市ができあがってからは決して端ではなくなってしまったが、だからといって街中というわけではなく、感覚的には「パリの端」で、「電車に乗って10分もすれば田園風景」という位置にある。だから、私にはやはり、「鉄道」は遠くへ行くものであり、駅に行くのはちょっぴり特別のことでもある。

 ところで、大正時代に生まれた東京駅丸の内口の赤レンガ駅舎をこよなく愛する日本人がたくさんいて、さかんに保存運動が行われたことからも分かるように、昔の駅舎は本当に美しい建造物だと思う。パリはどの建物も美しいが、「駅舎」となれば、その美しさも格別だ。19世紀後半の、人々の希望と社会の活力が第一線の建築家たちの設計のもとに荘厳な建物を作り上げたのだろう。それぞれの駅にそれぞれの特徴があるが、どれもこれも正面玄関は堂々たる建築で、鉄道会社の威信にかけた立派な作品となっている。
 またどこの駅にも大きな丸い時計が据え付けられている。21世紀になった今でも、遅延の多いフランス(だけでなくヨーロッパ全体がそうだけど)の鉄道事情から考えると、この時計たちが、100年以上も昔に本当に役立っていたのかはとっても疑問だけど!
 現在、美術館として名高いオルセーの建物は、1900年の万博会場への足として開通した路線の駅舎だが、セーヌ川の対岸から見る丸い大時計のはめ込まれたその姿は、いつ見ても見飽きるということがないほど美しい。リヨン駅には時計台があるが、なだらかな傾斜のてっぺんにあって、当時としては、まるでそれは教会の尖塔のようだったのではないか、と想像する。

  長距離列車の駅構内はどこの駅もそっくりだ。線路がある。横にプラットホームがある。上に鉄骨で組まれた三角のガラス屋根がある。……それだけ。今でも、あの、印象派のモネが描いた『サン=ラザール駅』に違和感はない(さすがに煙はもうないけれど)。
 駅舎の中に一歩足を踏み入れた途端に目の前に広がる何本かのプラットホームには改札口もなく、誰でも、切符などなくても線路のほうまで出入りできる。だけど、そちらへ進む人はいない。出発を待つ列車のホームに、乗客の姿がちらちらと見えるだけである。
 時折、旅行鞄をたくさん載せた台車が通り過ぎるが、アナウンスの声もなければ、発車のベルもなし。列車が到着した時だけ、その数分間に到着の人々が押し寄せて来るのだけど、それも日本のような、ごったがえした雰囲気は皆無で、老若男女が思いのままの歩調で歩いてくるだけ。それが余計、郷愁をそそる。メトロやRER(パリ近郊高速電車網)の駅の人々の動きとは全く違う「時」を感じさせる。
 そんな、長距離電車の発着駅の、日常とは少し違う雰囲気が私はとても好きだ。
 これからどこかへ旅立つのか、それとも遠くから帰る人を待つのだろうか……、駅舎の隅のカフェに座る人々やプラットホームの手前にたたずむ人々の表情は、心ここにあらずといった風情。もちろん、それは、飛行場などにも共通する雰囲気なのだが、鉄道では古い駅舎のせいもあり、そんな人々の気持ちが溶け出して、周りをセピア色に染める。なんとも懐かしい空気が漂う。気持ちがほっくりする。



北駅正面二階部分

リヨン駅

オルセー美術館

サン=ラザール駅 モネ作

区切り線で待つ

 数年前のこと、ひと夏をイギリスの田舎で過ごし、ロンドンからユーロスターで戻る息子を夫と共に北駅に迎えたことがあった。大学生にもなった子どもをわざわざ迎えに行ってあげるなんて、甘やかしすぎか…と思わないでもなかったが、実は、息子をピックアップして、その足で夕食に出かける、ということが一番の目的だったのだ。
 でも、ユーロスターがゆっくりと音もなくプラットホームに入るのを(この時も確か15分は遅れた)見た時、なんだかちょっとドキドキした。ホームの手前の境界線のような手すりから、お行儀良く、一歩も前に出たりしない多くの出迎えの人たちに混じって、私たちも息子を待った。
 後ろのほうで、どよめきと笑い声があがった。5−6人の若者が、歓声を上げながら、一人の青年を出迎えている。まるで宇宙飛行士が地球に戻った時みたいに。
 手すりのところで、身を乗り出していた少女が「ママン」と叫んだ。その次の瞬間、横にいた老婦人に抱かれた幼子が、小さなもみじのような手をちぎれんばかりにパタパタ振った。
 それからまたしばらくして、大きなスーツケースを引きずり、背中に黒いギターケースを担いだ息子が急がずにのんびりと、イギリスでできたフランス人の友だちと談笑しながら歩いてきた。つい2ヶ月ほど前に見た顔なのに、なんだか何年ぶりかで会ったような気がした。「終着駅の妖精」が魔法をかけたような夜だった。

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