2007年の初夏は、フランスも日本も選挙で大騒ぎだった。どちらの国も、国の政治に大きく関わる節目のようなものを感じさせる夏となったが、大きく違ったのは、街の様子だ。日本では、ビラが貼られ、選挙カーが大きな声で津々浦々走り回り、ひどく'暑苦し'かったが、フランスでは、指定位置の看板以外にはポスターはなく、街中に騒音が流れることもなかった。フランスは、別の意味で「うるさい」。雰囲気や環境を乱す不要な色や音は、徹底的に排除されるのである。
パリの街並みが美しいことは、何度も何度も書いてきたが、整えられた街並みを崩さないためになされる規制は、実は、生活者のためでもあるのだと感じる。抑制された色調と音に慣れた身には東京の街はとても疲れるから、それがよく分かる。
美しい街を維持するために、フランスでは、建物のみならず、看板、広告まで、規則、規則で、ほとんど自由がないらしい。確かに、繁華街といえども、店舗の看板や広告が無秩序に乱立することはない。看板の設置の仕方から、文字の書き方にまで決まりがあるのだとも聞く。そのせいかどうか、昔ながらの、壁から横に張り出させた小さな看板が今でも幅をきかせていて、そのわずかなスペースで、お店のロゴやトレードマークや、ちょっと目を引く装飾などが、趣味の良さを競っているようにも見える。
美しさの追求は、「修復」という行為が熱心に行われるところにもつながる。
21世紀の幕開け、2001年を目指して、名所旧跡と呼ばれる多くの建物やモニュメントが洗われ、磨かれ、塗りなおされた。オベリスクのてっぺんなどが金ぴかに光っているのに気がついた時は、少し違和感も感じたのだが、「昔、エジプトで最初に作られた時はあんなふうに金ぴかだったんじゃない?」という友人のフランソワーズの言葉に、納得もした。そうしたら、街中のピカピカ――アレクサンドル3世橋もオペラ座ガルニエの彫刻も公園の鉄柵の先っぽも――がなんだか急に「普通」に見えてきて、今では、光っているのが当然のことのように感じてしまう。(私も単純!)
とりあえず、21世紀の扉は開いてしまったのだから、そろそろ落ち着いてもよいのだろうが、「修復熱」はまだまだ終わりそうにない。ここの国は、おそらく、ずーっとずーーと、いつまでも熱心に街を磨き上げ続けるのだろう。あっちでもこっちでも、「改築」やら「外壁洗浄」で、実際にはなんらかの作業中の場所も多く、皮肉な見方をすれば、常に街じゅうが「工事現場」でもある。東京も、地下鉄だ、高速道路だと、いつも道路を掘り起こしているような気がするが、パリも、ぼんやりと歩いていられない。組まれた足場をくぐりながら、上手に歩かなければならないのである。
ところで、この改築工事だか、石造りの建物を誇るパリでは、よほどのことがない限り建物を完全に建て直すということはなく(おそらく、このあたりも法律で決まっている)、外壁を残したまま、中身だけ完璧に新しくしてしまうという荒療治をする。そしてその改築に1年も2年もかけるこの国では、工事中の建物すら美しい構造物に変えてしまうのだ。
(次号に続く)
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看板
オペラ座
アレクサンドル3世橋
洗浄前・後 |