朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「海峡をわたると」
2005.02エッセイ・リスト|back|next
 帰国にあたって大韓航空を利用したことのある人なら経験ずみだと思うが、いよいよ懐かしい故国が近づいたというのでスクリーンの地図に目をこらすと、「いまは東韓海の上空」としか出てこない。日本人乗客はしきりに首をかしげるものの、いつまで経っても日本海の名は出ぬまま成田着となる。別に当今の韓流ブームに逆らうわけではないけれど、あの表示だけは変えられないものか、といいかけて、思いなおした。実はフランスとイギリスとのあいだにも同じことが起こっているからだ。

  てっとり早い例がPas de Calaisである。これを仏和辞典でひくと、「ドーバー海峡」とあるばかり。因みに、この場合のpasはIl habite à deux pas.「彼はほんの近所に住んでいる」 という時のpasとはちがって、passage「通り道」の意味である。 それを確認した上でいうのだが、カレー海岸に住む人間の身になって考えれば、自分たちの海の沖をPas de~ と呼ぶのは当然だろう。ところが、日本の辞書に「カレー海峡」という訳語が出てくる気配はまったくない。ただ目を転じて、海の向こう側のイギリス人からすれば、Dover港の沖にあるStraitである以上、そう命名するほかはない。両者あいゆずらずといいたいところだが、なにぶん日本は英語優先、英国びいきの国だから、「ドーバー海峡」のほうが採用されて、それが定着したということだろう。同様にして、イギリス南岸とフランス北岸のあいだにある海峡を、フランス語ではla Manche(スペイン語la Mancha、イタリア語la Manica)というが、日本では英語のthe English Channelにならって「イギリス海峡」であり,それ以外ではない。フランスびいきのわたしからすれば、せめて英仏海峡と呼びたいところだが。


  「たかが地名くらいのことでゴチャゴチャいうな、七面倒な議論なら読んでやらない」といわれそうだが、もうすこし辛抱して、シェイクスピアの名作『ヘンリー五世』を引きあいにだすことを許していただきたい。この戯曲の背景が、15世紀のはじめ、北フランス、アルトワ地方のAzincourtにおける英仏両軍の死闘であり、それがイギリス側にとっては「アジンコートの勝利」、フランス側にとっては「アザンクールの敗北」として歴史に残ったことは周知のとおりである。主人公ヘンリー五世が問題の海峡をフランスに旅立った時は、一か八かの心境だったが、当初は優勢と思われたフランス軍を撃破し、フランスの王女を后に迎えてふたたび海峡を渡った時は、凱旋将軍だった。

  この筋立ては英王の武勲をたたえる愛国芝居としか見えないのだが、その中にあってわたしの興味を引くのは、大劇作家が両国の対立を超える位置に立って海峡を見ている点である。そもそもドラマはコーラスで始まるのだが、そこにつぎの台詞がふくまれていることを見のがすまい。
どうかご想像願います、いまこの小屋のなかに
イギリス、フランスの二大強国が閉じこめられ、
それぞれの突き出たそそり立つ前線は
危険な海峡(the perilous narrow ocean) によって引き裂かれていると。
(小田島雄志訳)
かつて晴天の昼日中、ロンドンからパリにもどる飛行機の窓ごしに海峡を見下ろしたとき、わたしはシェイクスピアのこの台詞の的確さに驚嘆したものだった。印象派が好んでとりあげた白亜の絶壁は、上空から見ると、海峡の両岸に文字どおり対峙していて、まさに「引き裂かれている」としか形容しようがない。16世紀の劇詩人の想像力は飛行機のような近代的な機械などなしに、やすやすと、しかも鮮やかに、そのイメージを掴みとってみせたのだった。

  英仏関係という観点から見ると、この芝居はヨーロッパ連合が成立し21世紀を迎えた今日ますます興味深い問題をはらんでいるが、これ以上まわり道するのはよそう。要するに、イギリスとフランスは近くて、しかも遠いということをわたしの話の前提にしたい、ということなのである。その上で、さしあたり話題を英語とフランス語の近さと遠さという点にしぼることにしよう。そして、いわばシェイクスピアのように鳥瞰的な視点から、二つの言語の重なり方、ズレ方をなるべく具体的に述べてみようと思うのである。





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