朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
ツバメの便り
2006.4エッセイ・リストbacknext

千葉 ・ 玉前神社境内の花見の宴
わたしの住処は房総半島、九十九里浜の南端から 4 キロほど内陸にはいった田舎にある。上京するにはもっと海に近い JR 外房線、上総一宮駅を利用する。駅名の由来は近在の上総国一宮、旧官幣中社の玉前(タマサキ)神社で、創建は 1200 年前と伝えられる。
  ところで、暖かいとされる外房も今年は例年より寒く、いつまでも吹く冷たい風を恨めしく思っていたのだが、ここに来て、にわかにサクラが咲きはじめた。そればかりか、一宮駅のホームに立ち、にぎやかな囀りにうながされて頭をあげると、屋根の軒下にツバメの巣ができているではないか。そこで有名な諺を思い出した。
 Une hirondelle ne fait pas le printemps.
 「ツバメが一羽来ただけでは春にならない」
これが字面の意味で、この後に別の訳文が寓意を説明するために続けられるのだが、微妙にちがっているので、あえて列挙してみよう。
a) 「1つの事実からは何事の結論も出ない」(クラウン仏和辞典)
b) 「一斑を見て全豹を卜すべからず」(新スタンダード仏和辞典、ロベール仏和大辞典)
c) 「一つの例を見て全体を推し量ってはならない」(プログレッシブ仏和辞典)
d) 「たった一つの例からだけでは一般的結論は出せない」(ロワイヤル仏和中辞典)
e) 「1ついいことがあったからといって全体が好転するわけではない」(デイコ仏和辞典)
  当然のことながら、大した差ではない。でも、その中にあって e) の解釈だけは「春」を一陽来復という積極的な側面でとらえたものとみえ、漠然とした「結論」ではなく、「好転」すなわち「楽観的な結論」に限定されていて、趣旨が一段と明瞭になった感じがする。たとえば、日銀総裁がこの諺をつかって景気見通しの楽観論を戒める場面が考えられる。これを聞いた方は「素人目には上向いたように見えるが、総裁のような専門家は、まだまだ不景気がつづくという判断に立っているのだなあ」というニュアンスで受けとることになる。
  いかにもこの諺を生かす要領が飲み込めた気がするが、その反面、幅を狭めた嫌いもある。たとえば、一度噴火がおこったからといって、みだりに大爆発が間近いと脅えてはならぬ、というような場合はどうだろう。 a)~d) の説明によれば、このケースにも十分使えそうなのに、 e) の解釈では当てはまらぬことになってしまう。では、 e) は出しゃばりすぎた解釈なのだろうか。
  判定に困って、ラルースの諺辞典 Dictionnaire des proverbes, sentences et maximes を参照してみた。すると、この諺は généralisation 「一般化」という項に分類されている。その意味では、 e) も含めて、上の各仏和辞典の訳文はいずれも的をはずしていないことになる。
  それを一応確認した上で、ラルースの記述に興味を覚えた。そもそもこの辞書は性急な「一般化」を戒める趣旨の諺を国語別に挙げているのだが、問題の一句はギリシア語のところにあり、何とアリストテレスの 『ニコマコス倫理学』に起源があるというのである。さっそく、アリストテレスの権威、今道友信先生ご推奨の高田三郎訳(岩波文庫)の頁をくると、たしかに第一巻七章(ラルースの指示はすこし違うが)の「善」の素描の中にでてくる。

  まことに、一羽の燕が、また或る一朝一夕が春をもちきたすのではなく、それと同じように、至福なひと・幸福なひとをつくるものは一朝夕や短時日ではないのである。(同文庫、上巻、 34 頁)

  なるほど「春」はそんなに簡単には来ないという同趣旨の文句が出てくるにはちがいないが、ここでの意味は「一般化」という括り方におさまるはずがなく、上記の仏和辞典の説明とも食いちがいが著しい。それを裏付けるのは 『ニコマコス』 のこれにつづく記述である。そこには「輪郭がよくできていさえすれば、そのものに手を加えこれを精緻にするということは何びとにも可能であり、時間こそかかる仕事についてのすぐれた発見者ないしは協力者であると考えられるであろう」とあるのだから。この文脈からすれば、アリストテレスの主張は、安直さ・手軽さを求める風潮、中途の煩わしさを省いて一足飛びに栄光のゴールテープを切りたいという性急で横着な願望を非難し、逆に、基礎固めをしたあと地道で気長な善行(=精進)の積み重ねこそがものをいう、ということになるだろう。この忠告は紀元前 4 世紀のギリシアのみならず、考えてみれば、 21 世紀初頭の日本にもそのままあてはまる。
  だが、説教はやめて、問題の諺が、起源とされるアリストテレスの主張からそれて、完全に一人歩きをはじめたということを確認するだけにとどめておこう。
  さて、いつもの英語との比較だが、問題の一句は英語世界ではつぎのようになっている。
  One swallow does not make a summer.
  見てのとおり、春ではなく夏になっている。察するところ、緯度の高い英国の風土がこの修正をもたらしたのだろうが、早まった断定はひかえよう。因みに、この諺をあげた小学館ランダムハウス英和大辞典は「ツバメが1羽来たからといって、すぐ夏になるわけではない」の後に「早合点は禁物」という訳を添えている。これでは、一見、前記の仏和辞典の説明とはかけ離れているように思える。しかし、考えてみれば「早合点」にあたるフランス語は conclusion hâtive であり、これを généralisation hâtive と言い替えることもできるから、そうなると諺の意味合いに英仏の開きはないとみてよかろう。

ツバメ
 事実、ラルースはフランス語の警句として、つぎの句を引いている。
  Les généralisations hâtives sont le fait des enfants et des sauvages.
  「早合点は子供や野蛮人のすること」
  もっとも、諺や俚言の類いはコトバ遊びの一面をもつから油断がならない。ラルースの類書に名高い Oxford Dictionary of Proverbs があるが、これは問題の諺の類型として、つぎの句を採録している。ここではツバメの役割も様変わりしていることが認められる。
  One Swallow makes no summer, yet one Tongue may create a Rumour.
  「 1 羽のツバメでは夏にならない。でも、口は一つでも噂になる」
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