朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
・・・たら、・・・れば
2006.7エッセイ・リストbacknext
 サッカー・ワールドカップ2006については、いまだに「もしも・・・だったら」「あの時・・・していれば」を反芻している。どっしり構えていてしかるべき川渕会長までが「スポーツに<たら、れば>はありません」と言いつつ、テレビ・カメラの前で悔しさを隠しきれない表情だったのが印象に残る。しかし、考えてみれば、優勝は1国とはじめから決まっているのだから、残りの31カ国の人たちも多かれ少なかれ同じ思いを噛みしめたことになる。そう思えば、口惜しさもいくぶんか薄められるだろう。
  もっとも、こんな時に頭をひやして現実を見つめるように勧める有名な諺がある。
Avec des〝si〝[et des〝mais〝],on mettrait Paris dans une bouteille.
直訳:<もしも>[や<でも>]を連発すれば、パリを瓶詰めにすることだってできよう。
⇒仮定をくりかえしていれば、どんなことだって可能になる。
If ifs and ands were pots and pans there’d be non need for tinkers.
直訳<もしも>や<それに>が鍋釜みたいにたくさんあるなら、鋳掛け屋はいらなくなる。
⇒手前勝手な想像どおりに事が運ぶなら、苦労しない。
  ただし、「たら、れば」がすべて諦めの悪い、後ろ向きの発想であるとはかぎらない。時にはその積み重ねが作家の構想を大いにふくらませる。いうなれば、「たら」こそが小説の源泉となることがある。

グラン・トリアノンに ある
ナポレオンの便座
  話題はいったん逸れるが、江戸東京博物館の「ナポレオンとヴェルサイユ展」を見に行った。皇帝戴冠200周年を記念して、ヴェルサイユ宮殿美術館の所蔵品が展示されたのだ。「今さらナポレオン?」という気もするが、皇帝の栄光の生涯をたどるというより、彼の身の回りに置かれていた家具調度(第一帝政様式)の展示が中心の企画だから、それはそれで勉強になった。ただ、グラン・トリアノンのナポレオンの浴室にあったというビデbidet と便座 chaise d’affairesがショーケースの中で一人前に照明を浴び、きらきらと光っているのにはびっくりした。しかし、自己顕示欲の強さの裏に、ルイ14世という鑑がすけて見えた。というのも、大王はヴェルサイユ宮の主として、多忙な日課をこなす必要上、日ごと寝室の便座の上で用をたしながら臣下に謁見したといわれるからだ。それを思い起こせば、人一倍対抗心のつよいナポレオンが太陽王の向うをはったのは当然で、ビデも便座も、人目を憚るどころか、誇示する目的でつくらせたものなのだろう。
  展示品に肖像画が多かったことはいうまでもないが、文学者としてはスタール夫人とシャトーブリアンの二人が選ばれていた。ともに反皇帝の立場を貫いたことで知られる。逆に、信奉者として知られるスタンダールやユゴーの顔が見あたらないのがいささか気になった。前者が代表作『赤と黒』Le Rouge et le Noirの主人公ジュリアン・ソレルを大のナポレオン狂に仕立てたことはあまりにも名高い。後者は元来王党派であったし、甥のナポレオン3世の専制政治には激しく反抗したのだが、それでいて、天才がめっぽう好きで、初代ナポレオン皇帝の並外れた才能にはふかく傾倒していたようだ。
  さて、そのユゴーの名作『レ・ミゼラブル』の第2部第1編は「ワーテルロー」と題され、独特のナポレオン論になっている。彼はベルギー、ブリュッセルの南方に位置するワーテルローWaterloo(英語読みではウォータールー)を現地調査してから執筆にのぞんだようだ。念のためにいうと、問題の戦闘の大筋は、イギリス・オランダ・プロイセンの連合軍と一戦をまじえたナポレオン皇帝軍が、一旦はウエリントン率いるイギリス軍に打撃をあたえたのに、悪天候を理由に決戦開始を遅らせたため、一度は退却したプロイセン軍が陣容をたてなおして加勢するのを許し、最後は連合軍の前に大敗を喫したというもの。これに関し、ユゴーは、自らこの古戦場を歩いた上でつぎのように書いた。
  S’il n’avait pas plu dans la nuit du 17 au 18 juin 1815, l’avenir de l’Europe était changé.Quelques gouttes d’eau de plus ou de moins ont fait pencher Napoléon. (Les Misérables, IIe partie Cosette, Livre Ier---Waterloo III. Le 18 juin 1815)
 一八一五年六月の十七日から十八日にかけての夜間、もし雨がふらなかったら、ヨーロッパの将来は変わっていたはずだ。雨の雫が幾粒かなりと多いか少ないかで、ナポレオンの運命は傾いてしまったのだ。(『レ・ミゼラブル』第2部コゼット、第1編、ワーテルロー、3 :1815年6月18日)
 Had it not rained in the night of 17-18 June 1815, the future of Europe would have been different. A few drops of water, more or less, were what decided Napoleon’s fate.(Norman Denny訳、Penguin Books)
 見てのとおり、典型的な「・・・たら」がユゴーの語りの出発点になっているのだ!ただ、それを確認したうえでいうのだが、下線部に注目してほしい。仮定文であるにもかかわらず、部分的に公式が守られていない。英文の方は問題ない。条件節(if it had not rainedとあるべきところ、倒置形にしてifを省いている)に対応する帰結節の動詞がwould have beenとしてあるのだから。ところが、仏文の方は条件節こそ<si +直説法大過去>となっているものの、主節の動詞は直説法était changéであり、条件法aurait été changé ではない。この規則違反はどうしてか?

ロダンによるユゴーのデッサン
 こんな時は朝倉季雄先生の『新フランス文法事典』(白水社)を参照するのがいい。見ると、さすがにこういうケースにも触れてあり、「条件法過去の代わりに現実の法である直説法を用いることにより、行為の実現が確実であったことが強調される」とある。
 この記述に従えば、ユゴーにはあの戦争でナポレオンが勝ち、ヨーロッパ史の流れを別様にしてほしかったという期待がよほど強かったことになる。それだけ、この行文にはユゴーの口惜しさがにじんでいるとみることもできるだろう。ただし、誤解のないように付言するが、ユゴーのナポレオン観は一筋縄ではいかず、他方でつぎのように独裁者ナポレオンに見切りをつけていることも忘れまい。
 Ces pléthores de toute la vitalité humaine concentrée dans une seule
tête, le monde montant au cerveau d’un homme, cela serait mortel à la civilisation si cela durait.(id.9. L’inattendu)
 たったひとつの頭に人類の全精力が過剰に集まる、世界がひとりの人間の頭脳の中に凝り固まる、そんなことが長くつづいたら、文明の命取りになるだろう。(同、9.予想外のこと)
 That there should be so great a concentration of vitality, so large
a world contained within the mind of a single man, must in the end have
been fatal to civilization.
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