朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
性の転換
2006.11エッセイ・リストbacknext
 このタイトルから「性転換」changement de sexe, sex changeを思いうかべて驚く向きがあるかもしれないが、ご安心願いたい。ここで問題になっているのは文法上の「性」genreだ。読者のなかには、フランス語の学習にはまず「性の目覚めが必要だ」という風に習った人もいるのではないか。たしかに、hommeが男性で、femmeが女性、というだけなら問題ないが、livreが男性で、tableが女性となると目をまわす。いや、それは理屈ではなくて、この言語をつかう人々の社会francophonieの約束なのだということを知らされる。考えようによっては、それは本来の「性の目覚め」のように、前後で世界観が一変するような大事件だ。しかしいったん目覚めてしまえば、その約束にともなって冠詞やら形容詞やら動詞の過去分詞やらが形を変える、そんなシステムが厳然とあり、異国人はとにかくそれになじむことがフランス語の勉強なのだと納得がいく。そんなわけで、今回ばかりはフランス語だけに話題をしぼろうと思う。

Victor Margueritteの小説La Garconne(男のような女)(1922年)の主人公のイメージ
   さて、上記のことを前提に、すこし厄介な話にうつる。つまり、genreとsexeの関係が錯綜する場合である。
  名詞のgenreは一つにきまっているが、現実には男女どちらのsexeにも用いられるケースがある。connaissanceは女性名詞で「知識」というのが原義である。ところが、派生的な語義として、「知人」という意味でつかうことがある。その時はどうだろう。女の人はもちろんだが、男の人でもそのまま使われる。他方membreは男性名詞だが、もちろん女性メンバーもいてかまわない。似ているのはviolonの場合。「ヴァイオリン奏者」の意味でviolonisteを使えばun violonisteもune violonisteもあるが、violonを使うと、男女を問わずun violonでしかない。
genreとsexeがもともと食いちがっているケースもある。basseは女性名詞である。それが「低音」とか「低音域」とか「低音楽器」を意味するうちはよいが、「(低音域を歌う)バス歌手」はいやおうなく男性を指すことになって、こんがらがってくる。同類としてはsentinelle「(軍隊の)歩哨、見張り番」、recrue「新兵」がある。もっとも時代の流れで、女性兵士が珍しくなくなってきたから、混乱がそのぶんだけ減ったといえる。cordon-bleu「料理の達人」の場合は逆だろう。男性名詞だが、普通は女性にたいしていう。読者のなかにも教室に通って、cordon-bleuの免状をもらった人、つまり「料理の達人」がいるのではないか。もっとも、男性が料理教室に通ってもおかしくない世の中になってきたから、食い違いは減ってしまった。
  相手に愛情をしめす言い方として、ことさらgenreとsexeを交差させる場合がある。妻や恋人、あるいは少女にむかって、ma chérieとかma petiteとかいうのは当たり前だが、時にmon chéri とかmon petitとかいう。逆に男性にたいしてことさらma belleとか ma petite filleとかいう。ここまでは文法書に書いてあることなのだが、近頃はpédérastie 「少年愛、男色」がさかんだから、その場合はどうなるのか、それは検討課題とすることにしよう。
  さて、こんなこまかな話をはじめた理由は新聞記事にある。

社会党のpresidentiable,Mme Segolene Royale
  一つは大統領選挙関連の話。このほどフランスの次期大統領をきめる選挙日程が2007年4月22日と公表された。日程をあきらかにしたのはSarkozy内相。彼自身、有力な候補者であることは自明だが、野党の社会党PSは候補者選定にようやくのりだしたところで、つい最近の新聞にはprésidentiable「大統領選挙の候補になりうる人」3人が討論したことを伝えた。すなわちMme Royale 、 M.Strauss-Kahn 、 M.Fabiusの3氏だが、スタイルも政策綱領も三者三様で、サルコジ氏(与党はこの人にきまるだろう)の対抗馬を誰にきめるか党員も迷っている。かりにMme Royaleが候補者candidateにきまり、選挙で当選したとなるとどうなるか?
 というのも従来の約束では、「大統領」というフランス語présidentは男性名詞にきまっていて、la présidente de la République は共和国大統領夫人を意味する、そんな使い方しかなかったからである。そもそもprofesseur、ministreなどと同じように、男性にふさわしい職業の名詞とみなされてきたのだ。ところが、近年女性大統領が現実になり、それを受けてプチ・ロベール辞典の新版にはla présidente de la République finlandaise「フィンランド共和国大統領」という用例がのることになった。ついでにいえば、P.D.G. 「(株式会社の)社長」も一昔前は男性形ときまっていたのに、今やprésidente-directrice-généraleという女性形が採録されている。要するに、フランスやアメリカ合衆国にla Présidente が出現しても不思議はない時代がきて、フランス語の方にもそれを受け入れる準備が整ったということなのだろう。
  もう一つの例も時代相をにじませるという意味では、ひけをとらない。
 先月なかばのLe Monde紙にLa propriété de son corps et la prostitution 「己の肉体と売春」という記事が載った。21世紀のla morale de consentement「同意にもとづく倫理」にしたがうなら、売春行為をこれまで通り断罪することはできなくなり、Elle (=la prostituée) deviendrait une travailleuse ni plus ni moins honorable que les postières ou les écrivaines. 「売春婦も郵便配達や作家とかわりなく立派な働く女性になるであろう」というのだ。
 筆者Marcela Iacubはアルゼンチン出身の女性法律家、現在はフランスのCNRS Centre national de la recherche scientifique「国立学術研究センター」に所属する法学・生命倫理学のエキスパートで著作も多いという。
 この論文の内容はわたしの手に余るので、その点は読者のご判断にまかせる。ただ引用文の最後に出てきたécrivaineに注目願いたい。これは従来は男性名詞とみなされてきた単語で、お手元の仏和辞典もたいていはn.m.としているはずだ。そして、女流作家の時はune femme écrivainという言い方を指示するのが従来の常識だった。フランス語教師が虎の巻にしている「新フランス語文法事典」(朝倉季雄著、木下光一校閲、白水社刊)にもつぎの例文が出ている。
 Mme de Sévigné est un grand écrivain.「S夫人は大作家だ」
 ところが最近にいたってこの単語にも「性の転換」が生じた。
1996年版のロベール日常語辞典は次の説明を載せた。「ある女性作家たちはécrivainesを自称する。この形はスイスとケベックで採用されている」プチ・ラルース辞典もこの説を採用し、本国では未承認であることをにおわせつつ、「francophonie全体にいきわたった」ともしている。因みにécrivaineを自称したのは日本にも多くのファンのいるColetteだという。
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