朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
オバマ演説に学ぶ(3) 2009.4エッセイ・リストbacknext

3月19日のデモ。
 CGT労働総同盟のBernard Thibault書記長がParisien紙の記者に
Il y a un ras-le-bol général.
「もううんざり、という気分が蔓延している」と語り、街頭デモの盛り上がりを予測したそうだ。経済危機が高じて、社会不安un malaise socialを生み出したということだが、ras-le-bolという表現が面白い。もとはen avoir le ras de bol「(椀の縁からあふれる→)うんざりする、やりきれない」という言い方。我慢が限界を超えてcafé au lait みたいにbolから溢れる様を思い描くと、印象がよけい鮮明になるのではないか。

 ところで、こんな身に迫る表現は他にもたくさんありそうなものだが、あいにく私が目にするフランス語は多かれ少なかれ洗練され、素朴な生気に乏しく、類例に出会う機会は稀だ。その前提に立っていうのだが、オバマ演説のテキストを見返して驚くのは、英語がナイーヴでしかも想像力を刺激する言い回しに富んでいることだ。その点ではフランス語(この場合、訳文としてのフランス語である点を割り引く必要があるが)は太刀打ちできそうもない。以下に二、三、その証拠を拾い上げようと思う。引用は、前回と同じく、原文、ル・モンド紙の仏訳、朝日新聞の和訳の順に掲げる。
 ▶Homes have been lost, jobs shed, businesses shuttered.
 ▶Des maisons ont été perdues; des emplois ont été détruits ; des entreprises ont fait faillite.
 ▶「家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。」
  訳はともに原文に従っている。が、並べてみると物足らない。仏訳者は原文の過去分詞shed, shutteredのたたみかけるような連発の効果を承知の上だと思うが、受身形にこだわりontという助動詞の連発で代用した感じがする。結果として説明は行きとどいたが、原文の簡潔さが失われたという憾みがのこる。他方、和訳は原文のぶっきらぼうな感じを生かしたが、shed(to shed bloodは「人を殺める」の意)やshutterという語の凄みは薄まってしまった。後者については近頃多い「シャッター街」を私は連想した。オバマ演説はただ「企業はつぶれた」という以上に強く訴える語句を入念に選んでいるように思える。
  ▶It (=our journey) has not been the path for the faint-hearted, for those that prefer leisure over work, or seek only the pleasures of riches and fame. Rather, it has been the risk-takers, the doers, the makers of things <…> who have carried us up the long rugged path towards prosperity and freedom.
 ▶Ce chemin n'était pas fait pour les timorés --- pour ceux qui préfèrent les loisirs au travail ou ceux qui ne cherchent que les plaisirs de la richesse et de la célébrité. Au contraire, ce sont ceux qui prennent des risques, ceux qui passent à l'action, ceux qui construisent <...> qui nous ont portés sur ce long chemin escarpé vers la prospérité et la liberté.
 ▶「仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者実行する者生産する者たちだ。<...> 彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。」
 仏訳はratherをau contraire「反対に」と強く訳したところが面白い。原文以上に前後の対立がくっきりしたといえる。訳者が論理の流れに目を光らせている証拠だろう。逆に和訳者はratherを当たり前に「むしろ」と訳したために、前文と後文とのつながりが曖昧になった。それに気づいた訳者は(米国の旅を担ってきたのは)という補足文をはさんだが、これでは末尾の「私たちを運んでくれた」と重複する。ただ、それにはこの際は目をつぶろう。
 上の引用箇所で何より注目したいのは下線部に顕著な英語の特徴である。比較してみれば明瞭だが、両訳、特に仏訳はいかにも説明的だ。これに対し英語はrisk-takerとかdoerとか、動詞に接尾辞-erをつけた、てっとり早い造語ですませている。しかもそれでいて意味を十分に伝ええていることは両訳が証明している。この横着には目をみはるしかない。
 表向き、同じ即物的表現のように見えるのが次の部分である。
 ▶For us, they toiled in sweatshops,...
 ▶C’est pour nous qu’ils ont travaillé dur dans de conditions difficiles...
 ▶「私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き...」
 両訳とも前と同様に処理していて、何の問題もないように思える。ところがsweatshopという語を調べてみて驚いた。「労働搾取工場」(研究社英和大辞典)という訳語が当てられていて、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけてsweating system「苦汗制度」の下で、労働者を狭くて非衛生的な家屋に押し込み、長時間、しかも低賃金で働かせた作業場のことを指すとある。つまり形を変えた奴隷制で、強欲な雇い主が婦女子や移民を酷使したのだ。その非道が極まり、ついに労働組合が結成されるにいたった。sweatshopはこんな歴史的背景を持つ単語だったのである。(Webster New Universal Encyclopedia)
  してみると、仏訳はまだしも、和訳は不十分といわざるをえない。オバマ大統領は資本主義の負の歴史を踏まえて演説したのである。彼が用いたsweatshopという単語にはそれだけの暗い過去が負いかぶさっていることを見落としてはなるまい。仏訳者は背景を知って訳しているようだが、和訳のように単なる比喩と受け止め「汗を流して懸命に働き」と訳すのはどんなものか。先祖の勤勉さを称えることになりかねぬが、とんでもない、ここでの問題は抑圧・搾取の構造であり、それが告発されている。一つ間違えば、演説の趣旨を歪めかねない。翻訳者が警戒すべき注意点だろう。


sweater girl

 それはともかく、演説のおかげでsweat関連の語を見る機会を得た。そこで、思いがけずsweater girlというアメリカ口語に出会った。読者はご存じだろうか?辞書によればgirl with a well-developed bust、つまりセーターの似合う「胸のふくよかな若い女性」のこととある。同じことをいうフランス語にはavoir de la poitrine(une forte poitrine)があり、これはこれで分かるが、いかにも分析的だ。sweater girlのように見たまま感じたままを暴力的にコトバに結びつける英米語の即物性にはとうてい敵わないように思う。

 大統領の就任演説が英語あるいは米語の魅力をあらためて私に教えてくれたことを言おうとして、こんな語を最後に出したのは大統領に失礼にあたるだろうか。

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