フランソワ・ラブレー
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地口はパリという地名にもおよぶ。そもそもその由来をご存じだろうか。文庫クセジュの『パリの歴史』Histoire de Paris(Yvan Combeau著、小林茂訳)によると、紀元前3世紀中ごろ、セーヌ河の中のシテ島île de la Citéに定住をはじめたケルトの部族パリシイ人Parisiiに端を発する。彼らを征服してローマ人が築いた町ルテテイアLutèceがやがてパリシイ人の町Civitas Parisiorumと呼ばれるようになり、それが後にParisに取って変わられた、というのが定説である。ところが、地口、ダジャレの大家フランソワ・ラブレーFrançois Rabelais(1494?-1553)がとんでもない珍説を思いついた。それを紹介する前に、作者その人についておおまかな説明をしておこう。
彼の名を不朽のものにしたのは、民間伝承をもとに生み出された巨人王父子、ガルガンチュアGargantuaとパンタグリュエルPantagruelの年代記である。16世紀のフランスはギリシア・ラテンの古典文学に精通したユマニストhumanistes(人文主義者)の台頭で、ルネサンス文化を開花させたことで知られるが、その一方で、ルターMartin Luther (1483-1546)やカルヴァンJean Calvin (1509-1564)らによる宗教改革la Réformeと、それに反発するカトリック教会の反宗教改革la Contre-Réformeとがはげしくぶつかりあう時代でもあった。ラブレーの死後10年もしないうちにフランスでは新旧キリスト教徒が敵対する宗教戦争guerres de Religionという名の内乱が起こり、30年以上もつづくことになる。その険しさはラブレーの生前から思想表現に対する不寛容intoléranceの形ですでに緊張を高めていたことを忘れてはならないだろう。
ラブレーは若い時に修道院で古典語を学び、後に医学を修めて、自由で開明的な世界観・人間観に立っていたから、神学者たちの旧弊を守る硬直した思想や堕落した修道士たちの偽善的道徳を座視できず、彼らをあからさまに愚弄する内容を著書に盛り込んだ。それが相手を刺激しないはずがない。はたせるかな、『第二の書パンタグリュエル物語』(ややこしいが『第一の書ガルガンチュア物語』よりも先に刊行された)が、発表の翌年、パリ・ソルボンヌ神学部から告発されてしまった。その後の彼は追放処分に耐えつつ、検閲の目をくぐって物語の執筆・出版をつづけたのである。
そんな芸当がどうしてできたのか。告発の後で出た『第一の書』の最初に置かれた「読者のみなさまへ」に注目しよう。翻訳については渡辺一夫訳(岩波文庫)があまりにも有名だが、ここではより読みやすい宮下志朗訳(ちくま文庫)をひいておく。「この本を読まれる、親愛なる読者よ<…>本書を読んで、つまずいてはなりません。ここには悪も腐敗も含まれてはおりません。正直なところ、ここで学ぶものといったら、笑いをのぞけば、ほかに利点はございません。わたしの心は、それ以外の主題などは選ぶことができません。<…>なにしろ笑いとは、人間の本性なのですから。」
「つまずいてはなりません」のところ、scandaliser「悪い手本を見せて人を堕落させる」の受動態が使われていて、聖職者の話し方を逆手に取ったもの。
事実、作品には、食べ物や糞尿をめぐるバカバカしいおふざけや常軌を逸したコトバ遊び(地口や語呂合わせ)がつぎつぎに繰り出されるのだが、「お笑い」の裏には告発を回避するための策略が秘められていることを見落としてはならない。以下に引くのも、そうしたイタズラの一つであることをあらかじめ承知してかかる必要がある。
まず手始めにGargantuaの命名の由来を見ておこう。彼はグラングジエGrandgousier(「大きなノド=gosier」)の子として生まれるのだが、生まれ落ちるなり「のみたいようー、のみたいようー、のみたいよう!」 « A boire, à boire, à boire ! »と大声で叫ぶ。それを聞いた父親が「おまえのはでかいんだなあ」 « QUE GRAND TU AS ! »といった。その第一声がそのまま息子の名になったという次第。(第7章)
ノートルダム塔上の
ガルガンチュア(ドレの挿絵) |
さて、パリという地名の由来だが、ガルガンチュアが父に命じられ、家来を連れてパリに修行に出た時のことだ。(第17章)巨人に見とれて、野次馬が大勢集まってきた。彼らにつきまとわれて、ガルガンチュアはノートルダム教会の塔の上で休息せざるをえなくなり、眼下の群衆に向かって叫んだ。以下に引くのはSeuil叢書の現代訳である。
« Je crois que ces maroufles veulent que je leur paye ici-même ma bienvenue et mon étrenne. C'est juste. Je leur vais payer à boire, mais ce ne sera que par ris. »
「ろくでなしの諸君、ぼくが、諸君に入会金を支払い、ご祝儀[本来は、新来の司教に与えられた祝儀]をはずんでくれるものと、期待してるんですよね。それもごもっともです。よろしい、ではいっぱいふるまってしんぜましょう-----パリだから、おふざけでね。」
こういうと、彼はブラゲットbraguette(男性のズボンの前につけた袋状の装飾)を外し、空中に向かって勢いよく放尿した。そのため26万418人が溺死した。(宮下注によると、聖書に頻出する人数の数え方のもじり、だという)宮下訳は下線部(以下も同様)に「パルリ」とルビを振っているが、ここが地口であることは明瞭。
Quelques-uns d’entre eux échappèrent à ce pissefort en prenant leurs jambes à leur cou et quand ils furent au plus haut du quartier de l’Université, suant, toussant, crachant et hors d'haleine, ils commencèrent à blasphémer et à jurer, les uns de colère, les autres par ris : « Carymary, caramara ! Par sainte Mamie, nous voilà arrosés par ris » Depuis, la villes en fut appelée Paris...
何人かの連中は、早足のおかげで、このおしっこ洪水をまぬがれた。そして、汗だくで、咳もこんこん、唾をはきはき、はあはあいいながら、大学の丘(サント=ジュヌヴィエーヴの丘)の上までやってくると、ある者はかんかんに怒って、またある者は、げたげた笑いながら、あれこれ悪態をつき始めた。
「くわばら、くわばら。聖母マミヤさま、おふざけから、ぴちゃぴちゃになっちまいましたぜ」と。これがきっかけで、それ以後、この町はパリと呼ばれることとなった...
そのあとに語源の説明めかして、「パリっ子」はギリシア語でParrhésiensといわれたが、これはギリシア語で「口さがない連中」の意味とラブレーは書く。しかし、むろん冗談。あくまでも人を食った話である。因みに、訳者はギリシア語の「パレーシア」は「率直な物言い」の意味だといい添えている。
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