朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
環境問題 2010.1エッセイ・リストbacknext
 フランスでも日本でも12月20日まではCOP15の話題で持ちきりだった。
 先に進む前にCOP15という名の由来について一言。というのも、会場がデンマークのコペンハーゲンCopenhagueだからだという慌て者がいるから。COPは締約国会議Conference of Partiesの略である。余談だが、英語はpartyという語を好んで用いるようで、北朝鮮問題をめぐる6カ国会談もSix-party talks(仏語ではpourparlers à six)という。
 さてCOP15だが、正式には、国連気候変動枠組条約United Nations Framework Convention on Climate Change(UNFCC)、[仏]Convention cadre des Nations unies sur les changements climatiques(CCNUCC)を受けて設置された会議のことで、年に一度、各国の環境に関わる省庁の大臣が集まり、同条約の成果について話し合う。京都議定書protocole de Kyoto(1997)で有名な京都会議はCOP3、今回は15回目なのでCOP15なのだ。
  Jamais les nations ne se sont autant engagées sur ce thème.(Le Monde du 8 décembre)
 「これまで各国がこのテーマにこれほどコミットしたことはけっしてなかった」
12月8日付「ル・モンド」紙は会議の成り行きに大げさなほど期待をこめたが、これが読者一般の気持の反映だったろう。それだけに、会議が混迷のはてにゆきついた政治合意の内容は深い失望を与えた。22日付の同紙は議長のLars Loekke Ramunsenデンマーク首相が会議の総括として述べた自棄っぱち発言を次のように伝えている。
 une vaste foire d'empoigne s'achevant sur ce qui ressemble à un ratage
 「大がかりな掴みどり市、あげくのはて、アブもハチも取らず」
 因みにfoire d'empoigneは比喩的に「欲得づくの奪い合い」の意味で使われるが、あえて原義のまま訳してみた。ついでに比喩の輪をひろげれば、Larousseの諺・名句辞典Dictionnaire des proverbes, sentences et maximesは「失敗」の項に、スペインの諺として『ドン・キホーテ』後篇から次の文句(サンチョの言)を引いている。
 Tel va chercher de la laine qui revient tondu.
 「羊の毛を刈りに行きながら、自分の毛を刈り取られて帰ってくる」
 

コペンハーゲン計(ル・モンド紙12月8日付より)

先進国les pays développés側も発展途上国les pays en développement側も不満をもったまま終わったことからすれば、「ル・モンド」紙の見出しにある通りéchec失敗と見るしかない。しかも、どう評価するにせよ、合意形成が先送りされたのだから、温室効果ガス排出量削減réduction des émissions de gaz à effet de serreという課題の緊急性imminenceがますます高まったことだけはまちがいない。
 上記の「ル・モンド」紙はle copenhagomètre「コペンハーゲン計」(むろん地名と接尾語 −気圧計baromètre、温度計thermomètre−を組み合わせた造語だ)を掲げ、2020年に対1990年比で25%から40%の削減目標を達成しようとして先進各国が約束した数値を図示してみせた。それによると、突出しているのはノルウエーの40%で、EUの20%~30%がそれに続く。日本では鳩山首相の提唱した25 %を不可能視する議論が目立つようだが、コペンハーゲン計によればほぼ中間にあたる。その意味では妥当な目標と見るべきだろう。しかし裏をかえせば、下があるということで、先進工業国の平均が12%~16%、日本の目標はそれをだいぶん上回っている。逆に目立つのはアメリカで、コペンハーゲン計の下限に近く4%に止まっている。時代をさかのぼって考えれば、ブッシュ前大統領が世界最大の温室効果ガス排出国の責任を回避して京都議定書に脊を向けたことで生じたマイナスはいかにも大きい。そのアメリカの会議復帰は評価できるものの、4%という数字はあまりにも低すぎないか。経済大国の中国がCOP15の席では発展途上国のような顔をしてその利害を代弁する挙に出た。そのことに強く反発するオバマ大統領の気持もわからなくはないが、自国の弱みを是正する方が先決だろう。地球規模では、前任者の不始末の処理という難問はアルカイダだけでなく、温暖化問題にも及ぶことをぜひとも認識してほしいものだ。

地上気温の年次変化(北半球)(気象庁ホームページより)

 この機会に「気候変動に関する政府間パネル」Intergovernmental Panel on Climate Change(IPCC)(Groupe intergovernmental d'experts sur l'évolution du climat ;GIEC)の第3次評価報告書に掲載された「地上気温の年次変化」évolution de la température moyenne globale terrestre en degré Celsius、特に北半球のグラフを見ていて仰天した。1961~1990年の平均からの気温の偏差でみると、紀元1000年から1900年くらいまで−0.3度(12世紀に−0.1度近くまで上昇したのと15世紀後半に−0.5度以下になったのを除くと)前後の水準をずっと保っているのに、20世紀に入るや急上昇し、基準の1961~1990年以降はプラスに転じたばかりか今や1度の水準に迫っているのだ。そのグラフの急角度(垂直に近い!)から見て、今度のコペンハーゲン合意文書がいうように2020年までの上昇を「2度以下」に抑えるのはとうてい不可能としか思えない。
 ところで、この年次変化のグラフが西暦1000年にまでさかのぼっていることに注目しよう。そんな昔に温度計があるわけがない。それなのに、どうしてデータが集まったのか。その疑問に答えてくれたのは、Histoire du climat depuis l'an mil『(1000年以降の)気候の歴史』(読みやすい稲垣文雄訳が藤原書店から出ている)だ。著者のEmmanuel Le Roy Ladurieはアナール派の歴史学者として名高い。この大著によると「1800~50年以前」は「厳密な気象観測がまだおこなわれていない」。ところが、近年進展が著しい諸科学、特に年輪気候学、年輪年代学、生物気象学さらには氷河学、地質学などの研究成果を統合した結果、過去1000年の気候変化の精密な把握が可能になったというのである。要は科学の威力と、科学は間違いを犯さないという絶対的な信頼とに支えられているということになる。
 COP15にもどるが、最後に作成されインターネットのサイトにも出ているl'accord de Copenhague「コペンハーゲン協定」(最終的にはaccordではなくtake note「留意」にとどまった)にもscience(単数)という語が連発されている。その文面からは、192国(英語流にはparties)が掴みあいを演じる地球危機を救うのは「科学」しかないという悲痛な声が聞こえてくるように思える。
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