朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
火山噴火の教訓 2010.5エッセイ・リストbacknext

アイスラ ンドの噴火 photo:day life

 地球はこのところ異変に見舞われ通しだが、今度はアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル氷河火山の噴火éruption du volcan du glacier islandais Eyjafjallajökullがおこり、飛行機の運航に例の9.11を上回る混乱をもたらした。ニュースはさておき、これをどう受けとめるかに興味をもっていたところ、4月20日付Le Monde紙の社説が目にとまった。題してQuelques leçons sur le temps tirées d'un volcan「火山から引き出される、le tempsに関する二、三の教訓」。le tempsとしたのはle temps qu’il fait「天候」とle temps qu'il faut「必要な時間」、両方の意味があって日本語では異質な2語にまたがるからだ。それはそれとして、面白いのは、わたしの知るかぎり日本各紙の社説が、やれ災害対策の必要とか、やれ景気への悪影響とか、もっぱら即物的、経済的な思考の枠組みに囚われていたのに比べ、「ル・モンド」が哲学的な捉え方をしている点である。
 教訓は大掴みにして二つ。一つはl'usage du temps「時間の使い方」に関するもの。
 …sur la société de l'accélération, les sphères politique, économique et même personnelle sont emportées par cette dictature de l'urgence qui nous fait réagir et non agir, nous agiter quand il faudrait se poser sinon se reposer.
 「加速のついた社会では、政界・経済界さらには個々人の生活領域さえも緊急性の専制に追い立てられていて、そのため、われわれは状況に対応するだけで、行動を起こすことはないし、休息とまでいかずとも、せめて立ち止まってしかるべき時にも、ばたばたしてしまう」
 もう一つはle temps qu'il fait「天気」に関するもので、飛行機を止めた気象状態はわれわれに反省を迫っているとして、Nous voilà remis à notre place. 「(増長していた)われわれは本来の位置にひき戻されたのだ」という視点から人間と地球との関係が問題にされる。
 La planète vient de nous offrir un grand coup de frein sorti de ses entrailles propagé jusque dans la stratophère.「今しも地球はわれわれに対して、地底から出て成層圏にまで達する大がかりなブレーキをかけたというわけだ。」
  Passé la surprise ---que fait donc un volcan sous un glacier ? Que fait le chaud sous la protection du froid ?「驚愕が去ったあとで---氷河の下にある火山はいったい何をするのだろう?氷塊の保護下にある高温マグマは何をするだろう?」
 ここでAlain Finkielkraut(理工科学校の哲学教授)の説につづき、結論が披露される。
« ..l'homme n'est pas voué à ne rencontrer que lui-même ; ce n'est pas forcément une mauvaise nouvelle ». Nous aurons désormais en nous un peu d'Islande, et chacun se sera senti effleuré par le fameux effet « aile de papillon » décrit dans les traités de mondialisation.
 「『人間が出会うのは自分自身(=同類)だけ、と定められているわけではない。これは必ずしも凶報であるとは限らない』この先われわれは心のうちに多少なりとアイスランドを抱えこみ、世界化論のなかに出てきた例の「蝶の羽」効果に自ら軽く触れたような気分になるだろう」
 ここで「蝶の羽」というのは、アメリカの気象学者E.N.Lorenzの学説で、太陽熱で暖められた地表と上層で冷やされた大気とが対流する、その時起こる大循環を数式化し、グラフにするときできる蝶の羽をひろげたようなフラクタル図形を指す。要するに、些細な気流の乱れが幾千幾万キロ彼方で巨大な嵐に発達することを気象学的に証明したわけだが、この文脈では、アイスランドの噴火を契機に、人間存在の根底がいかに脆いかを自覚せよ、というほどの意味だろう。
 実は、二つの教訓の順序は、もともとは逆だった。第一の教訓は日本人にもピッタリくるが、第二の教訓の方はなじみ難いと判断して後に回したのだ。この懸念の背景を考えてみると、「蝶の羽」という比喩に戸惑うこともあるが、そればかりでなく、そもそも噴火や地震が珍しくない島国に住みなれた日本人と、どちらにも縁遠い堅牢な地盤の上に安住してきたフランス人との違いが浮かびあがってくる。衝撃の大小に開きが出てくるのも仕方ないのかもしれない。それを認めた上でいうのだが、いかに違いがあれ、上に述べた日本各紙社説の次元の低さが気がかりだ。日本の不振の一因はマスコミの視野の狭さ、危機意識の弱さにもある、と言いたくなる。
 話は飛躍するようだが、このほど岩波文庫に入ったJean-Paul Sartreの長編小説Les Chemins de la liberté『自由への道』に教訓を求めたい。畏友の海老坂武君が若手のサルトリアン澤田直君の協力を得て翻訳に取り組んだ。現在第四分冊(第六分冊で完結)まで刊行中、読みやすく仕上がっているから、ぜひ読んでほしいものだ。 この小説については、いずれ取り上げたいと思うが、とりあえずは事件から何を学ぶか、という課題である。以下に引くのは、1938年9月、名高いaccords de Munich「ミュンヘン協定」締結に先立つ1週間の模様をモンタージュ手法で描いた第二部「猶予」Les Sursisの一節。パリのla rue Royale(place de la Concordeからla Madeleineにいたる目抜き通り)を歩くBrunetの心境が綴られる。街も人も果てしなくつづく平和と繁栄に酔っているように見えるが、とっくにナチスの脅威を見抜いた彼の視野に入るのはすぐそこに迫っている戦争以外にはない。
 Brunet marchait tout doucement, il respirait une odeur de papier d'Arménie, il leva la tête, regarda des lettres d'or noirci accordées à un balcon ; la guerre éclata; elle était là, au fond de cette inconsistance lumineuse, inscrite comme une évidence sur les murs de la belle ville cassable; c'était une explosion fixe qui déchirait en deux la rue Royale ; les gens lui passaient au travers sans la voir ; Brunet la voyait. (太字・下線の指示は朝比奈)
ロワイヤル通り
 「ブリュネはゆっくりと歩いていた。紙香水の匂いを嗅ぎ、バルコニーの黒ずんだ金文字を読んだ。戦争が勃発した、戦争はそこにあった。この光り輝く脆さの奥に、壊れやすい美しい都市 の壁にはっきりと書かれている。ロワイヤル通りをまっぷたつにしているのは固定した爆発だ。人々はその光景を見ずに通り過ぎていく。ブリュネにはそれが見えた。」
 ブリュネの目には太字の単純過去形が示すように、戦争は実際の出来事として映った。第二次大戦の開始は1年もあとのことだから、むろん見たものはただの幻想にすぎない。訳者は下線部の背後にはシュールレアリスムの影響があるというが、ともかく幻覚の迫真性を証明する表現にはちがいない。ここで注目したいのは、ブリュネの白昼夢がやがて現実になったこと、それに対し平和ボケの人々はすぐそこまで迫っている危機を見逃した、ということだ。ジャーナリストたるものは、ブリュネのような透視力を備えているべきだと思うのだが、どんなものだろう。
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