朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
リスボン大地震(その2) 2011.06エッセイ・リストbacknext

ポープ
 前回につづいて、Voltaireの『リスボンの災厄に関する詩』を紹介する。ただ先に進む前に、副題「<全ては善である>という原理の批判」の意味をはっきりさせよう。
 問題の「原理」の出発点はドイツの思想家(数学・物理学から歴史・哲学まで幅広い活動で知られる)ライプニツLeibniz(1646-1716)の提唱した弁神論théodicéeにある。平たくいうと、この世界に悪が存在するのはなぜか?この昔からの難問に答えて「現存する世界は可能なかぎり最善の世界である」とし、この世界を創った神を弁護しようとした理論である。このままでは難解で、一般向きではない。そこで、英国の詩人ポープPope(1688-1744)が『人間論』An essay on manの中で、ライプニツの説をもっと単純化して、つぎのように述べた。
 Whatever is, is right. /Tout ce qui est, est bien.
 「存在するものはすべて善である」
 ヴォルテールは生前のポープと親交があったが、これを「全ては善である」という意味だと理解し、はげしく反発した。ポープ流の原理に従えば、神はすべてを創り、すべてを仕切っている。そこで、すべての現象は善なる神の意図の表れであると考えれば、自然界も人間界もその動きが整合的に説明されることになるはずだった。矢先に起こったのがリスボン大地震である。この大惨事は当然のことながら、人間の思惑などお構いなしに、一網打尽に街並みをこわし、人命を奪った。その凄まじさは人間界を支配していたはずの正義・公平の原理をやすやすと超えてしまったから、それを伝え聞いたヴォルテールは格好の反撃材料がそこにあると考えた。「誤った哲学者たち」とはポープや英国の哲学者シャフツベリShaftebury(1671-1713)たち、さかのぼって元祖ライプニツをさしているのであり、詩句はどれも彼らに直接呼びかける形をとっている。
 Direz-vous, en voyant cet amas de victimes,
 Dieu s'est vengé, leur mort est le prix de leurs crimes ?
 Quel crime, quelle faute ont commis ces enfants,
 Sur le sein maternel écrasés et sanglants ?
 「こんな犠牲者の山を見て、あなたたちは言うつもりなのか、
 神は復讐をなさった、彼らの死は自分たちの罪の代償なのだ、と。
 どんな罪を、どんな過ちを犯したのか?これらの子供たちは、
 押しつぶされ血まみれで母親の乳にすがっている彼らは」
 
 Lisbonne qui n'est plus, eut-elle plus de vices
 Que Londres, que Paris, plongés dans les délices ?
 Lisbonne est abîmée, et l'on danse à Paris.(太字は朝比奈)
 「リスボンは消えてなくなったが、それだけ多く、悪にそまっていたのだろうか?
 楽園の喜びにひたっているロンドンやパリよりも。
 リスボンは破滅したのに、パリではみんな踊っている。」

楽園館(ヴォルテール記念館)


 前回述べたように、ヴォルテールはこの時ジュネーヴ近郊の「楽園館」les délicesで悠々自適の生活を送っていたことを忘れまい。自分もまたうかうかと「喜びにひたっていた」という自責の念が彼の口調をますます激しいものにしたにちがいない。と同時に、「全ては善である」という命題の否定に向けて彼を駆り立てることになった。その主張から生まれた作品の一つが名作のほまれ高い『カンディード』Candide(1759年)である。ただし、「リスボンの災厄に関する詩」が悲憤慷慨のトーンに貫かれているのに対し、この短編小説は徹底して嘲笑する姿勢に転じていて、ナンセンスな冗談が満載されている。
まずoptimismeという副題がついていることについて一言。今では「楽天主義」を意味する語だが、ここでは違う。岩波文庫では「最善説」と訳され、「オプティミスム」とルビがふってあることが示すように、「詩」で告発されていた「全ては善である」という考え方をさす。男爵家の家庭教師を務めるパングロスという哲学者が登場するが、彼の存在はもっぱら「最善説」を体現する滑稽な道化役になっている。(下線は朝比奈)
Pangloss enseignait la métaphysico-théologo-cosmolonigologie. Il prouvait admirablement qu'il n'y a point d'effet sans cause, et que, dans ce meilleur des mondes possibles, le château de monseigneur le baron était le plus beau des châteaux, et madame la meilleure des baronnes possibles.(Chapitre premier)
 「パングロスは形而上学的=神学的=宇宙論的暗愚学を教えていた。原因のない結果はなく、またおよそあらゆる世界の中で最善のこの世界において、男爵閣下の城館は世の城館の中でもっとも美しく、夫人はあらゆる男爵夫人の中でだれよりも立派である、彼はそんなことを見事に証明してみせるのだった。」(第一章、植田祐次訳。以下も同じ)
 「自然学的=地理学的=神学的」と称されたライプニツ的学問のパロディであることは明らかだが、cosmologie「宇宙論」とnigaud「愚かな」とを組み合わせた造語など、ラブレー顔負けのふざけ方が、この作品の特徴である。
 彼は主人公のカンディードとともに現地でリスボン大地震に遭遇する。動転するカンディードに対し、先生は、この地震も最善のこととして証明済みで、なんら驚くにはあたらないと言い張る。たまたま宗教裁判所の取締官がそれを聞きつけ、うやうやしくこう言う。
 Apparemment que monsieur ne croit pas au péché originel ; car si tout est au mieux, il n'y a donc eu ni chute ni punition.(Chapitre cinquième)
 「どうやら、ムッシューは原罪を信じておられないようですね。なぜなら、もし全てが最善の状態にあるなら、堕落も罰もなかったことになりますからな」(第五章)
 念のためにいえば、「堕落」はアダムが高慢の罪によって神の園から転落したこと、「罰」は神の恵みに背いた報いとして神があたえる懲罰のこと。
 これに対するパングロスの答えはどうだったか。そして、その答えのためにどんな憂き目を見ることになったか、それは次回に譲ろう。
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