朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
フランス語の誇りはどこに? 2013.6エッセイ・リストbacknext
François Hollande (Journées de Nantes 2012)
François Hollande大統領 photo:Wikipedia
 Hollande大統領が来日し、安倍首相と会談した。そのあと、共同記者会見や歓迎行事の報道があったが、フランスも日本もマスコミの扱いは、いま一つ盛り上がりに欠ける。ほとんど時を同じくして行われた米中会談の派手さ加減にくらべると、差が大きい。国際政治の舞台では役者の格が違うということか。それはそれで諦めるとして、気になるところは別にある。NHKが前触れの意味で外相の特別代表représentant spécial、M. Louis Schweitzerのインタビューを放映したのは上出来だったが、肝心の対話がフランス語ではなく、英語で行われたのである。そういえば、昨年、国際通貨基金Fonds monétaire internationalのdirectrice générale専務理事Mme Christine Lagardeの来日に際しても女史は英語で対談していた。むろんNHKにはフランス語に対応する態勢は整っているし、ラジオ・テレビで仏語教育講座を展開している。とすると、先方の意向でそうなったのだろうか。その推測通りなら折角の機会を無駄にしたわけで、フランス語教育関係者としては残念でならない。
 英語にたいする卑屈とも思える態度はこれにとどまらない。実は、このほどフランス議会で法案が成立し、これまで「フランス語」しか許されなかった大学で、英語による講義が容認されることになったからだ。フランス語の誇りはどこに行ったのか。後日とりあげたいから、ここでは立ち入らぬ。ただ、同じ弱腰の気配はGeorge Steinerのインタビュー記事(5月11日付Le Monde紙)にまで察せられる、そのことだけは強調しておきたい。 
 スタイナーというと日本ではアメリカの文芸批評家、哲学者として知られ、邦訳もたくさん出ている。しかし、元をただせば、ヴェネチア出身のユダヤ人の子としてパリに生まれ、フランスの基礎教育を受けている。ヒトラーのユダヤ人迫害を避け、アメリカに渡り、ニューヨークのlycée françaisで学んだ。そのあとアメリカの市民権を取得したが、パリに残った両親は殺害の憂き目をみた。シカゴ・ハーバード両大学を経て、オクスフォードで博士号をとった。これはThe Death of Tragedy, La Mort de la tragédie『悲劇の死』の名で出版され、名著の呼び声が高い。一時ジャーナリストとなり、英国の週刊誌The Economistの編集にあたった。その後はハーバード、プリンストン、オクスフォードなどの大学で教鞭をとったが、84歳の現在は、ケンブリッジで悠々自適の生活を送っている。このスタイナーを記者はcet Anglo-franco-américain, penseur polyglotte de la literature, de la tragédie, mais aussi de notre temps「英・仏・米国人、文学・悲劇のみならず現代に関する、数カ国語堪能の思想家」と呼んだうえで、 その彼がケンブリッジの自宅で(il) a reçu Le Monde pour un entretien, en français「<ル・モンド>紙のインタビューにフランス語で応じてくれた」と書く。ことさらen françaisとしているあたりに、英語支配の趨勢にたじろぐフランス人の心境がのぞいているのではないか。
 記者Nicolas Weillの質問はこう切り出される。
 On assiste à un recul de l’idée d’Europe. Ce reflux vous inquiète-t-il ?
 「ヨーロッパという理念の退潮に遭遇していますね。この凋落傾向に不安をお感じになりますか?」
 聞かれた方も心得たもので、フランス人好みの「ええ、でも…」式の受け答えだ。
 Bien sûr, mais mon pessimisme est mitigé.
 「もちろんです。でも、わたしの悲観は深刻なものではありません。」
 どうしてか?実は、この後に思想家スタイナーの本領が発揮される。
 Car l’Europe telle que nous la reconnaissons en 2013 tient aussi du miracle. Nous parlons là, assis ensemble à Cambridge, alors que deux guerres mondiales ont ravagé le continent ; alors qu’il y a eu la Shoah ; alors qu’au cours de la première guerre, les troupes anglaises ont perdu 40 000 hommes le premier matin de la bataille de Passchendaele(1917)--- au point que le journal n’était pas assez grand pour en imprimer tous les noms !
 「なぜなら、2013年にわれわれが目にしているようなヨーロッパもまた奇蹟にひとしいからです。われわれはケンブリッジでこうして一緒に坐って話をしてますが、その一方で、二度の世界大戦がこの大陸を荒廃させてしまいました。その一方で、ショアー(ユダヤ人の大量虐殺)がありました。その一方で、第一次大戦の際、英国軍はパッシエンダールの戦い(1917年)の初日の朝4万の戦士を失いました。その結果、新聞の紙面が足りなくて全員の名を載せられなかったくらいです。」
 要するに、ヨーロッパ滅亡の危機は今にはじまったわけではない、といいたい。

ジョージ・スタイナー
 Oui, le fait qu’après tous ces cataclysmes l’Europe ait pu reprendre une certaine existence, qu’il y ait encore des grands orchestres, des musées, c'est déjà un miracle. On aurait bien eu le droit de croire que c’en était fini de l’Europe. D'autres grandes civilisations se sont éteintes, et Paul Valéry avait, dès 1919, prédit la fin de la nôtre.
 「そう、こうした大動乱の後もなおヨーロッパが一定の存在を回復し得たという事実、今なお立派な交響楽団や美術館がいくつも存在しているという事実、これこそすでに奇蹟ですよ。ヨーロッパはもう終わりだ、そう思うのは当然だと考える人がいてもおかしくなかったでしょう。ほかの大文明だって、消えていきましたし、ポール・ヴァレリーは1919年(第一次大戦休戦の年)に早くもわたしたちの文明の終焉を予言していたのですもの。」
 予言とはうらはらに、ヨーロッパはいまだに健在だ、といいたい。両大戦間のヨーロッパ人の知性をリードしたフランス詩人を引き合いに出しながら、スタイナーは安直な悲観論を戒めたといえる。
 さて、ヴァレリーの予言とは何だったのか、それは次号でとりあげることにしよう。
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