朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
ヨーロッパの将来 2013.7エッセイ・リストbacknext
François Hollande (Journées de Nantes 2012)
ポール・ヴァレリー
photo:Wikipedia

 Paul Valéry(1871-1945)が第一次世界大戦の直後に(前号で、1919年を休戦の年、としたのは誤り。休戦は1918年11月、論文の発表は5か月後の1919年4~5月)ヨーロッパ文明の凋落を予言した、その問題の文とはLa crise de l’esprit 「精神の危機」のことだ。今では論集Variété『ヴァリエテ』のEssais quasi politiques「準政治論集」の中におさめられている。しかし、もともとはLetters from France「フランス便り」の形で、ロンドンの週刊誌The Athenaeum「アテネ神殿」(「文芸協会」の名にもなっている)の4641号(4月11日)に「第1信」が、4644号(5月2日)に「第2信」が掲載された。
 むろん英文で、前者はThe spiritual crisisと題され、We civilizations now know that we are mortalと書き出されていた。「ヴァリエテ」ではNous autres, civilisations, nous savons maintenant que nous sommes mortelles.となっている。
 「われら文明側は、われらもまた滅ぶべきものであることを今や承知している。」
 後者の表題はThe intellctual crisisで、I wrote other day that peace is the war which admits in its process acts of love and creation…が書き出しだった。仏文はこうだ。
 Je vous disais, l’autre jour, que la paix est cette guerre qui admet des actes d’amour et de création dans son processus ;...
 「先日、わたしは平和とは、その過程のうちに愛と創造の行為を認める、そんな戦争なのだと書いたのだった。」
 英仏両テクストの比較は、それはそれで興味をひくけれど、ここではそれよりも、ヴァレリーの主張の特徴を二点だけ抜き出しておくとしよう。
 第一は大戦の敵国ドイツに対する見解だ。彼は大戦がもたらしたdéceptions brutales de l’évidennce「明白な事実の突然の裏切り」に触れる。
 Je n’en citerai qu’un exemple : les grandes vertus des peuples allemands ont engendré plus de maux que l’oisiveté jamais n’a créé de vices. Nous avons vu, de nos yeux vu, le travail consciencieux, l’instruction la plus solide, la discipline et l’application les plus sérieuses, adaptés à d’épouvantables desseins.
 「一例をあげるだけにする。すなわち、ドイツ諸民族の偉大な美徳は数々あるが、それが生み出した害悪は、怠惰な人間でもこれほどまでは創れなかったほどにおびただしい。われらはわが目でしかと見たのだが、心のこもった労働、もっとも充実した教育、もっとも厳しい規律と専心、それらがおぞましい目的のために使われたのだった。」
 修辞法の技巧を凝らしているが、戦争を引き起こしたドイツ側の責任を告発するというのではない。そうではなくて、戦争の意味を読みとろうとする。上の引例が示すように、ヴァレリーは戦争か平和か、という単純素朴な二項対立からはほど遠いところにいる。
 前の文はL’oisiveté est la mère de tous les maux.「無為は悪徳のもと、小人閑居して不善を為す」という格言の意味を逆転させているし、後の文に列挙された名詞群はドイツ人のみならず、日本人だって国民教育の徳目として一も二もなく賛同しそうなものばかりだ。要するに、怠けている(=悪徳)のではなく、一心不乱に働いた(=美徳)結果が、文明を広め深めるのではなくて、文明を破滅させることにしかならなかった、この皮肉な成り行きをどう理解するか、それを問題にしている。
 「おぞましい目的」とは直接的にはヴァレリーがすでに前作Une conquête méthodique「理詰めの征服」(1897年初出、1915年再録)で指摘したプロイセン帝国の野望を指すが、今読めば、後年のヒトラーの世界征服を予見していたかのようで、戦慄をおぼえる。それどころではない。ヴァレリーの研ぎ澄まされた目は、現存のヴィルヘルム皇帝はもちろんのこと、将来出現するはずのヒトラーもまた、ヨーロッパ人であり、しかも彼らを「おぞましい目的」に駆り立てたのは、ほかならぬヨーロッパであることを見通していた。
 第二は、この透徹した第一次世界大戦観に立ちながら、彼の根底を支えているのはゆるぎないヨーロッパ中心主義だということ。「第二の手紙」で彼は「文化、知性、傑作などという観念は...ヨーロッパという観念と太古からの関係にある」とした後、こうつづける。
 Les autres parties du monde ont eu des civilisations admirables, des poètes du premier ordre, des constructeurs, et même des savants. Mais aucune partie du monde n’a possédé cette singulière propriété physique : le plus intense pouvoir émissif uni au plus intense pouvoir absorbant.
 Tout est venu à l’Europe et tout en est venu. Ou presque tout.
 「世界の他の部分もすばらしい文明、第一級の詩人、建築家、さらには学者さえ持った。しかし、世界のどんな部分も、こんなに特異な物理的性質、すなわち最強の吸収力に結びついた最強の発信力を備えることはなかった。

ヨーロッパ(アジア大陸の岬)
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 すべてはヨーロッパに来り、すべてはヨーロッパから来た。あるいはほとんどすべてが。」
 億面もないヨーロッパ至上主義を展開したあとで、彼は重大な質問を提起する。
 l’Europe va-t-elle garder sa prééminence dans tous les genres ?
L’Europe deviendra-t-elle ce qu’elle est en réalité, c’est-à-dire : un petit cap du continent asiatique ?
 Ou bien l’Europe restera-t-elle ce qu’elle paraît, c’est-à-dire : la partie précieuse de l’univers terrstre, la perle de la sphère, le cerveau d’un vaste corps ?
 「ヨーロッパは将来、すべての部門において今の卓越性を維持するであろうか? ヨーロッパは、現実にそうであるところのものに、つまりアジア大陸の小さな岬になってしまうのだろうか?
 それとも、ヨーロッパはいつまでもそう見えているところのもの、つまり大地の上の貴重な部分、地球の珠玉、広大な身体の脳髄のままでいるのだろうか?」
 この問いに対する答が「精神の危機」になるのだが、詳細の検討は次回にゆずる。


— 8月号は夏休みで休刊です。次号は9月号となります —

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