朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
ポン・デザール 2013.12エッセイ・リストbacknext

映画Insaisissables(英名Now you see me)のポスター
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 今回も映画のタイトルからはじめる。日本ではアメリカ映画として公開されたが、フランス版Wikipédiaによれば、un film policier franco-américain。さらに厄介なのは、タイトルのつけ方。原題はNow you see me『今あなたは私を見ている→今こそ私の正体がわかったでしょう』これがフィルムの最後に出る仕掛けだが、フランス版(共同制作国のはずだが)の表題はInsaisissables『神出鬼没』、字面は違うが、ある意味では英語名と同様、FBIとインターポールの追求をのがれて最後の最後まで尻尾を出さない主人公に焦点をあわせていることになる。これに対し、日本では『グランド・イリュージョン』、ご丁寧にGrand Illusionという英語まで添えて公開された。この作の売り物が派手なマジックにあるところに目をつけたのだ。映画の性質上ストーリーのくわしい紹介はさしひかえるが、4人のマジシャンが「フォー・ホースメン」Les Quatre Cavaliersを結成し、自らはアメリカのLas Vegasのショー舞台にいながら、Parisの某銀行を襲い金庫から盗んだ札束をリアルタイムで客席にばらまく、という奇想天外な魔術をはじめ、3度の強盗がすべて鮮やかなイリュージョンで行われる。日本の配給元がこれを表題にするわけだ。未見の方は我とわが目で日本の訳名の正当性を確かめていただきたい。
 因みに、日本では4人のマジシャンとされているが、フランスでは四人四様の名でよばれている。一人目はillusionniste「手品師」、二人目はそのpartenaire「相棒」、三人目はprestidigitateur pickpocket「奇術を使うスリ」、そして四人目はmentaliste hypnotiseur aigrefin「メンタリスト・催眠術師・詐欺師」。最後の「メンタリスト」(読心術師)は日本では唯一のプロとしてDaiGoが活躍をはじめて評判になっているが、フランス語のこの多様さの裏にはショウ芸術界の伝統の差が潜んでいるのだろう。
 さて前置きはこれくらいにして、本題のPont des Artsに移ろう。実は問題の映画はポン・デザールの橋の上で終わる。しかも、橋の欄干の金網parapets grillagésは南京錠cadenasが鈴なりになっている。それがcadenas d’amourであり、それと映画のストーリーが重なったところで前述のNow you see meというタイトルが締める。

Pont des Artsのcadenas d'amour
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 この機会に橋の歴史をたどっておく。
 1801~1804年に時の第一執政Napoléon Bonaparteのお声がかりでpasserelle「歩行者専用橋」として建設された。英国の先例にならったもので、パリで最初の鉄橋pont métallique。設計者の意図はウイキペデイアによると、ressembler à un jardin suspendu, avec des arbustes, des bacs des fleurs et des bancs「空中庭園に似せて、そこに低木・草花の桶・ベンチを配すること」にあった。
 1976年になり、2度の世界大戦の砲爆撃や、1961~1970年間の船舶の衝突事故の結果、橋梁の弱体化が指摘されていたが、1977年に通行禁止。さらに1979年には傳馬船bargeが橋桁に激突、60メートルにわたって崩壊するにいたった。
 現在のポン・デザールが再建されたのは1981~1984年、元の歩道橋の体裁を残しつつ、 9個のアーチを7個に減らしたため、一つ川上のポン・ヌッフPont Neufと平行する形になった。竣工式の主催者は時のJacques Chiracパリ市長、その彼が大の日本びいき、京都と姉妹都市の協定を結ぶにあたり、鴨川にもポン・デザールの建設を推奨した。
 A la fin des années 1990, un projet de construction de passerelle piétonnière franchissant le Kamogawa à Kyoto, au Japon, a été développé en prenant comme modèle le pont des Arts ; il ne fut néanmoins pas mené à son terme devant l’opposition de la population.
 「1990年代末、日本、京都の鴨川にポン・デザールを手本にした歩行者専用橋の建設計画が進められた。しかし、住民の反対に遭い、実現にはいたらなかった。」
 さて、問題のcadenas d’amour「愛の南京錠」とは何か。ご存じの方も多かろうが、念のためにウイキペデイアの記述をなぞっておく。南京錠にはmarquer indélébile「消えないマジックペン」か、またはinscriptions gravées「刻印」で、恋人同士の名・イニシャル、南京錠をかけた日付、時には短いメッセージが記されている。
 Cette pratique est apparue sur le Pont des Arts en 2008, et s’est depuis étendue à la Passerelle Léopold-Sédar-Senghor ainsi qu’au Pont de l’Archevêché. L’origine de cette pratique est assez floue : elle est apparue en Europe de l’Est dans les années 1980-1990, puis s’est propagée en Europe occidentale dans les années 2000.
 「この慣行は2008年に出現し、その後レオポルド=セダル=サンゴール歩道橋やアルシュヴェッシェ橋にも広がった。その起源はかなりあいまいだ。1980~1990年代に東ヨーロッパに出現、それから2000年代に西ヨーロッパに広まった。」
 私のような高齢者には目をひそめたくなる行為だが、同じ動機に発したものかどうかはともかく、この南京錠を強引に除去する挙に出た人がいるらしい。
 Les cadenas du Pont des Arts font régulièrement l’objet de disparitions inexpliquées. Entre le 10 et le 12 mai 2010, presque tous les cadenas ont été enlevés pendant la nuit sans que les autorités publiques ne soient à l’origine de cette suppression. Alors que les parapets du pont supportaient entre 1600 et 2000 cadenas début mai 2010, il n’en restait plus qu’une quarantaine (les plus épais, infracturables) le 12 mai 2010.
 「ポン・デザールの南京錠は定期的に謎の盗難に遭っている。2010年5月10日から12日の間に、ほとんどすべての南京錠が夜のうちに撤去されてしまった。この措置に行政当局はかかわっていなかったのに。2010年5月初めには、この橋の欄干は1600から2000個の南京錠を支えていたのに、5月12日に残っているのはもはや40個ぐらい(もっとも頑丈で、壊せないもの)しかなかった。」
 この盗難が過激化して欄干の金網がそのまま外される事故まで起こっている。
 Il existe une polémique sur la dégradation du patrimoine engendrée par ces cadenas. Le Mairie de Paris considère ainsi que l’accumulation des cadenas fragilise les parapets qui, à terme, risqueraient de tomber sur les péniches. Elle envisage d’en retirer une partie.
「南京錠による文化財の破損については論議が盛んだ。そこでパリ市は南京錠の増大で欄干がもろくなり、しまいには、下を航行する船の上に落ちかねないと考えている。その一部撤去を検討中である。」
 イリュージョンで一斉に撤去できたら、さぞすっきりするだろうに。
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