朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
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フランスのお節料理(?)
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 いわずと知れたブリア=サヴァランBrillat-Savarin(1755-1826)の名著である。これはむろん料理の本であるが、いま日本ではやりのレシピ本とは大違い。原題Physiologie du goût『味覚の生理学』が示すように、そもそも味覚の定義からはじまり、gastronomieという学問の構築をめざした学術書なのである。いまは「美食法、料理法」の意味で使われるこの語の訳語に、岩波文庫の訳者関根秀雄先生がことさら「美味学」を当てられたのも無理はない。その一方、幸福を追求した18世紀フランスの書物(刊行は1826年)らしく、美食に関する慣行や逸話、現代なら特ダネとでもいうべき情報(たとえばカキを32ダース平らげた大食漢の話)を盛りこんで、現実の日常生活に触れ、役に立とうとする配慮を忘れない。なにより、著者とされる教授が「本書の序論prolégomènesとし、かつ美味学の永遠の基礎とするため」に編みだした「アフォリズム」を巻頭に置いていることが証拠になる。「プロレゴメーナ」と聞くと、わたしなどは同時期の哲学者カントを連想するが、そんな堅苦しい学術用語をつかいながら、実は身近な料理を論じ、読者を楽しませようとしているところがこの本の味噌なのだ。たとえば次のような格言がある。
 Dis-moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es.
 「何を食べているか言ってごらん。君の人となりを当ててみせよう。」
 何のことはない、有名な格言Dites-moi qui vous fréquentez, je vous dirai qui vous êtes.「交友を見れば、あなたの人となりがわかる」のパロディにすぎないのだが、本書の性格を言い当てて妙ではないか。
 La découverte d’un mets nouveau fait plus pour le bonheur du genre humain que la découverte d’une étoile.
 「新しい料理の発見は人類の幸福にとって一天体の発見にまさるプラスだ。」
 天王星の発見(1781年)と海王星の発見(1846年)に挟まれ、Laplaceが太陽系の星雲起源説を唱えて天文学への関心がたかまった時代であることを想起しよう。ブリア=サヴァランはそれを承知で、このアフォリズムを書いたのだ。
 全体は30の「瞑想」Méditation(まるで宗教書みたいな語を使いながら、主題がThéorie de la friture「フライの理論」だったり、De l’obésité「肥満について」だったり、実に人を食っている)と「雑録」Variétés(といってもValéryの高尚な「ヴァリエテ」とはまるで違って、ほとんどは料理のレシピだ)からなるが、時に話題は食卓の快楽を離れて、夢や死にまでおよぶ。以下には「職業によるグルマン」Gourmands par étatを論じたついでに、話が医者の「糾弾」objurgationに発展したくだりを紹介する。
 Dès qu’on a le malheur de tomber dans leurs mains [des docteurs], il faut subir une kyrielle de défenses, et renoncer à tout ce que nos habitudes ont d’agréable.
 Je m’élève contre la plupart de ces interdictions comme inutiles.
 「不幸にして彼ら(医者)の掌中におちいったら最後、次から次へ禁止命令を受け、生活習慣の中の楽しみ事をすべて断念しなくてはならない。私はこれらの禁止命令の大部分は無用だとして抗議する。」
 医者もまた同時代人として楽天的な自然主義、快楽主義の立場に立つのが当然なのだ。
 Le médecin rationnel ne doit jamais perdre de vue la tendance naturelle de nos penchants, ni oublier que si les sensations douleureuses sont funestes par leur nature, celles qui sont agréables disposent à la santé.
 「合理的な医者は、われわれの欲望の自然な傾向をけっして見逃してはならないし、また 苦痛の感覚が本来的に死に向かわせるのに対し、愉快な感覚は健康に向かわせるということを忘れてはならない。」
そしてある大酒飲みの聖職者の逸話を披露する。
...il tomba malade, et la première phrase du médecin fut empoyée à lui interdire tout usage du vin. Cependant, à la visite suivante, le docteur trouva le patient couché, et devant son lit un corps de délit presque complet ; savoir : une table couverte d’une nappe bien blanche, un goblet de cristal, une bouteille de belle apparence, et une serviette pour s’essuyer les lèvres.
 「彼が病気になった。すると医者の第一声は全面禁酒に費やされた。しかし、次に往診すると、患者は横臥していたが、枕元にはほとんど完全な命令違反の跡が見つかった。すなわち、まっ白なクロスで覆われたテーブル、クリスタルグラスのカップ、立派なボトル、唇を拭うナプキンである。」

ブリア=サヴァラン
 A cette vue il entra dans une violente colère et parlait de se retirer, quand le malheureux chanoine lui cria d’une voix lamentable : « Ah ! docteur, souvenez-vous que quand vous m’avez défendu de boire, vous ne m’avez pas défendu le plaisir de voir la bouteille. »
 「これを見た医者は激怒し、治療はこれきりにすると言った。そのとたん、可哀そうに、参事会員の患者はおろおろした声で叫んだ。<先生、いいですか、酒を飲むなとおっしゃった時、ボトルを見る喜びまで禁ずるとはおっしゃらなかったでしょう。>」
 因みに、聖堂参事会員chanoineは司教を補佐する集団の一員で、立派な聖職者だが、修道士のように戒律を守るわけではなく、裕福な俗人と交わる機会も多く、mener une vie de chanoineというと「安楽に暮らす」を意味した。彼らの中にグルマンや大酒飲みが多くても不思議はなかったことになる。
 しかしgourmandiseは「貪食」と訳すかぎり、七つの大罪の一つにあたる。著者は次のように抜け道をつけることを忘れていない。さすがに老獪な法律家だけのことはある。
 La gourmandise est ennemi des excès ; tout homme qui s’indigère ou s’enivre court risque d’être rayé des contrôles.
「グルマンディーズは暴飲暴食の敵だ。食べ過ぎたり、飲み過ぎたりする人は皆、グルマンの名簿から削られる危険をおかしている。」
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