朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
Clavier ou stylo? 2014.6エッセイ・リストbacknext

モバイルPC
 今は学生にとっては学年末、試験シーズンということもあって、5月末Le Monde紙に上記のような見出しの記事が載った。念のためにいうが、ここでいうclavierはピアノの鍵盤ではなくて、パソコンのキーボードのこと。記事はClavier ou stylo? La question hante les amphis.とつづく。「パソコンか、ペンか。この問いが教室中に立ちこめている」というわけだ。
 この話の前提は、数年来、フランスの大学やグランド・ゼコールの教室にordinateurs portables「モバイルPC」が侵入し、授業中にノートをとるのに、ペンではなくパソコンを使う学生がふえてきたという実情である。その結果、パリ第九大学学士課程主任のR.Dorandeu氏がEcrire faitigue les étudiants.「字を書くことで学生は疲れる」(学生って字を書く人ではないの?)という驚くべき証言をするにいたった。先生はつづける。
 Lorsque les étudiants passent des épreuves écrites, ils doivent lâcher les ordinateurs portables et « réapprendre » à écrire à la main. Cela ne mobilise pas les mêmes muscles, et ça se voit... C’est même assez drôle à regarder. Une demi-heure après le début de l’épreuve, on voit les étudiants secouer les poignets et agiter les doigts.
 「学生たちは筆記試験を受けるときは、モバイルPCを手放して、手で字を書く術を<再学習>しなくてはなりません。両者は同じ筋肉を使うわけではない、それはすぐわかりますよ...見ていておかしいくらいです。試験開始後30分すると、学生たちは手首を振ったり、指を動かしたり、をはじめます。」
 そもそもモバイルPCは何の役に立つのか。
 Un étudiant qui prend son cours en note sur écran a l’impression d’être plus efficace qu’avec un stylo et un cahier. Certes, il retranscrit davantage de mots.
 「講義をパソコン画面上にメモする学生はペンと帳面を使うより効率がいいと思っている。たしかに、より多くの語を写しとってはいる。」
 それはいいが、うまく成績に反映されるのか?アメリカの二人の研究者(Princeton大学のMueller教授とCalifornie大学のOppenheimer教授)が否定的な答えを出した。
 ...en la matière la quantité n’est pas la qualité :avec un stylo et un cahier, on note moins, mais on note mieux.
 「この分野に関しては、量すなわち質ではない。ペンと帳面の方が筆記量は少ないが、成績は上になる。」
 どうして、そんなことになるのか?
 ...la fonctionnalité d’un clavier permet de retranscrire un discours mot à mot. Avec un stylo, c’est impossible : l’étudiant est donc obligé de « traiter l’information et de la reformuler dans ses propres mots », processus qui induit un apprentissage plus efficace.
 「キーボードの機能性のおかげで、講義を逐語的に転記することができる。ペンではそれは不可能だ。そこで学生は情報を処理し、自分自身のコトバで言い換えざるをえない。このプロセスがより効果的な学習をもたらすのである。」
 パリ・ソルボンヌやパリ政経学院(Sciences Po)などで政治哲学を教えるLauvau氏は学生たちの答案にun propos souvent mal structuré「ちゃんと自分の文脈にくみこまれていない発言」が目に付くといって嘆く。
 Le passage de la pensée à l’écrit est plus problématique qu’avant.
 「考えたことを文章化する過程が以前より不確かになっている。」
 前記のDorandeu氏も同意見だ。
 Je constate une fragmentation de la pensée dans les dissertations de certains de mes étudiants. Cela se réduit à « une ligne-une idée ». La prise de notes électronique peut être un facteur, en ce qu’elle induit une certaine linéalité. L’objectif de l’étudiant, c’est de prendre l’intégralité de la phrase. Ce faisant, il perd le sens de vue. Dans la prise de notes manuelle, le mot à mot est impossible. Il faut donc comprendre la structure du discours de l’enseignant, en faire la traduction avant de le retranscrire. C’est un premier pas vers l’apprentissage.
 「私の学生の一部が書いた作文の中に、ぶつ切れの思考を見かけます。突きつめると、<一行ごとに一つの考え>ということになります。パソコンでノートをとると、ある一線に集約される、それからすれば、パソコンによるノートが一因であるかもしれません。学生の目的は文章の全体を掴むことです。ところが、それをしようとしても、自分の目で見る感覚を失っているのです。手書きでノートをとる場合、逐語的にとることは不可能です。だから、教員のコトバの構造を理解し、それを帳面に転記する前に、その翻訳をしなければなりません。これこそ、学習への第一歩でしょう。」

欧州経営大学院 ※画像をクリックで拡大
 「逐語的なノート」を言いかえて、別の箇所では « sans discernement et de manière stupide »「見境いなしの、バカみたいな」という言い方がでてくることに注意しよう。フランスの伝統的な教育は機械的な反復を嫌うが、その理念があらためて強調されているわけだ。この記事はそのフランスにおいてさえ、モバイルPCの利用がはびこりつつあることを教えてくれる一方、教員の側にそれを忌避する傾向が根強いことも示している。
 ただし、この記事のリードが興味を引く。Les enseignants sont partagés sur l’efficacité de la prise de notes sur ordinateur「パソコンによるノート取りの有効性については教員の賛否が分かれている」とあるからだ。そのため、記事の最後には、モバイルPCの教室への持ち込みが禁止されているINSEAD(Institut Européen d’Administration des Affaires)「欧州経済大学院」院長のune gêne en cours「授業の邪魔」という意見と、les étudiants sont nés avec des claviers au bout des doigts ; c’est dans leur ADN.「学生たちは指先をキーボードに置いて生まれてきた。それは彼らのDNAの中に入りこんでいる。」というHaute-Alsace大学教授の意見、この先はinenvisageable「予想しがたい」というパリ政経学院教授の意見とが併記されている。
 
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