朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
Que de bruit!!! 2014.10エッセイ・リストbacknext

絶叫マシン ※画像をクリックで拡大
 internaute「インターネット利用者」はastronaute「宇宙飛行士」同様、さまざまな浮遊物に出会う。地中海情報を探るうち、宿泊客の某ホテル評価を記した投書にいきあった。上の訳題は「なんて騒がしいの!」といった所か。むろん筆者名もホテル名も伏せるが、その投書を引用させてもらう。(誤記と思える箇所はわたしの判断で正した)
 J’ai passé 5 nuits et elles ont été horribles!!! J’avais demandé une chambre qui donne sur l’arrière de l’hôtel de peur du bruit du boulevard !!! Cela n’a servi à rien, car devant l’hôtel il y a les manèges de fêtes foraines et font écho sur la rue arrière, et il y avait un concert tous les soirs de la semaine près de la plage. J’avais l’impression d’avoir le groupe de musique dans ma chambre. De plus, l’insonorisation d’une chambre à l’autre est nulle ! Il n’y aurait pas de mur, cela ne changerait rien* !
 *<条件法、[que]条件法>:queが省かれることもあるが、典型的な譲歩文を作る。
 「わたしは5晩を過ごしましたが、ひどいものでした!!!そもそも表通りの騒音がいやなので、ホテルの奥の部屋を所望してあったのですが!!! それは何の役にも立ちませんでした。というのもホテルの前に絶叫マシンがあり、その騒音が裏通りに反響するからです。それに浜辺ではウイークデーなのに毎晩コンサートがありました。ミュージシヤンのグループを自分の部屋に迎えているような印象でした。おまけに、部屋と部屋の間の防音工事がゼロなんです! たとえ壁をなくしたとしても、何の変わりもなかったでしょう!」
 年配者(?)の愚痴をならべただけのようにも見えるが、問題は現代社会の病根に触れており、日本の観光地、保養地においてもわれわれ自身が同種の被害者になりかねない。
 因みに、manège à sensation fête foraineというのはメリーゴーランドの現代版と思えばよい。ジェットコースターやトップスピンのような巨大マシーンは日本ならふつう遊園地内にあるからこんな騒ぎにはなりにくいが、フランスはじめヨーロッパの各地では街中の広場に設置され、音楽とアナウンスで若者たちを集めて喧騒をいやがうえにも増幅しているようだ。YouTubeを見ると、この投書者の怒りに同調したくなる。
 それにしても、なぜこんな文章を引き合いに出したのか。きっかけは、この夏日本で公開されたフランス・スイス・ドイツの合作映画『大いなる沈黙へ』(2005年、Philip Gröning監督作、ドイツ語原題Die Groɞe Stille、Le Grand Silence, [英]Into Great Silence)だ 。
 周知のとおりla Grande Chartreuse「シャルトルーズ大修道院」の内部を紹介した記録映画だが、BGMもナレーションもいっさいない。タイトルが示すようにまさに「沈黙、静寂」が169分の上映時間を支配する。その意味では、ともすればQue de bruit!!!と叫びたくなる現代映画一般の対極に立つといってよい作品である。ところが、このフィルムが異常なほどの反響を呼び、映画館の前には長い行列ができた。どうしてなのか。インターネットを見ていて、謎がとける思いがした。観客の感想文に「静かな作品なので、寝息やイビキが気になりましたが、あれで寝るなというのは拷問でしょう。」だけど、「私にはよかったです」とあったからだ。たしかに、わたしも隣席の老婦人のイビキを聞いた一人だ。
 眠くなる理由の一つはむろん内容にかかわるだろう。いきなり次のような字幕が出てくるが、無声映画時代のように文字だけで音なし。非キリスト信者は立ちすくむしかない。

Chartreuse大修道院 ※画像をクリックで拡大
"La Grande Chartreuse" by Floriel

主の前で大風が起こり、山を裂き、岩を砕いたが
 主はおられなかった
風の後に地震が起こったが
 主はおられなかった
地震の後に火が起こったが
 主はおられなかった
火の後に、静かなやさしい
 さざめきがあった (列王記上19章11-12節)


 帰って聖書を開いてみて、これは預言者エリヤがホレブ山(シナイ山)で神に会う場面であることを知った。Jérusalem版仏訳聖書の該当箇所を引く。
Il y eut un grand ouragan, si fort qu’il fendait les montagnes et brisait les rochers, en avant de Yahvé, mais Yahvé n’était pas dans l’ouragan ; et après l’ouragan un tremblement de terre, mais Yahvé n’ était pas dans le tremblement de terre; et après le tremblement de terre un feu, mais Yahvé n’était pas dans le feu ; après le feu, le bruit d’une brise légère.(下線は朝比奈)
この下線部の後につぎのような注がついている。
 Ouragan, tremblement de terre, éclairs, qui manifestaient en Ex 19 la présence de Yahvé, ne sont ici que les signes avant-coureurs de son passage ; le murmure d’un vent tranquille symbolise la spiritualité de Dieu et l’intimité de son entretien avec ses prophètes, mais non pas la douceur et le silence de son action ; les ordres terribles donnés aux vv.15-17 prouvent la fausseté de cette interprétation pourtant commune.
 「大風、地震、稲妻は出エジプト記19章ではヤハウェの存在をしめしていたが、ここではヤハウェの通行を先触れする徴にすぎない。静かな風のささやきが象徴しているのは、神の霊性ならびに預言者たちとの対話の親密さであって、神の行為のやさしさや静けさではない。15-17節にある厳しい命令*が、そういった俗説の誤りを証明している。」
 *王や預言者の後継の指示、さらにはヤハウェの敵に対する報復の厳命。
 これを知って読む人には、このプロローグは観客の眼前のスクリーンにはやがて神が臨場することを示唆しているのである。その重大さに気づいた人は静寂の中で瞬きもせず映像に眸を凝らすだろう。しかし、いかに目を皿にしてもそもそも常人に見えるはずがなく、眸がくもり眠気がさしてくる。まして、訳を知らぬままに画面に向き合うしかない一般の観客はたちまち集中力の限界に達して、睡魔の餌食になるのも無理はない。
 考えてみれば、観客は多かれ少なかれ現実の憂さを払おうとして映画館に入るのだろう。普通は騒々しいBGMや刺激的な台詞が挑みかかってきて、容赦なく別世界へ誘いこんで揉みくちゃにしてくれる。ところが、この映画の場合は違う。いきなり静寂の世界に放り出されるだけ。気がつくと、画面から聞こえてくるのは足音や布を切る鋏の音くらい。もはやQue de bruit !!!と叫ぶどころではなく、逆に「館内から起こる寝息やイビキ」がやけに耳についてくる。それを聞き、伝染性の眠気とも戦いながら、観客はあらためて日常の騒音とのギャップに戦慄し、一つの悟りを開く。その結果が「私にはよかったです」であり、人気を長引かせた、そういうことではなかろうか。


朝比奈誼スピーチ 2014年10月13日
 
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