朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
接頭辞 2015.11エッセイ・リストbacknext

ブラジル大統領ヂルマ・ユセフ ※画像をクリックで拡大
 ski alpin「アルペンスキー」のalpinはles Alpes「アルプス山脈」の形容詞。語尾の要素-inはsuffixe「接尾辞」と呼ばれる。同じin-でも語頭にくればpréfixe「接頭辞」で、complet「完全な」をincomplet「不完全な」にする機能を発揮する。こうした語の構成要素の働きを知っておくと、ヴォキャブラリーは豊かになる。
 モデルとして接頭辞dé-の場合を考えてみよう。これには「強意」(déambuler)や「下降運動」(descendre)の場合もあるが、目立つのは(1)「遠隔;分離」(déplacer, dévier)(2)「否定」(déganter, désagréable)の機能をもつ場合だろう。しかも語彙という観点から特に注目したいのは、動詞あるいは名詞・形容詞との関連が明白な場合である。
 たとえばcentraliser「中央に集める、集中させる」という動詞のケース。元をただせば名詞centre「中心」、形容詞central「中心的な」に行き着く。その動詞の前に問題の接頭辞をつけると、décentraliser「(工場などを)地方に分散する;(行政を)地方分権化する」ができるし、これをふたたび名詞化すればdécentralisationができる。こうした語の合成原理をおさえておけば、語彙の知識がひろがること請け合いだ。
 さて、dé-の応用例が先日のLe Monde紙に登場した。9月30日付けの別刷り「経済・企業」の2頁にAu Brésil, la peur du déclassementという大見出しが踊ったのである。このdéclassementをきっかけにdéclasser➔classer➔classeという語系列をたどって名詞に行き着けばシメタもの。ただし、あいにくclasseは語義の幅がいたって広い。ここでは何を意味するのだろうか。
 記事の本体を見てみよう。ブラジル経済は近年までBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の一角として世界経済の成長を担ってきたが、最近になってrécession「景気後退」に陥った。その現状をレポートして、現地エコノミストの見解を紹介した箇所である。
 Le financement de la croissance s’est fait par l’apport de capitaux étrangers, explique-t-il. Pour éviter qu’ils ne fuient, le pays s’oblige à maintenir sa monnaie, le real, à un niveau artificiellement élevé. Assez haut pour séduire des financiers volatils mais trop haut pour ne pas nuire à la compétitivité du pays. « Le pays est condamné à dépendre des spéculateurs », dit-il. Pour cette raison, la dégradation de la note du pays Standard & Poor’s le 9 septembre, le reléguant ainsi dans la catégorie des pays à risque, a été vécue comme un drame national.
 「経済成長の財源は海外資本の投入でまかなわれてきた、とエコノミストは説明する。海外資本の流失を避けようとして、ブラジルは通貨、レアルの価値を人工的に高水準に保たざるをえない。この水準は移り気な投資家を惹きつけるに十分なほど高い反面、高すぎて自国の競争力を損なってしまった。<この国は投機家に依存する羽目に陥ってしまった>と彼はいう。このため、9月9日にスタンダード&プアーズがブラジルをリスク含みの国のカテゴリーに落としてランキングの格下げ*を行ったことが国家をゆるがすドラマとして迎えられたのだった。」(*BBB+からBB-へ。因みにフランスはAA、日本はA+)
 文中のdégradation de la noteに注目しよう。ここにもdégradation➔dégrader➔grader➔gradeという語系列が透けて見えるが、要するに「評価の低下、格下げ」を意味している。上記のdéclassementはまさにこれの言いかえであるから、問題の大見出しを訳せば「ブラジルに格下げの不安ひろがる」といったことになるだろう。

ジャン=ポール・サルトル ※画像をクリックで拡大
 ところで、今はdéclassementを「格下げ」と訳した。じじつ、どの仏和辞典をみてもそれに類する訳語しか見当たらない。ところが、たまたまJean-Paul Sartre晩年の未完の大著L’Idiot de la famille『家の馬鹿息子』を見ていて妙な使い方に気づいた。これは「ギュスターヴ・フローベール論(1821-1857)」の副題が示すように、Madame Bovary『ボヴァリー夫人』出版までの作家の生涯を精神分析的に辿った労作だが、冒頭で作家の父Achille-Cléophasを取り上げている。そこにこんな文章が出てくる。
 La vie d’Achille-Cléophas s’explique en effet par le déclassement.(I, p.68)
 「アシル=クレオファスの生涯はじじつdéclassementで説明がつく。」
 とりあえずdéclassementとしたが、これに「格下げ」あるいは「元の社会階級からの脱落」という訳語をあてることはできない。なぜなら、この語の特殊な用法を説明するためにサルトルはこう続けているからだ。
 Un vétérinaire royaliste, plus qu’aux trois quarts paysan, qui tient le roi pour un Seigneur et pour la source de toute « patria potetas » élève à la dure un gamin précoce qui franchit une étape nouvelle. Ce jeune ambitieux dont l’enfance s’enracine dans la coutume rurale vient à soigner les gens quand ses frères ne guérissent que les bêtes, il passe des champs à la grande ville et devient sous l’Empire un petit-bourgeois intellectuel.(同 pp.68-69)
「四分の三以上も農民であり、国王を、自分の<君主>とみなし、またすべての<家長権>の根源とみなしていた王党派の獣医[つまり、作家フローベールの祖父]が、早熟な男の子[つまり、作家の父]をきびしく育て上げ、その子があたらしい一段階をふみ越えた。その幼年期が田舎の慣習のなかに根をおろしていたこの若い野心家は、自分の兄弟たちが動物ばかりを治療しているときに人間たちの面倒をみる身*になり、田園から大都会に移り、第一帝政下でプチ・ブル知識人となるに到った。」(平井啓之、鈴木道彦、海老坂武、蓮實重彦訳『家の馬鹿息子 I』人文書院、68頁) *作家の父はルーアン市立病院の外科部長。なお、[ ]内の注記は朝比奈。
 この内容を織り込んだ結果と思うが、訳者たちは問題のdéclassementに「階級離脱」という訳語を与えている。冒頭の説明を見てのとおり、接頭辞dé-のもつ「分離」機能は通常は否定的に働いて、ブラジルの例のように「元のランクからの格下げ」を意味する。ところが、フローベールの父親の例では「元の階級からの離脱」のベクトルは下向きではなく上向きを示している。引用文につづく文をl’ascension「上昇」で始めているところから推して、サルトルは接頭辞de-にあえて積極的な意味を持たせようとしているのだが、さすがに「格上げ」と訳すわけにはいかなかったということなのだろう。

 
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