朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
安全保障 2016.01エッセイ・リストbacknext

堀田善衛 ※画像をクリックで拡大
 2015年、フランスはCharlie-Hebdoの襲撃で始まり、Bataclan他の同時テロで終わっ たといってもよかろう。その結果、état d’urgence「非常事態」宣言に象徴されるように、 sécurité intérieure「国内の治安」に国民の関心がむかうことになった。他方、日本では 核開発にこだわる北朝鮮や領海権拡大を急ぐ中国に刺激されて、政府はle passage en force au Parlement des lois sur la sécurité「安保法案の強行採決」の挙に出て、周辺の脅 威から国益を守るという口実のもと憲法の精神を軽んじるにいたった。
 そのなかで戦争の切迫を予感した作家、辺見庸は『1937』という本を書いた。これは西 暦1937年をさすが、まさしく盧溝橋事件Incident du pont Marco Poloの年、ついで南京 事件Massacre de Nankinの年で、辺見はことさら「イクミナ」と読ませた。漢字では「征 く皆」、フランス語ならTout le monde va à la guerreといったところだろう。この年から日 本は戦争へまっしぐらに走り出した、という歴史認識であり、この表題には過去の過ちをく り返すまいという悲願がこめられていると見るしかない。
 南京虐殺を日本では「南京事件」と呼び、国粋的な政治家や学者のなかには「大虐殺は捏 造」とまで主張する人たちのいることは周知のとおりだ。ナチのholocauste「ユダヤ人大量 虐殺」の事実を否定する立場をフランス語ではnégationnisme(直訳すれば「歴史否定論」)、 révisionnisme(「歴史修正主義」)というが、対岸の火事ですむ話ではない。南京事件につい ても「立派な」négationniste, révisionnisteが身近にいることを自戒しなければならない。
 辺見はむろんその対極にいる。加害国の責任を痛感する彼は、自分の父が従軍し現地に居 合わせた事実から、南京虐殺への関わりを疑った。ところが問い詰める勇気が出ないうちに 父は亡くなってしまった。その自責の念から、作家は事件当時およびそれ以後の文献を渉猟 して、同胞がおこしたこの暴挙に対する日本人の責任を徹底的に追及する。筆者の苦渋が重 圧となって読みやすいテクストではないが、容赦のない批判の対象には小林秀雄や小津安二 郎のような偶像的存在もふくまれているから、その箇所だけでも読むに値する。
 逆に珍しく批判を免れた作品があった。その一つが堀田善衛の『時間』。これにほれ込ん だ辺見は、1955年の発表当時から不問にふされ、今では入手不能の状態にあることに憤慨し て、岩波現代文庫の一冊として刊行させる労をとった。堀田は南京に住む中国人知識人の手 記の形で日本軍兵士の非道ぶりを描いているのだが、今度はじめて読んで、つねに他者の目 で冷静に日本を見つめるこの文学者の真価がここでも発揮されていることを実感した。
 とりわけ感銘をうけたのはそこにモンテーニュが引用されていることだ。そもそも慶応大 学仏文科出身の作家であり、『ミシェル 城館の人』のような著作もあることから、『エセー』 Les Essaisに通じていることは承知していたが、南京事件の渦中にある中国人に仮託してそ の一節を持ち出す工夫には驚きをおぼえた。しかし、考えてみればモンテーニュはまさに宗 教戦争の時代を生きぬき、その体験から自分の思想を磨きだしたのだから、当然の援用と認 めないわけにはいかない。さて、どんな引用だったか。
 1937年12月13日夜のこととされているのだが、話者の屋敷が日本兵の一隊に襲われる。 彼らはこの家を接収し、将校の宿舎にすることを目指していたのだった。ところが、厳重に 入り口が施錠されていたため、銃剣でドアの脇のガラスを叩き割られてしまった。侵入の気 配を察した段階で、とつぜん話者はモンテーニュの一節を思い出す。

モンテーニュ

 「防禦は企図を喚び起す。警戒は攻撃を。わたしは兵士らの略奪からの危険と、彼等に 資格と弁解として役に立つのを常とした軍事的名誉のための、あらゆる材料を取り除いて、 兵士らの意図を挫く。正義が死滅した時において、勇気をもって行われたものはすべて気 高く行われたのである。わたしは彼等に対して、わたしの家の征服を卑怯で裏切り的なも のとする。わたしの家は、そこへ突き進む誰に対しても閉ざされない。」
 La défense attire l’entreprise, et la défiance l’offense. J’ai affaibli la dessein des soldats, ôtant à leur exploit le hasard et toute matière de gloire militaire qui a accoutumé de leur servir de titre et d’excuse. Ce qui est fait courageusement, est toujours fait honorablement, en temps où la justice est morte. Je leur rends la conquête de ma maison lâche et traîtrise. Elle n’est close à personne qui y heurte.
 念のために最新の宮下志朗訳を添える。さすがに、堀田訳よりも分かりやすい。
 「防御は攻撃を誘い、警戒心は攻める気持ちをかき立てる。わたしは、兵士たちの武勲から、 彼らの名目やら口実やらに役立ってきたところの、危険を冒して手柄を立てる材料をことご とく取り除くことで、彼らの戦意をくじいてやったのだ。正義が死んだ時代には、勇敢にお こなわれた行為こそが、つねに名譽ある行為となる。そこでわたしは、わが屋敷を征服する ことが、彼らにとっては卑怯で裏切り行為となるようにしたという次第である。わが屋敷は、 その門をたたく者すべてに対して開かれている。」
 度胸のすわった発想だが、抑止力という観念にふり回され怯えるばかりの現代にこそ主張さ れるべきではないか。出所は第2巻、15章。興味深いのは、表題がQUE NOTRE DESIR S’ACCROIT PAR LA MALAISANCE「われわれの欲望は、困難さによってつのること」で、さりげなく次のように書き出されていることだ。
 Il n’y a raison qui n’en ait une contraire, dit le plus sage parti des philosophes.
 「<反論の存在しない論法などない>と、哲学者たちのうちで、もっとも賢明な学派が述べている。」(宮下訳。以下同じ)
 この学派とは、les Pyrrhoniens「懐疑派」を指しているが、モンテーニュはこの一句をギリ シア語で書斎の天井に刻んだ。パラドックス好きの彼らしい格言だが、ここから引き出せる結 論は多方面にひろがるだろう。事実、彼はil se sent évidemment, comme le feu se pique à l’assistance du froid, que notre volonté s’aiguise aussi par le contraste :「寒さと出会うと、火 がかき立てられるように、われわれの意志も、反対のものによって刺激されるということを、 われわれは実感として持っているではないか。」という方向に話を展開させ、やがてNous défendre quelque chose, c’est nous en donner envie「われわれは何かを禁じられると、それを欲 しがる」と言いだし、いつしか恋愛論になってオヴィディウス『恋愛詩』の1行を引く。
 Si tu ne fais garder ta maîtresse, elle cessera bientôt d’être à moi.
 「おまえが恋人を見張ることなどしなければ、彼女はおれのものになる気なんかなくなるだろう。」  わかりやすい引例だが、この章は恋愛心理のためだけに書かれたわけではない。その証拠に、 宗教戦争に話題が移り、Eglise「ローマ教会」をtroubles「混乱」とorages「嵐」で揺すぶる にまかせたのはProvidence divine「神の摂理」だと断言、その上で、信心を回復したgain 「利益」を思えば戦火のdommage「損失」を上回るという大胆な総括にいたる。しかも大胆さ はそこに止まらない。堀田が引用した箇所はまさにその後につづき、最後はこう結ばれる。
  Je ne veux ni me craindre, ni me sauver à demi. Si une pleine reconnaissance acquiert la faveur divine, elle me durera jusqu’au bout ; sinon, j’ai toujours assez duré pour rendre ma durée remarquable et enregistrable. Comment ? Il y a bien trente ans.
 「わたしは恐れるつもりもないし、中途半端に助かる気もない。神に対する十分な信仰告白によって、そのご加護が得られるならば、わたしにとっては、そのご加護が最後までつづくだろう。そうでなくても、このご時世を十分生き延びて、それが注目に値するほど、記録的なものになっているのだ。どうしてだって?だってもう、優に三〇年にもなるではないか。」
 30年、すなわち宗教戦争の開始からこの時まで彼はこの「無防備主義」を貫き生き抜いた。 その実績がこの章を支えている。わたしたちに、「平和憲法」を堅持する勇気があるだろうか。

 
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