朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
sansに注目 2016.02エッセイ・リストbacknext

スタール夫人 ※画像をクリックで拡大
 sans préambule「いきなり」フランス語の引用からはじめる。
 Voyager est, quoi qu’on puisse dire, un des plus tristes plaisirs de la vie. Lorsque vous vous trouvez bien dans quelque ville étrangère, c’est que vous commencez à vous y faire une patrie ; mais traverser des pays inconnus, entendre parler un langage que vous comprenez à peine, voir des visages humains sans relation(1)avec votre passé ni avec votre avenir, c’est de la solitude et de l’isolement sans repos (2)et sans dignité(3);car cet empressement, cette hâte pour arriver là où personne ne vous attend, cette agitation dont la curiosité est la seule cause, vous inspire peu d’estime pour vous-même, jusqu’au moment où les objets nouveaux deviennent un peu anciens, et créent autour de vous quelques doux liens de sentiment et d’habitude.
 「旅をすること、それはなにを言おうと、生涯でもいちばん陰鬱な快楽のひとつだ。どこかの外国の町で居心地がよいと感じた時には、あなたはそこが故郷のように思い始める。 ところが、知らぬ国々を通り抜け、よく分からぬ言語が話されるのを耳にし、自分の過去とも未来とも無関係な(1)人の顔を目にすると、それは一人ぽつんと放り出された状態で、 安息もなければ(2)矜持も保てなくなる(3)。というのも、誰一人待ってもいない土地にたどりつこうと熱心に先を急ぐ結果、好奇心だけが頼りの興奮状態におちいり、そのためあな たはいささか自信を失う、そんな状態が、はじめて見るものに少々なじんできて、感情的にも習慣的にも周辺に優しいゆかりが生まれるまでつづくからだ。」
 外国旅行は楽しいけれど、反面、それには辛さがつきまとうという意見だ。共感する読者は多いと思うが、出典はMadame de Staëlの小説Corinne『コリンヌ』。つまり今から200年以上も前に書かれたと知れば、びっくりするのではないか。裏を返せば、交通や情報伝達の手段・仕組みが格段に進歩した現代では、旅する者はみな多少とも昔の特権階級の気分をあじわえるということだ。
 それはともかく、上文には<前置詞sans+名詞>の箇所が三つも出てきた。今はそこに注目したい。和訳の下線部分にあきらかだが、(1)のように前にある語句(ここではdes visages humains)を修飾するものと考えて和訳するのが一般的だ。しかし、いつもそれでいいかというと必ずしもそうではない。(2)(3)のように原文の順序どおりに訳した方がよい場合がある。
 この『コリンヌ』を論じたBenjamin Constantの評論に、登場人物の人物描写を分析した箇所がある。そもそもコンスタンはスタール夫人の愛人で、彼女との関係のもつれから恋愛小説の名作Adolphe『アドルフ』が生まれたことはよく知られているが、ここでは小説家としての先輩スタール夫人に敬意を表している。ただし、読者はもっぱら下線部に注目してほしい。今度はsans のあとに不定詞がくるケースである。
 Le comte d’Erfeuil est un homme dont toutes les opinions sont sages, toutes les actions louables ; dont la conduite est généreuse sans être imprudente(4), raisonnable sans être trop circonspecte(5) ; qui ne se compromet ni en servant ses amis ni en les abandonnant ; qui secourt le malheur sans être accablé(6) ; qui porte dans sa tête un petit code de maxi mes littéraires, politiques et morales, ramenées toujours à propos dans la conversation, et qui, muni de la sorte, traverse le monde commodément, agréablement, élégamment. (De Madame de Staël et de ses ouvrages)
 「エルフイユ伯爵は意見をのべれば常に賢明であり、行動をおこせば常に称賛をあびる男である。彼の振る舞いは鷹揚であるが無鉄砲に走ることはなく(4)、思慮深いが慎重になりすぎることはない(5)。友人に尽くすにしても捨てるにしても自分の評判を落とすことはない。不幸に出あえばそれを助けるが、打ちひしがれはしない(6)。文学であれ政治であれ人の道であれ、頭のなかに小辞典を備えていて、会話ではいつもタイムリーに金言をもちだす。そんな準備ができているので、楽々と、快適に、優雅に社交界を渡り歩いている。」 (『スタール夫人とその作品について』)
 (4)を例にあげれば、「彼の振る舞いは無鉄砲に走ることなく鷹揚である」と訳すよりもこの方が原作者の意図に近いことは明らかだろう。(5)(6)についても同様であることを確認してほしい。

「ある実話に即して」の表紙 ※画像をクリックで拡大

 さて、こんな風にsansの訳し方の工夫に読む者を誘う用例はむろん18,19世紀の文章にかぎられるわけではない。Le prix Renaudot 2015「2015年度ルノドー賞」を受賞したDelphine de ViganのD’après une histoire vraie『ある実話に即して』を見ていたら、次のような例に出会った。
 J’avais écouté L. sans chercher à l’interrompre.
 そもそも「わたし」こと人気作家Delphineの人生がとつぜん割り込んできた謎の女性L.のために撹乱される、というストーリー。作家の日常生活が日録風のスタイルで綴られているから、実に読みやすい。そのぶん、訳読にあたっても原文の流れになるべく逆らわぬ方がいいにきまっている。上文は、夜二人がカフェで話しこんでいるうち、L.が小説論をとうとうとまくしたて、作家の方が辟易しているというくだりだ。となれば、「L.の話に耳を傾けていたが、言葉をさえぎろうとはしなかった。」と訳すしかない。
 もう一例の場合もそうだ。精神に異常をきたした「わたし」はパラノイアの状態に陥り、いつも背後から追われているような恐怖を感じる。
 J’étais sûre de l’imminence d’un danger, sans en connaître la forme, sans savoir si ce danger était tapi à l’intérieur ou à l’extérieur de moi.
 「わたしは危険の切迫を確信したが、それがどんな形をとるのかも分からないし、そもそもその危険がわたしの内側に潜んでいるのか外側に潜んでいるのかも分からなかった。」
 sansはたかが前置詞だが、その扱い方次第で作者の意図が見えたりかすんだりする。

 
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