朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
あるポピュリストの末路 2017.02エッセイ・リストbacknext

「カナール・アンシェネ」紙 ※画像をクリックで拡大
 ポピュリズムという語をしきりに聞く。ロワイヤル仏和中辞典(1985年初版、2005年2版)のpopulismeの項を見ると「〖文史〗ポピュリスム、民衆主義」という訳語をあげ、「1930年代、心理分析的文学を排し庶民生活の素朴な描写を唱えた文学流派」と補足するだけ。後発のLe Dico現代フランス語辞典も同様。これに対し、Petit Larousse(2004年版)はこれを最後にまわし、その前に3義をつけたしている。すなわち「2.(1870年代ロシアで社会主義を志向した)ナロードニキ運動」および「3.(特に南米における)国家の自由化を志向するイデオロギー、運動」とする一方、先頭につぎの説明をかかげている。
 1.Souvent péjor. Attitude politique consistant à se réclamer du peuple, de ses aspirations profondes, de sa défense contre les divers torts qui lui sont faits.
 「[多く軽蔑的に]民衆や、民衆の意識の底にある願望や、自分たちが被った損害に対する民衆の防衛本能をより所にする政治的な態度。」
 いかにも辞書的なとらえ方だが、BREXITやTrump大統領選出の経過がいい例証になっているのではないか。いま流行りの「ポピュリズム」はまさにこの意味にちがいない。
 その上で、同じポピュリズムでも今は3の「特に南米のイデオロギー、運動」に注目したい。というのも、上の説明の背景は、先日亡くなったベネズエラのHugo Cháves大統領や、その先駆者アルゼンチンのJuan Domingo Perón大統領の存在であるからだ。彼らは独裁者として悪名をとどろかしたが、根っからの独裁者であったわけではなく、当初は民衆の圧倒的な支持で大統領に選ばれた人物であった。ここにポピュリズムの怖さがあり、歴史のなかに埋もれてしまった感のあるペロン大統領にいま目をむける意味がある。
 Petit Robert 2(固有名詞事典)は「アルゼンチンの政治家」とした後、こう記している。
 Colonel en 1941, il participa au coup d’Etat militaire de 1943 et devint ministre du Travail, puis vice-président. Il conquit la sympathie du peuple par une série de mesures sociales. Soutenu par les descamisados (« sans chemises ») et les syndicats, il fut élu président de la République en 1946 et établit une dictature qui trouva l’appui du clergé, de l’armée, des partis de gauche et dea nationalistes d’extrême droite. Sa doctrine, le « justicialisme » conciliait mesures sociales, politique antiaméricaine, catholicisme, répression, nationalisation, ce qui amena une transformation radicale du pays.

ホアン・ペロン元アルゼンチン大統領 ※画像をクリックで拡大
 「1941年大佐になった彼は、1943年クーデターに参加、労働大臣、ついで副大統領になった。一連の社会施策で民衆の共感をかち取った。デスカミサード[貧窮労働者]と労働組合の支持で1942年にアルゼンチン共和国大統領に選出されると、独裁体制を確立、それが聖職者・軍部・左翼政党・極右国家主義者の支持を得た。彼が主張する<社会正義主義>は社会施策・反米主義・カトリック教・弾圧・国有化を融合させたものだが、これによりアルゼンチンという国は根本的に変革された。」
 この後、夫人Eva(Evitaと愛称された)の人気もあって彼は民衆から喝采をあび、熱い支持をうけたのだが、やがて経済危機に陥って事態は急変、離婚・売春の合法化を打ち出したためにカトリック教会から破門されたばかりか、1955年にはクーデターが起き、大統領を辞任して、スペインに逃亡するにいたった。1973年には残党の奔走で一旦は大統領に再選され帰国したものの、ほどなく病気で、79年の生涯を終えた。
 さて、目下le Canard Enchainé紙がスキャンダルの暴露でフランス大統領選に衝撃をあたえているが、この週刊新聞の持ち味はなにも暴露だけではない。政治権力の裏にひそむ欺瞞をあばき、笑いの種にするところに本領がある。以下にかかげるのは、問題のペロン大統領に面会したPierre Lazareff記者の記事。因みに、ラザレフ(1907-1972)はフランスの大物ジャーナリスト。France Soir紙の社長のほか、テレビ業界で活躍した。
 Pierre Lazareff.---Est-ce que vous savez ce qui se passe dans votre pays ? Et quels moyens employez-vous pour le savoir ?
 Le Président [...] me répondit en clignant des yeux :
 ---Je sais tout ce qui se passe ici, beaucoup mieux que mes ennemis le croient, et j’ai mes moyens de m’informer.
 Et il ajouta aussitôt :
 ---Ainsi je suis absolument certain de la loyauté absolue de l’armée.
 「ピエール・ラザレフ:<お国のなかでおこっていること、ご存知ですか?それを知るためにどんな手段をお使いですか?>
 大統領は[…]ウインクしながら、答えた。
 <ここで起こっていることは全部承知しているさ。わたしの政敵どもが考えている以上にくわしくね。わたしにはわたしなりの情報収集手段があるのだ。>
 そしてすぐにつけ加えた。
 <そんなわけで、軍の忠誠については絶対の確信があるよ。>
 略歴にあるクーデターは、「絶対の確信」とは裏腹に、この数日後に起こったのだった。このインタビューの後にラザレフはこうつけくわえている。
 Les tyrans et les chefs de parti sont, en général, les gens les plus mal informés et, plus ils sont puissants, plus ils sont isolés dans l’erreur. Car :1) on n’ose rien leur dire de ce qui leur déplaît ;2) ils ont besoin de ne rien croire qui soit contraire à leur conviction ou à leur orgueil.
 「独裁者や党首たちは、一般的にいって、情報にもっとも暗い人たちだ。そして彼らが強大な権力者であればあるほど、誤りのなかに取り残される度合いがつよくなる。理由は二つ。1)周りの人間は、何であれ、彼らの気に召さぬことをあえて報告しないものだから。2)自らの信念または自尊心にそむくことは、何であれ、信じないでいたい欲求が彼らにはあるからだ。」
得々として自説をおしつけて憚るところがない、そんな政治家の声を毎日のように耳にするが、まさか、往年のペロンを真似ているわけではあるまい。しかし、本人はともかく、わたしたちはペロンの末路を忘れてはならないだろう。


 
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