朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「ウサギの耳」 2017.05エッセイ・リストbacknext

ラ・フォンテーヌ ※画像をクリックで拡大
 La Fontaineの寓話Les oreilles du Lièvre「ウサギの耳」をとりあげよう。その分けはあとで説明するとして、まず、原文と拙訳をかかげる。原作は12音節と8音節の詩句をくみあわせた完璧な韻文詩だが、わたしにできるのは行ごとに原文の意味をたどった上で、音韻は無視して、分かち書きにするのが精一杯、それをあらかじめお断りしておく。
    Un animal cornu blessa de quelques coups
      Le Lion, qui plein de courroux,
      Pour ne plus tomber en la peine,
      Bannit des lieux de son domaine
 5   Toute bête portant des cornes à son front.
    Chèvres, Béliers, Taureaux aussitôt délogèrent;
      Daims et Cerfs de climat changèrent:
      Chacun à s’en aller fut prompt.
    「角のはえた動物がちょっとした弾みで
      ライオンを傷つけた。怒り狂った彼は、
      苦しみは二度とご免とばかり、
      テリトリーから追放処分にした、 
     頭に角をそなえた獣をことごとく。
    ヤギ、ヒツジ、ウシは即刻引っ越した、
      牡ジカ、牝ジカも住む土地を変え、
      みな急いで立ち去った。」
    Un Lièvre, apercevant l’ombre de ses oreilles,
 10    Craignit que quelque inquisiteur
    N’allât interpréter à cornes leur longueur,
    Ne les soutînt en tout à des cornes pareilles.
    「あるウサギ、自分の両耳の影を見て、
      恐れたのは、どこかの異端審問官が
     長さから耳を角と解釈して、
     完全な角だと主張するのではないか、ということ。」
    « Adieu, voisin Grillon, dit-il ; je pars d’ici :
    Mes oreilles enfin seraient cornes aussi ;
 15  Et quand je les aurais plus courtes qu’une autruche,
    Je craindrais même encor. « Le Grillon repartit :
     « Cornes cela ? Vous me prenez pour cruche ;
      Ce sont oreilles que Dieu fit. »
    「さよなら、お隣のコオロギさん、」と彼は言った、「ここを出て行きます。
    この耳もしまいには角にされるのではないかしら。
    それに、これがダチョウの耳より短かったとしたところで、
    わたしはやっぱり怖いんです。」コオロギがやり返した。
     「それが角だって?おれをばかにするにもほどがある。
      神さまが作られたのは立派な耳だよ。」
      ---On les fera passer pour cornes,
 20  Dit l’animal craintif, et cornes de Licornes.
    J’aurais beau protester; mon dire et mes raisons
      Iront aux Petites-Maisons. »
      「それが角にされてしまうんです、」
    と臆病なウサギは言った、「それも、一角獣の角に。
    いくら抗議しても無駄。わたしの言葉もわたしの理屈も
      精神病院送りの動機にされてしまいます。」


「ウサギの耳」の挿絵 ※画像をクリックで拡大
注釈は2箇所にとどめる。
 1)10行目のinquisiteur。Inquisition「宗教裁判所、異端審問所」はカトリック教の異端者を糾弾するため王命で設置され、15世紀以降、スペインで勢力を振った。異端審問に名をかりつつ、政治的な弾圧の手段だったことは間違いない。ただし、フランスにはこの機関はなかった。RacineやBoileauとは対称的に、時の国王Louis XIVから冷遇されていたラ・フォンテーヌは、権力を批判しつつも、その恐ろしさを熟知していたから、用心深く、異国の制度を寓話にとりこんだのだろう。
 2)22行目のPetites-Maisons。fous「狂人」certains pauvres「ある種の貧乏人」の病院だが、別の辞書によるとune extravagance signalée「際立った異常行動、奇行」の主も対象になったとあるから、上記のウサギの心配も取り越し苦労とはいえない。
 ラ・フォンテーヌは彼より1世紀前のイタリヤ作家Gabriele Faernoの寓話「キツネとサル」を翻案した。そこではライオンが尻尾のない動物の追放を言い渡す。長い尻尾のキツネは逆に心配になり自分から出ていこうとする。サルは王命を曲解していると忠告する。それを聞いたキツネはこういう。 « Tu dis vrai, et ton conseil est bon, mais comment savoir si entre les animaux dépourvus de queue le lion ne voudra pas me compter au premier rang ? » Celui qui doit passer sa vie sous un tyran, même s’il est innocent, est souvent frappé comme coupable.(R. Radouant仏訳による)
「『本当だ、君の忠告はただしい。けれど、尾のない動物のなかにライオンがぼくを一番に数えていないか、どうして分かる?』暴君のもとで暮らさねばならぬ者は、無実でも、罪人として罰せられることがよくある。」
ラ・フォンテーヌはずる賢いキツネにかえて、臆病者のウサギを、浅智恵のサルにかえて、家に住み着く習性のコオロギを登場させた。見方によっては、ウサギの怯えが杞憂にすぎないことを誇張して、笑いものにしたともいえる。しかし、権力者による物騒な法律の押し付けに不安を抱えている国民(トルコ、日本...)は、常識家のコオロギよりも、過度の心配性に陥ったウサギの方に加担すべきではないのか。


 
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