朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
休み明けの難題 2017.09エッセイ・リストbacknext

Captain Americaのコスプレ
 夏休みなのに十分にくつろげない。その理由は、異常気象だけにとどまらない。
 8月29日づけのLe Monde紙はA l’Elysée, les difficultés ne font que commencer「大統領[府]にとって、難局ははじまったばかり」という記事を載せ、Réforme du droit du travail「労働法の改革」、Assurance-chômage「失業保険」、Logement「住宅」、Enseignement supérieur「高等教育」など、難題が山積し、解決にむけて、これからようやく第一歩がふみだされるところであることを指摘した。
 極東では北朝鮮問題が一段と緊張をたかめた。8月30日づけの同紙も、これには触れずにはいられなかった。Pyongyang tire un missile au-dessus du Japon「北朝鮮は日本上空を通るミサイルを発射」
 この見出しの記事はPhilippe Mesmer, Philippe Pons二人の老練記者の手になるものだが、そこにこんな一節があった。
 Ces développements tendent à montrer que Donald Trump a pu commettre une erreur en pensant qu’une accalmie se dessinait, après la retenue adoptée par Pyongyang depuis les menaces formulées début août de lancer des missiles au large de Guam. Le « feu et la fureur » promis à la République populaire démocratique de Corée (RPDC) ne l’ont pas dissuadée de poursuivre ses essais de missiles
 「こうした展開はつぎのことを示しているようだ、すなわち、8月はじめにグアム沖にミサイルを打つと表明した脅迫以降、平壌がとった自制的姿勢のあと、小康状態が訪れていると考えたドナルド・トランプは失策を犯したかもしれない、ということ。<炎と怒り>で応じるという彼の約束は北朝鮮人民共和国にミサイル実験を断念させるにいたらなかった。」
 わたしの知るかぎり、日本のマスメデイアは自国の上空を脅かされたという驚きと不安から北朝鮮への怒りをぶちまけはしても、この事態を見越せなかったのはアメリカ大統領の失策だと糾弾する冷静さを欠いている。迎合的な政府にならうかのように、アメリカに対しては及び腰で、対応が甘くなる。
 いずれにせよ、北朝鮮問題が危険をはらんでいることはまちがいない。トランプが金委員長のような若造に騙されたと知れば、その腹いせに何をしでかすか分からない。この記事が公開される頃にはどんなsurprise「不意打ち」がおこっているか、不安いっぱいだ。
 その不安を棚にあげて、上の記事に戻る。「炎と怒り」という例のトランプ発言が日米にとどまらず、ヨーロッパでも反響を呼んだことが分かる。
 They will be met with fire and fury like the world has never seen.
 「北朝鮮は世界が見たこともないような炎と怒りに直面するだろう」
 トランプはこう書いたのだが、ここでは「怒り」にあたる英語fury(フランス語ではfurie)に注目したい。angerでも、indignationでもなく、furyという語を使った。
 その背景の一つはFact Checkというサイトの記事。この発言は大統領の即興ではなくてcomic book characterのCaptain Americaの台詞のパクリplagiarizedだという。イラストもあるから、読者はそれを信じこまされてしまう。ただ、記事はこの噂を紹介した上で、一見、それを否定するかのような体裁になっている。真偽はさておき、マンガの人物に興味をもったので、WikipédiaのCaptain Americaという項を引いてみた。
 Captain America est un super-héros de bande dessinée, créé par le dessinateur Jack Kirby et le scénariste Joe Simon. Evoluant dans l’univers Marvel de la société Marvel Comics, le personnage apparaît pour la première fois dans le comic book Captain America Comics # 1 de décembre 1941.
 「キャプテン・アメリカは漫画界のスーパーヒーロー、画家ジャック・カービー、脚本家ジョー・サイモンの手で生み出された。マーベルコミック社のマーベルの世界で生長をとげたこの人物は1941年12月発売の第1回<コミック・ブック>の<キャプテン・アメリカ・コミック>の中で初登場した」
 「スーパーマン」や「スパイダーマン」を輩出したマーベルコミックの草分け的人物で、フランスのAstérix(1959年開始)の先駆けとみてよい。1941~1954年に刊行されたというから、1946年生まれのトランプ少年が愛読しなかったはずがない。
 Ce super-héros, incarnant le patriotisme américain, est emblématique de l’Amérique depuis le début de la Seconde Guerre mondiale, se faisant le porte-drapeau de défenseur du monde libre contre les tyrannies, notamment le régime nazi, contre lequel il fut créé en réaction par ses auteurs.
 「このスーパーヒーローは、アメリカ愛国主義の権化であり、第二次世界大戦後のアメリカの象徴として、アメリカ的価値の旗手になり、専横政治、特にナチス体制に対する自由世界の守護者になったが、そもそも、反ナチスの作者たちの手で生み出されたのだった。」
 深入りは避けたいが、ここまで読んだだけでも、大統領の意識の底で、キャプテン・アメリカが躍動していることは察するに難くない。ただ、そのあとで、背筋が寒くなるが。
 もう一つは、furieの語源を探ると、復讐の女神Furies「フリアイ」に行き着くこと。
 Ces démons du monde souterrain, inspirés des divinités infernales étrusques, occupaient une place importante, mais leur origine, leur nom et leur culte étaient empruntés aux trois Erinyes grecques.(Dictionnaire de la mythologie grecque et romaine, Larousse 1965)

フュースリー作「三人の魔女」 ※画像をクリックで拡大
 「これら地下世界の悪霊は、エトルリアの地獄の神々にヒントを得て、古代ローマの宗教界で重要な位置を占めていた。しかし、その起源や名前や崇拝の仕方はギリシア神話のエリニュエス(アレクト、メガイラ、ティシポネの3名)を取り入れたものである。」
 要するに、ヨーロッパに古くから伝わる伝承につながる、ということ。これをうまく生かした例の一つが、シェークスピアのMacbethの3人の魔女witches([仏]sorcières)だ。彼女たちはその予言の力でマクベスをそそのかし、彼をこの悲劇の主人公に仕立て上げ、最後は冷たく見捨てる。開幕早々、3人が口をそろえて言う台詞はあまりにも有名だ。
 Fair is foul, and foul is fair.
 「きれいは汚い、汚いはきれい」「フェアーはファウル、ファウルはフェアー」
 いろいろな訳があるようだが、価値の相対化を示唆している。旧体制を一新して、独自の世界を作ろうという野心の持主を刺激する言葉にはちがいない。オバマを批判し、その業績を片っ端からつぶすことを公約して選挙に勝った現大統領が、飛びつきそうな言葉ではないか。トランプがフリアイの誘いに乗ったのだとすると、その先行きはまことに暗い。戦慄をおぼえるのは、わたしだけではないだろう。

 
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