朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
titreとタイトルの間 2018.3エッセイ・リストbacknext

オゾン監督 Frantz の日本語バージョンのポスター ※画像をクリックで拡大
 「タイトル」は今や日本語の一部になっている。たとえば、羽生善治は7タイトルを独占した、という時、「タイトル」を「称号」や「選手権」に言い換えてもぴったりこないように思う。それほどこの単語が日本化したとも言えるが、油断は禁物だ。手始めに、日本の国語辞典を見ると、タイトルの語源として決まってtitleとある。英語に由来、ということだろう。ところが、フランス語ではtitreとつづる。これはどうしたことか?
 RobertのDictionnaire historique de la langue françaiseは1165年頃まではフランス語でもtitleだったが、1225年頃に発音の変化modification phonétiqueが起こったとする。旧形titleは17世紀まで存続して、それが英語に残った、という説明である。もっとも、英語とは別個に独自の発展をとげたイタリア語でもtitolo、スペイン語でもtituloだから、フランス語における[l]→[r]の変化はいささか特異なことがわかる。
 さて、フランス語のtitreだが、この仏単語は日本語との対応関係がややこしい。新スタンダード仏和辞典はA[肩書・資格]、B[表題]、C[証書]、D[比率]と大別した上で、Aの中に訳語として、1.称号…2.肩書;地位,職名…3.(遊戯・スポーツ)タイトル。4.資格、名目。など、Bの中に1.題名、表題。2.(新聞の)見出し。など、Cの中に1.権利書、証書;許可書…2.証券、有価証券。Dの中に1.(合金の)純分… 2.(糸の太さを示す)番号、番手。をあげている。「多義語」というだけでは片付かないほど、訳語が広範囲におよんでいることをまず頭にいれておかねばならない。
 その上で、今回はtitreにまつわるおしゃべりを少々。
 一つ目は「題名」という語義にあたる場合の話。映画作品の邦訳名と原名の間にズレが生じやすいことは周知のとおり。古くはJean Duvivier監督のPépé-Le-Moko*『望郷』、Alain Resnais監督のHiroshima, mon Amour『二十四時間の情事』(「愛しいヒロシマ」?)、François Truffaut監督のJules et Jim*『突然炎のごとく』、最近ではIlmar Raag監督の Une Estonnienne à Paris 『クロワッサンで朝食を』(「パリのエストニア女性」)、François Ozon監督のFrantz*『婚約者の友人』がすぐに思い浮かぶが、*印の表題は日本の観衆になじみのない人名のみで出来ているから、スタッフは中身を要約して興味をひこうと知恵をしぼったのだろう。むろん、これは日仏間に限ったことではない。今公開されているアメリカ映画The Last Word (「遺書」)は日本では『あなたの旅立ち、綴ります』、フランスではAdorables Ennemies (「素敵な敵同士」)となっている。
小説の題名にも事情は通じる。谷崎潤一郎の『細雪』ははじめThe Makioka Sistersという英訳が出、さらにはQuatre Sœurs という仏訳がながらく世に出回っていたのだが、今ではBruine de neigeの名でプレーヤッド叢書に入っている。因みに、bruineは「霧雨」。
 ついでにマンガの例を一つ。Le Monde紙(3月1日号)はDe l’histoire du Japon au « Guide Michelin »「日本史からミシュラン・ガイドまで」と題する記事で、高浜寛という女流マンガ家をくわしく紹介した。彼女は歴史に興味をもち、幕末の長崎遊郭を舞台にした『蝶のみちゆき』、大正時代の東京、新宿の歓楽街を描いた『四谷区花園町』を連発した。ともに仏訳され、前者がLe dernier envol du Papillon(「蝶の最後の飛翔」)、後者がTokyo, amour et liberté(「東京、恋と自由」)。ともに人気を呼んでいるらしい。彼女の最新作はミシュラン社からレストラン探訪を依頼された女性調査員inspecteuseをヒロインにしている。フランス人の原作を元にした作品で、著者がつけた名は『エマは星の夢を見る』なのに、フランス版はLe Goût d’Emma(「エマの味覚」)となっている。
 二つ目は、titreが「見出し」を意味する場合の話。
 2月13日付けのLe Mondeは英国で「パブ」が消滅の危機にあるという記事を載せた。
 Près de trente établissements ferment leurs portes chaque semaine, souvent pour être transformés en logements. De nombreux Britanniques se mobilisent pour défendre ces lieux essentiels à la cohésion sociale.

高浜 寛のマンガ。フランス・バージョンの表紙 ※画像をクリックで拡大
 「毎週、30軒近くのパブが閉店し、多くは住居に改造される目的で。多数の英国人がこれらの社会的な結びつきに不可欠な場所を守ろうと立ち上がっている」
 この記事の見出しが振っている。すなわちLes Pubs mis en bière「パブの納棺」。「棺桶」と「ビール」は日本語では似ても似つかないが、フランス語では同音異義語になっている。 見出しではこんな駄洒落が珍しくないことに注意しょう。
 見出しは、読者の注意をひくために、ほかにもさまざまな手を使う。すこし古くなるが、昨年12月22日付けのLe Monde紙のgastronomie「美食、食通」欄にHuître ou ne pas huîtreという大見出しが踊った。huîtreなどという動詞はないのに、どうしたことなのか?とりあえず、リードを見ると、こうあった。
 Diploïde ou triploïde ? Née en laboratoire ou en mer ? Bio ou pas ? Ces questions secouent le monde des ostréiculteurs, dont certains militent pour un mollusque 100 % naturel. A vos couteaux !
「二倍体か、三倍体*か?人工授精か、天然受精か?オーガニック食品か、否か?これらの問いが、牡蠣養殖業界を揺るがせていて、中には100%天然の牡蠣を目指す業者もいる。乾杯!」
 *三倍体:フランスの研究機関が牡蠣の増産をめざして、三倍体(3組のゲノムを持つ細胞からなる個体)の牡蠣を作り出した。三倍体の「不稔」(花が咲いても種子のできない現象)を利用して、「種無し」の品種(ブドー、スイカなど)を作ったようなもの。
 フランス人が生牡蠣を好むことは周知のとおり。その伝統はLouis XIVにはじまるといわれるが、採集地がタンカーの沈没などにより海水汚染の被害を被った。その結果、現在フランスの牡蠣の幼生naissanは95%までも日本伝来という窮状にあることが無視できない。そこで、研究所が奥の手として、人工養殖に力を入れ、苦心の末に三倍体牡蠣に行き着いたのだろうが、そのフランスではオーガニック食品志向がつよい。そこで研究所の反自然の傾向に抵抗した業者が100%天然の岩牡蠣の採取に熱をあげることになった、という次第。
 さて、問題の見出しだが、ハムレットの台詞To be or not to be.を想起しなければならない。仏訳ではEtre ou ne pas êtreなのだが、huîtreという名詞の語尾がたまたま-re型動詞に似ていることから、それを動詞に見立てた駄洒落ということになる。
「牡蠣であるか、牡蠣でないか」
   
 
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