朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
クローデル劇における日本(1) 2018.6エッセイ・リストbacknext

ポール・クローデル ※画像をクリックで拡大
 今年はフランス文学者Paul Claudelの生誕150年にあたる。1868年つまり明治元年生まれということだが、同年生まれで日本人になじみの深い文学者は少なくない。主な名前だけでも、翻訳劇の古典として名高いCyrano de Bergerac『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者Edmond Rostand、Propos sur le bonheur『幸福論』(日本ではこの作品ばかり評判だが、主要著作だけでもPléiade叢書4巻をかぞえる)を書いた哲学者・批評家のAlain(本名Emile-Auguste Chartier)、BaudelaireやVerlaineのような陰鬱な都会ではなく、明るく澄んだ田園を背景に作品を書いた詩人Francis Jammesをあげることができる。その中にあって、クローデルだけが、それも特に日本で記念行事の対象になっている。
 新作能『面影――ポール・クローデル「女と影」による』(国立能楽堂、2月4日)の上演にはじまり、①『ポール・クローデルの日本――<詩人大使>が見た日本』(中條忍著、法政大学出版局)の刊行、②「詩人大使ポール・クローデルと日本展」(神奈川近代文学館)の開催(7月16日まで)、③ 劇作家クローデルの代表作Le Soulier de Satin『繻子の靴』(四日間のスペイン芝居)の一挙上演(静岡芸術劇場、6月9日と10日)とつづく。
 なぜ、彼だけがこれほど脚光を浴びるのか?
 上記の①を読めば、納得する説明が得られる。副題の<詩人大使>にすでにヒントがある。まず、クローデルは駐日フランス大使として、1921(大正10)年から1927(昭和2)年まで、休暇帰国期間を除くと、正味4年半日本に滞在し、日仏会館Maison franco-japonaiseの開設をはじめ(①は、外交官としての業績にも多くの頁を割いている)、日仏両国の交流に尽力した。これだけでも、特別扱いされて当然かもしれないが、彼の場合は同時に詩人であり、劇作家であった。若い頃から憧れていた日本の土を踏んで、4年をこえる時日を過すあいだに、日本の自然に触れ、能・歌舞伎のような伝統文化に親しむことができた。①が示すように、日本を自分の目で「見た」し、その奥に秘められた日本精神の根底に迫ろうとした。その成果の一端が②の会場に展示されている。いってみれば、アーネスト・サトウと小泉八雲の二役を演じたフランス人だったのだ。生誕150年の今、その業績の掘り起こしと再評価に日本人が熱をあげるのも無理はない。
 今回は、③に触発されて、彼が在日中の1925(大正14)年に完成した『繻子の靴』から読み取れる日本の姿に注目してみたい。
 この長大な戯曲(定型韻文詩と自由詩形の違いを度外視して台詞の行数だけを比較すると、RacineのPhèdreの約5倍にあたる)は、時空ともにスケールが大きく、時代は16世紀後半のスペインに設定されているもののナポレオンが話題になるし、空間はヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、さらには日本にまで広がる。4日間からなる芝居の「一日目」は、何と大西洋を漂流する船の上で始まるのだが、開幕早々l’Annonceur「口上役」(③では野村萬斎が演じた)が登場し、La scène de ce drame est le monde「この劇の舞台は世界である」(以下、渡辺守章訳、岩波文庫による)と言い放つ。この口上自体がすでに長々しいのだが、笑いを誘うのは、その結句である。折れたメイン・マストの根元に縛りつけられ、絶体絶命のイエズス会神父がSeigneur, je vous remercie de m’avoir ainsi attaché…「主よ、感謝いたします、わたくしをかくのごとく縛りつけ給うたことを…」というのに被せて、口上役は次の捨て台詞を吐いて退場する。
 Mais c’est lui qui va parler. Ecoutez bien, ne toussez pas et essayez de comprendre un peu. C’est ce que vous ne comprendrez pas qui est le plus beau, c’est ce qui est le plus long qui est le plus intéressant et c’est ce que vous ne trouverez pas amusant qui est le plus drôle.(Le Soulier de Satin, Théâtre II in Bibliothèque de la Pléiade, p.666)
 「いや、これから先は彼の台詞。耳を澄ませてお聞きなさい、咳は我慢して、ちっとは理解するよう努力していただきたい。お分かりにならないところが一番素晴らしい、一番長いところが一番面白い、それから、なにが面白いんだとお思いになるような箇所が、実は最も滑稽なので。」(『繻子の靴』上、岩波文庫、24頁)
 訳者は作者特有の「徴発的言辞」は「舞台設定の<道化芝居>的様相とその<異化効果>に見合っている」、と注釈する。専門家の意見として頷く一方、わたしは邪推した。この裏には、退屈して舞台の前で立ち往生した作者自身の体験があるのではないか、と。というのも、①の一節を思いだしたから。芥川龍之介が能の鑑賞中に「欠伸をしているクローデル」を目撃し、「同情の苦笑を禁じ得なかった」という逸話である。いかにも芥川的な小賢しい観察だが、芥川の「同情」とは裏腹に、日本語を解さぬはずのクローデルの方は「欠伸」だけに留まらなかった。鑑賞を重ねて能の理解を深め、最終的にはその精神を自作に取り込んだ。それを考えあわせると、上の口上の意味は一段と奥行きを増すのではないか。
 さて、「3日目」第8場(大洋を走る船上)、ヒロインのDona Prouhèzeが眠っていると、水平線に日本列島が姿を現す。彼女の台詞。
 Quelles sont ces Iles là-bas pareilles à des nuages immobiles et que leur forme, leurs clefs, leurs entailles, leurs gorges, rendent pareilles à des instruments de musique pour un mystérieux concert à la fois assemblés et disjoints?
 J’entends la Mer sans fin qui brise sur ces rivages éternels!
 Près d’un Poteau planté dans la grève je vois un escalier de pierre qui monte.
 (id、p.813)
 「なんだろう、あの島々は、じっと動かない雲のような、形は、幾つもの鍵、幾重にも切り込みのある、括れた輪郭、まるで楽器のような、合体しつつも離れ離れの、神秘な合奏のために調えられた。
 聞こえるのは、ただ、永遠のあの岸辺に、寄せては砕く果てしない波音ばかり。 磯辺に立つ杭の傍、石段が高く登っていく。」(同書、下、75頁)

クローデルによる能「面影」 ※画像をクリックで拡大
 この風景が視界の向うにたち現れた時の感動に思いをはせよう。まして、問題は「日本」。
 今は飛行機が常識だが、海路しか日本に通じる道はない時代が長かったことを考えてみよう。その頃、外国人がはじめて見た日本の姿はどんなものだったのか。はるばる日本にやってきた、たとえば、ザビエルやペリーの目の前に、この国はどんな風に見えたのか。
 クローデルは大使になる前、中国勤務時代1898(明治31)年に初来日をはたしているが、それ以来、彼が「温めてきた日本のイメージの絵画的要約」がここにある、と訳者はいう。紙面の関係で、今回はここまでにするが、この台詞はこの後もつづく。

 
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