朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
クローデル劇における日本(2) 2018.7エッセイ・リストbacknext

グランドホテル ※画像をクリックで拡大
 「永遠の岸辺に寄せては砕く果てしない波音…」、これが日本の「絵画的イメージ」だとすると、いかにも平穏な永遠性が強調されている感じがする。
 前回はそこで終わったが、先をつづける前に、今回は寄り道をしたい。あそこで紹介した「詩人大使ポール・クローデルと日本」展に出向き、会場が横浜の「港の見える丘公園」通称「フランス山」にある因縁に気づいたからだ。この一角にフランス領事館があったことを想起せねばならない。クローデルが駐日大使に任命され、横浜に着いたのは1921年11月のことだが、翌々年9月には関東大震災が起こり、領事館は倒壊、領事は即死の憂き目を見た。クローデルは皇居わきの大使館で地震に遭遇、倒壊を免れたのに一安心し、その後の大火で類焼する展開までは思い及ばず(『繻子の靴』の原稿の一部は消失)、それより、横浜に多数居住する同胞の身の上を案じ、交通手段の混乱をのりこえて現地に急行した。ルポルタージュ(本国への報告がベースになったエセー)として名高いA travers les villes en flammes「炎の街を横切って」の冒頭を引く。これは、うって変わって、崩壊とはかなさを描いた文章だ。被害の大きさが繰りかえし強調されるが、用語は変化に富む。
 Yokohama est détruit. De la mer aux collines de Kanagawa, à l’exception d’une maison unique qui dresse gauchement près de la gare de Sakuragicho son bloc luisant de céramique, tout est vide.(Paul Claudel:L’Oiseau noir dans le Soleil levant :in Œuvres en prose, Bibliothèque de la Pléiade, p.1133)
 「横浜は破壊された。桜木町の駅近く陶器の光沢を放ちながらなおもぎこちなく立っている一塊りの建物を除いて、神奈川の海岸から丘陵地帯に至るまで全ては無と化した。」
 (『朝日の中の黒い鳥』所収、内藤高訳、講談社学術文庫、47頁)
 大震災というと東京を考えがちだが、神奈川県は震源の真近にあったわけだから、横浜の被害は甚大だった。人口は東京の五分の一なのに、倒壊家屋の戸数が1万6000、1万2000の東京を上回っていたことを見ただけで察しがつこう。
 「<…> Toute l’œuvre des étrangers au Japon depuis cinquante ans, ---car c’est eux qui ont fondé Yokohama et en ont fait le plus grand port du pays, ---s’est effondrée en quelques heures.(ibid.)
 「<中略>五十年来外国人たちが日本で築き上げてきたもの全てが――というのも横浜の基礎を築き、日本最大の港としたのは外国人たちだったからなのだが――数時間のうちにもろくも崩れ落ちてしまったのである。」(同上)
 1858年の安政五カ国条約(日米間の条約にならい、英・仏・蘭・露四カ国も幕府と条約を結んだ)には神奈川・長崎・新潟・兵庫・江戸・大阪に開港するという条文があったが、攘夷派に配慮した幕府は、街道の宿場神奈川を避け、当時は海をはさんで対岸にあった横浜に1859年、最初の港を開いた。クローデルが「50年」といい「外国人が基礎を築いた」というのはその事情を反映している。
 Tout le quartier des étrangers, toute la ligne des édifices du quai avec ses deux hôtels remplis de passagers, se sont abattus au premier choc. Le Consulat français s’est litté- ralement dissous, ensevelissant sous ses ruines mon pauvre ami Déjardin. Je l’ai retrouvé étendu sur une charrette, la face déjà noire et tuméfiée, les jambes tordues. Un pillard lui avait pris ses souliers et le drap dont nos marins de l’André-Lebon l’avait couvert. Seuls se dressent encore çà et là, au milieu d’une vapeur infecte, quelques entrepôts calcinés pareils aux fours maudits de l’antique Baal.(ibid)
 「外国人居住区全体、旅行者で満員の二軒のホテル①もある海岸沿いの建物の並び全体が最初の衝撃とともに崩壊した。フランス領事館②は文字通りバラバラになり、友人のデジャルダンは悲惨にもその廃墟の下敷きになってしまった。私が着いたとき、その遺体は荷車に横たえられていた。顔はすでに黒ずみ腫れ上がり、両足は捻じ曲がっていた。盗人が彼の靴と、アンドレ・ルボン号③のフランス人水夫たちが遺体に掛けておいた布をいつのまにか持ち去っていた。悪臭が漂う中、黒焦げになった倉庫のみがまるで古代のバール神④の呪われた竈のようにそこここになおも残骸を留めていた。」(同上)

アンドレ・ルボン号 ※画像をクリックで拡大
 ① 「グランドホテル」とその新館で、東京の帝国ホテル、箱根の富士屋ホテルと並んで 外国人客で繫昌していた。②領事館跡は今モニュメントになっているが、建物自体は震災で倒壊したものではなく、1930年に再建され1974年に火災で焼失した二代目にすぎない。③2年前、クローデルをマルセーユから横浜まで運んだフランスの船会社Messagerie Maritime)の客船、この記述の後、英国船とともに、避難救助に活躍することとなった。④カナン地域でひろく信奉された神。イスラエルの神ヤハウェの敵として、「列王記」などで多くの預言者がその邪神性を説き、証明してみせた。
 クローデルはこの惨状の描写をつづけた後、二百十日に言及する。
 C’est une date que les Japonais attendent toujours avec angoisse, car elle décide du succès de la récolte du riz et coïncide en général avec le passage des grands typhons. Le Japon est, plus qu’aucune autre partie de la planète, un pays de danger et d’alerte continuelle, toujours exposé à quelque catastrophe : ras de marée, cyclone, éruption, tremblement de terre, incendie, inondation. Son sol n’a aucune solidité. Il est fait de molles alluvions le long d’un empilement précaire de matériaux disjoints, pierres et sable, lave et cendres, que maintiennent les racines tenaces d’une végétation tropicale.(id.p.1135)
 「日本人はこの日をつねに不安とともに待つ。というのもこの日は稲の収穫の良し悪しを決定づける日であり、しかも一般に大きな台風が通過するときと一致するからである。大津波、台風、火山の噴火、地震、大洪水などたえず何か大災害に晒された日本は、地球上の他のどの地域よりも危険な国であり、つねに警戒を怠ることのできない国である。大地は堅固さというものを全く持ち合わせていない。この国の大地は小石、砂、溶岩、火山灰など分離しやすい物質が不安定に堆積し、柔かい沖積土がこれと層をなしてできている。亜熱帯植物の強く張った根がこれらの物質がバラバラにならぬように維持しているのである。」(同、51頁)
 ほとんど百年近く前の文章だが、今年もまた災害が絶えず、承服するしかない。それだけに、前回の「日本のイメージ」との隔たりはいかにも大きい。これをどう考えたものか?夏休みの宿題にしよう。

— 8月号は夏休みで休刊です。次号は9月号となります —


 
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