朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「国籍」とは何だろう?(4) 2020.3エッセイ・リストbacknext

国籍法第5条(帰化申請の要件) ※画像をクリックで拡大
  「日本作家」を名乗って小説を書くつもりの「私」はモントリオールにいる日本人たちと交流することになった。相手の一人、ミドリは日本の芸能界で一旗あげたい野心的な娘なのだが、こう言う。(因みに、訳文は原則として、これまで通り、立花訳を借用する)
 Pour une Américaine ou même une Française, c'est facile de se faire un nom au Japon, mais si tu es une Japonaise qui vit à l'étranger, c'est foutu. (Métamorphoses, id. p.198) 外国人タレントが目立つ日本の現状を言い当てているが、裏を返せば、この国ではそれほど国籍が幅をきかす、というわけだ。そこで、彼女は『吾輩は日本作家である』の著者に、安直にそんなタイトルをつけたのは何故か、と食ってかかる。「私」は答える。
 ---Je l'ai fait pour sortir précisément de ça, pour montrer qu'il n'y a pas de frontière... J'en avais mare des nationalismes culturels. Qui peut m'empêcher d'être un écrivain japonais ? Personne.(ibid.)
 「まさにそんな穴蔵から出るためにやっているんじゃないか。国境なんて、そんなものないってね。 文化ナショナリズムにはうんざりだ。私が日本作家になるのを止められるやつなんているものか、誰一人」(206頁)
 ここから浮き出してくるのは、暴政下のハイチにとどまりcréole語の使用に固執する作家たちとは反対の道に進んだラフェリエール自身の選択の際どさであり、重さだろう。しかし、そんな事情を知らぬミドリは驚いた。輪をかけて驚いたのは、いきなり著書の噂を聞きつけた日本社会。逆上のあまり、出版阻止を唱える弁護士まで現れた、とミドリはいう。
 La dernière, m'a dit ma copine, c'est cet avocat qui est allé dire à la télé que le mot « ja ponais » appartient à l'Etat japonais qui ne l'accorde qu'à ses citoyens légitimes. Tout le monde ne peut pas devenir japonais à volonté... (ibid. pp,198-199)
 「最新の情報によれば、女友達が教えてくれたんだけど、その弁護士はテレビに出て、“日本”という言葉は、日本国家のもので、法的な資格のある市民にしか、それは与えられないと言ったそうよ。誰でも、志願すれば日本人になれるわけじゃないのよ。」(207頁)。
 Et l'autre avocat qui voulait faire le malin, c'était dans un débat à la télé avec des avocats, en demandant si « un tueur en série d'un autre pays peut publier un livre avec ce titre par exemple :Je suis un tueur en série japonais. Cela aurait sali la réputation du Japon. C'est cette émission dans une télé très populaire qui a provoqué une montée de lait de la droite japonaise.(p.199)
 「別の弁護士は切れ者ぶりたくて、別の弁護士とのテレビ討論会で、たとえば、もし、ある国の連続殺人犯がね、<我こそは日本の連続殺人犯なり>という本を出版できるようになったら、どうするんだと言ったそうよ。そんなことをされたら、日本の評判が汚されるって。その番組って、人気番組だから、日本の右翼が怒りを爆発させたそうよ。」(同上
 (因みに montée de lait の原意は「(鍋の中での)牛乳の沸き立ち」で古語に属するが、Québecでは比喩的に「感情の暴発」の意味で使われる。作者はそれに従ったものだろう。)
 まだ書かれていないこともお構いなく、Je suis …という表題だけが独り歩きし、日本でブームになる。Un officier de l'armée「ある自衛官」は夜のテレビ・ニュースで” « Je suis un soldat coréen. »「私は韓国の兵士である」と名乗ったために大問題になり、北海道の部隊に左遷された。Un chauffeur de poids lourd, très musclé et couvert de tatouages「筋骨隆々、派手な入れ墨の大型トラックの運転手」は « Je suis une geisha japonaise. »「私は日本のゲイシャよ」とキャバレーのショウで歌い、その歌がラジオで放送され、子供たちまでが歌うほど流行した。
 他人のアイデアに飛びつき、模倣し、儲かりそうだと思えば、それ一辺倒になる、日本的情報化社会が目に浮かぶ。ここからは、著者一流の皮肉な高笑いが聞こえてくる。でも、笑ってばかりいるわけではない。別の箇所では、もっと真剣に、敗戦後の日本人の心底を見通す姿勢に変わる。
 Leurs guerriers portent des costumes colorés et se maquillent violemment. Les Américains les ayant vaincus, ils sont devenus des Américains. Une façon de digérer ces maudis Yankees. Double culture : la sienne et celle de l'autre. D'où le succès du double hamburger.  (Américanisation/Japonisation, id. p.167)

マクドナルドの「ダブルバーガー」
 「極彩色の制服を身につけ、派手な化粧をした戦士たちの国。アメリカ人が彼らを制圧したので、戦士たちはアメリカ人になった。我慢ならないアメリカ人を手なずけるための一つのやり方と言えよう。二重の文化。自己の文化と他者の文化。だからこそ、ダブルバーガーの恐るべき成功がある。」(「アメリカ化 /日本化」同書、171頁)
 冒頭の「戦士たち」は西部劇のインディアンを思わせるが、実は、旧日本兵の戯画化だ。そのうえで、敗戦後の日本人が勝者アメリカに示した態度は上記の変身術に通じる、というのだ。
 L'appétit insatiable de la jeune fille japonaise qui se nourrit de gadgets américains. Elle parle vite, casse le mot pour n'en garder que la moitié. Comme le temps refuse de s'allonger, elle fractionne le langage jusqu'à en faire un sabir incompréhensible, Elle mange le monde, le parle, le casse, le transforme, pensant ainsi transformer la défaite en victoire. Elle veut pénétrer secrètement au cœur du désir américain pour le changer en désir du Japonais. Les Améicains ne reviendront jamais des Américains parce qu'ils ignorent qu'ils sont déjà des Japonais.(ibid. pp,167-168)
 「片っ端からアメリカのガジェット(小物、道具、装置)を貪る日本の女の子。早口でまくし立て、単語を壊し、無残な姿に変えてしまう。間延びした時を拒否する時代なので、言葉を切り刻んで、内輪だけで通じる意味不明の言語にしてしまう。彼女は、世界を食べ、世界を話し、壊し、変形してしまう。そうして、敗戦を勝利に変容するつもりなのだ。密かにアメリカの欲望の内奥に入り込み、それを日本人の欲望に変えてしまう。アメリカ人たちは、二度とアメリカ人に戻れないだろう。なぜなら、彼らはすでに日本人であることに気がついていないからだ。」(同、171-172頁)
 表向き、国語を破壊する「女の子」を非難しているように見えるが、実は評価している。「私」は、不動の時間を象徴する天皇[制]に憧れた末に殉死した三島のハラキリをune mort manga「マンガ的死」として笑いとばした。だが、それと対称的に、「間延びした時を拒否する」いいかえれば、過去を切り捨てる世代に「私」は畏敬の念を抱いているように思える。たしかに、スマホやエアコンは乱暴なsabir「混成語」だが、私のような年配者でも、装置(と同時に、それを指す語)なしでは生活できなくなっている。その勢いに乗って、karaokeやwalkman(共にsabir)はアメリカをはじめ世界に進出、こうしてアメリカ(あるいは世界は)日本化された、そんな見方も可能だろう。
 『吾輩は日本作家である』は、日本人に、日本という国籍の意味を問いかける本になった。

 
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