朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
コトバの変容 2022.11エッセイ・リストbacknext

ラファエル「キリストの変容」
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 「変容」transfigurationというと、ラファエルの『キリストの変容』を連想する。あの祭壇画の背景には神の声がある(マタイによる福音書)。だが、変容を起こすのはイエスにかぎるわけではなく、日常使っているコトバもまた変容する。わたしは新聞を読んでいて、うろたえることはよくある。ここでは最近の紙面から2例をあげたい。
 最初はウクライナ戦争の戦況をつたえるフィガロ紙の記事。
 L'Ukraine a revendiqué des avancées dans sa région de Lougansk (est), jusqu'à présent presque entièrement contrôlée par les Russes, a déclaré mercredi son gouverneur ukrainien Sergiï Gaïdaï. «Maintenant c'est officiel. La désoccupation de la région de Lougansk a commencé. Plusieurs localités ont déjà été libérées de l'armée russe», a déclaré Sergiï Gaïdaï dans une vidéo postée sur Telegram.
 「水曜日(10月5日)にセルゲイ・ガイダイ、ルガンスク州知事が発表した。<これまでロシアがほぼ完全に支配していたルガンスク州各地でウクライナ軍は大きく前進した><今や、これは公式発表である。ルガンスク州のdésoccupationが始まった。いくつかの地域はすでにロシア軍から解放された>とガイダイ知事は通信アプリ“テレグラム”に載せたビデオで宣言した」。
 問題のdésoccupationは日本の報道記事でいう「奪還」にあたると思われる。しかし、この単語を見出し語にしている仏和辞典は小学館ロベール仏和大辞典のみで、しかも、そこには「無職、無為、閑暇」としか書かれておらず、うろたえざるをえない。でも、この単語の成り立ちを考えれば、納得がいく。元はoccuperという動詞だ。これがあいにく日本語との対応が悪く、語義がたくさんになる。スタンダード仏和辞典は「1.(場所を)占める…[法]占有する…[軍]占領する…2.(時間を)費やす、過ごす…3.(地位を)占める…4.(人に)仕事を与える、(人を)雇う…5.(人を)忙殺させる、専心させる…」としている。当然、関連する名詞occupationの語義も多様で、「1.仕事、活動;職業」の系列と、「2.占有、占領;居住」の系列に分れる。これに「反対、剥奪、分離、除去」を意味する接頭語dé-が付せられた結果がdésocccupationであるから、ロベール仏和のような訳語が生まれることになり、従来は、Cette désoccupation de la pensée m’est pénible.「こうして頭が空の状態でいるのはわたしには耐え難い」(Gideの『日記』)のような使い方にとどまっていた。とはいえ、別の系列に対応して、「占領状態からの脱却、奪還」のような使い方があっても不思議はない。ロシア軍がまさにそれにふさわしい状況を生み出したのだから。
 2例目はフランスの農村を騒がせたデモにまつわるJournal du Dimanche(日曜新聞)の記事。
 Ce samedi, plusieurs milliers de personnes manifestent à Sainte-Soline (Deux-Sèvres) contre le projet d’une nouvelle réserve d’eau destinée à l’irrigation agricole, appelée « méga-bassine » par ses opposants. Mais au fait, à quoi sert une méga-bassine ?
 「今週土曜日(10月29日)ドゥー=セーヴル県サント=ソリーヌで灌漑用の新しい貯水池建設計画に反対して数千人がデモをした。この貯水池を反対者たちはméga-bassineと呼んでいる。しかし、実際問題として、これは何の役にたつのだろうか?」
 bassineはbassin「たらい」から派生した語でRobert辞典はbassin large et profond servant à divers usages domestiques ou industriels「家庭または産業現場でさまざまな用途で使われる幅広で深い容器」と説明する。定義の幅の広さに呼応して、仏和辞典が「たらい、大鍋、洗い桶」などの訳語を並べることになる。それを考えると、貯水池を名指すのに、これにméga-「巨大」を意味する接頭語を付加した新造語を用いるのは、それ自体、愚弄的な挑戦行動になる。

「メガたらい」反対デモ
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 Appelées « réserves de substitution » par les coopératives d’agriculteurs qui les défendent, ces projets ont pour objectif de stocker l’eau dans un lac artificiel de plusieurs hectares. Contrairement aux réserves dites « collinaires », alimentées par le ruissellement des eaux de pluie, l’eau de ces réserves est prélevée dans les nappes phréatiques ou dans les cours d’eau, l’hiver plutôt que l’été.
 「計画を擁護する農業協同組合はこれを<補完貯水池>と呼び、その目的は、数ヘクタールの人工湖に水を貯えることである。丘陵を利用したいわゆる貯水池が雨水の流入に頼るのに対して、この貯水池は自由地下水または河川の水を、夏よりはむしろ冬に取水する」
 Pendant la saison froide, les nappes phréatiques sont plus remplies et pourraient donc, selon les promoteurs de ces initiatives, supporter les prélèvements nécessaires au stockage. L’eau stockée dans ces réserves peut ainsi être utilisée par les agriculteurs pour irriguer et abreuver leurs élevages l’été, lorsque l’eau est plus rare dans les nappes phréatiques ou dans les cours d’eau en raison de la sécheresse.
 「冬季を通じて、自由地下水は夏季より潤沢であり、この計画の推進者側によれば、貯水に必要な取水ができるはずだ。こうして、人工湖に貯えられた水は、夏に旱魃のため自由地下水や河川の水量が減った時に、農業従事者が耕作地の灌漑や潅水に利用することができる」
 たしかに農家側には好都合な計画だが、なぜ反対デモが起こったのか。
 « Méga-bassines » est le terme choisi par le collectif « Bassines Non Merci », qui fédère les opposants aux divers projets en France. Selon eux, les méga-bassines reposent sur une privatisation de l’eau par l’agro-industrie. Les opposants dénoncent la fragilisation des nappes phréatiques ainsi qu’une démarche antiécologique et polluante, via notamment l’artificialisation des sols liée à la construction des espaces de stockage et à la fabrication des bâches utilisées pour imperméabiliser les bassines.
 「<メガたらい>というのは<たらい、お断り>を名乗り、フランス全土でさまざまな計画への反対者を結集する団体が選んだ名称である。彼らによれば、<メガたらい>の基礎は食農産業による水の私有化である。反対者たちが非難するのは、自由地下水の不安定化であり、特に貯水スペースの建設や<メガたらい>用の防水シート製造にともなう土壌の人工化を介して進む反エコロジー的で環境汚染的な行為である」
 わたしが目にしたコトバの変容の実態は以上のとおりだ。冒頭にもちだしたイエスの変容の場合、それをうながしたのは雲の上にまします「神」であった。では、上記の2語の場合はどうだろう。いうまでもなく、一つはパラノイアに罹った一人の独裁者が起こした戦争であり、もう一つは未曾有の旱魃をもたらした気候変動である。どちらも人類の運命を左右する重大問題であり、その緊急性がコトバを変容させたのだ。不信人者のわたしにさえ、そこに人類の未来を憂うる神の声が聞こえるような気がする。


 
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