朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
安倍晋三のレガシー 2022.10エッセイ・リストbacknext

国葬反対のデモ
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 英国と日本で立てつづけに国葬が営まれた。それについて、「ル・モンド」紙(9月27日付)は
 Au Japon, les très coûteuses funérailles nationales de Shinzo Abe divisent au lieu d’unir.
「日本では、安倍信三の大層な物入りの国葬が、国を統一させるどころか、二分させている」と題する記事を載せ、こう書き起こした。
 Les obsèques de la reine Elizabeth II n’ont fait qu’accentuer le contraste avec celles organisées mardi 27 septembre à Tokyo de l’ancien premier ministre japonais,.Shinzo Abe. D’un côté, une figure au rayonnement planétaire dont le décès a suscité une émotion bien au-delà de l’Angleterre et dont les obsèques nationales allaient de soi. De l’autre, un homme politique, qui a, certes, battu un record de longévité au pouvoir, mais dont les funérailles nationales ne s’imposaient pas. Elles ont été décidées par le premier ministre Fumio Kishida et la direction du Parti libéral-démocrate (PLD au pouvoir) sans consultation avec l’opposition qui n’y assistera pas.
 「エリザベス二世女王の葬儀は、9月27日火曜日に東京で営まれた安倍晋三元日本国首相の国葬とのコントラストを際立たせるばかりだった。片や全世界に威光のおよぶ大人物の方は、その訃報は英国をはるか超えた地域にまで感動を呼び、国葬の執行は自然な成り行きであった。他方、もう一方の政治家は、むろん政権の座につく期間が最長を記録したとはいうものの、国葬となると絶対に必要というわけにはいかなかった。これを決定したのは岸田文雄首相と自由民主党(与党)の執行部で、野党には相談なしだったから、野党は葬儀に欠席することになろう」
 記事は、首相は理由として、安倍元首相の国内外の業績を挙げたが、国民の納得を得られず、反対者が60%に達する一方、岸田内閣の支持率が30%にまで低落したことを指摘する。
 Pétitions, tribunes, manifestations se sont succédé ces dernières semaines. L’immolation par le feu, le 21 septembre, d’un homme devant la résidence du premier ministre a tragiquement marqué cette vague d’opposition.
 「ここ数週間、反対の請願、街頭演説、デモ行進が相次いで行われた。9月21日に首相官邸前で一人の男性が試みた焼身自殺は、こうした反対の大波を悲劇的に象徴することになった」  その上で、記者はこれほどの「反対」がなぜ起こったのかを問いかける。
 L’ampleur et la virulence de l’opposition peuvent surprendre à l’étranger. Le Japon donne l’image d’une démocratie assagie et la visibilité diplomatique de Shinzo Abe avait renforcé sa position sur la scène mondiale.
 「反対運動の規模と激しさは外国人には驚きの目で見られるかもしれない。そもそも日本は思慮深い民主主義国の印象を与えるし、安倍晋三は外交面での視野の広さにより、世界の舞台における日本の地位を強化させてきたからだ」
 実をいうと、日本人の一人として、私も国葬にはどうしても賛成できなかった。この記事が提起した疑問を受けて、反対の理由を私なりに考えてみるとしよう。

Le Bal du comte d'Orgel
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 たまたま朝日カルチャーの授業で、Raymond Radiguetの小説Le Bal du comte d’Orgel 『ドルジェル伯爵の舞踏会』を読んでいることが幸いして、その一節がヒントになった。
 そもそも、この作者は弱冠20歳の青年なのだが、人間心理の分析にかけては老成していて、クールな文体で読者を誘い込む業に長けている。問題の箇所は、Françoisとの恋に陥ったのに、それを恋と認めたくない伯爵夫人が自分の本心に白を切りつづける経過を、まるで時計を分解するかのように解き明かしたものだ。
 On s’étonnera de voir Mme d’Orgel, si fine, incapable de démêler les fils si gros. Mais à force de cajoler certaines illusions de son cœur, elle en avait fait ses esclaves: elles ne l’en servirent que mieux.
 「あんなに繊細なセンスを持つドルジェル夫人が、これほど太い糸で編まれた心のあやを見分けられぬのを見て、読者はおかしいと思われるだろう。しかし、これまでずっと自分の心の錯覚におもねりすぎた結果、彼女はその錯覚を自分の奴隷にしてしまっていたのである。錯覚はますます一生懸命に彼女の意にかなうようにかしずくことになった」
 念のために言い添えれば、cajoler certaines illusionsとは「恋人の言動に接して自分の心がときめく、その度に、これは恋ではなく、ただの好奇心にすぎぬと自分に信じこませる」ことであり、そんなillusionsをesclavesにした、とは、裏を返せば、「心の底を支配する恋」という真実を嘘で覆い隠してしまったことを意味する。
 ここでラディゲが用いたcajolerは元来Avoir (envers qqn)des manières, des paroles tendres et caressantes「(人に)やさしい態度で接する、懇ろな言葉をかける、おもねる」という意味で、目的補語は「人」が普通だから、Lexis辞典はつぎのような例文を示している。
 L’enfant cajole son grand-père pour qu’il l’emmène au cinéma
 「その子はお祖父さんに、映画館に連れてってくれとねだる」
 illusions de son cœurを擬人化して目的語に仕立てた上、さらにそれをesclaveにするという手のこんだ修辞法はいかにもラディゲ的だが、分かりやすいとはいえない。そこで、私はカルチャーの教室で、cajoler son entourage「取り巻きのご機嫌をとる」という言い換えを思いついた。
 A force de cajoler son entourage, M.Abe en avait fait son esclave, il ne l’en servit que mieux.
 「取り巻き連中にさんざんやさしく振舞ったので、安倍氏は彼らを奴隷にしてしまった。取り巻き連中はますます彼に一生懸命かしずくことになった」
 cajolerの具体的な中身はまったく不明だが、たとえば「モリカネ問題」をめぐって周辺の連中が嘘をついて安倍氏の「嘘」を真実に見せかけようと奔走したことを想起すれば、後半部分はピッタリ当てはまるのではないか。あの一連の騒動で国会を空洞化させたこと一つをとっても、彼が日本という国に残した傷跡はまことに大きく、重く、深い。
 故安倍晋三のレガシーを挙げるとすれば、アベノミクスでも、親米外交でもなく、この嘘の連鎖がもたらした損傷にほかならない。「国葬」など、とんでもない話だと思う。


 
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